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Andy Burnham 政権と銀行税、「高金利で儲かっている銀行から搾り取れ!」というムード

英国で銀行税の議論が戻ってくるとき、最初に語られる物語は分かりやすい。銀行は高金利で利益を上げた。家計は住宅ローンと生活費で苦しんだ。ならば銀行に追加負担を求めればよい。政治の場では、この説明は強い。 ただ、銀行経営とALMの目線では、「高金利だから銀行は儲かる」という言い方はかなり粗い。金利上昇の初期には、たしかに銀行の純金利収入は増えやすい。貸出金利は比較的早く上がる一方、普通預金などの支払金利は遅れて上がるからだ。この時間差が、銀行のNIMを一時的に押し上げる。 しかし、その効果は永続しない。時間がたつと、預金者はより高い金利を求めて定期預金や他の商品に移り、銀行の調達コストは追いついてくる。借り手の返済負担も重くなり、信用コストが増える。住宅ローンや企業融資の需要も冷えやすい。さらに、銀行が保有する国債などの債券は、金利上昇で含み損を抱えやすくなる。 つまり、「高金利で銀行が儲かっているから課税する」という政治的な説明は、金利上昇の初期局面だけを切り取ると分かりやすいが、銀行のバランスシート全体を見れば単純ではない。銀行税を考えるなら、どの税を、どのベースに、どのタイミングでかけるのかを分けて見る必要がある。 銀行税には二つある 英国の銀行追加税には、性格の違う二つの柱がある。ひとつはBank Surchargeである。これは銀行の利益に上乗せされる税だ。もうひとつはBank Levyである。これは銀行のバランスシート上の一定の負債・資本にかかる税である。 Bank Surchargeは、銀行会社のsurcharge profitsに課される追加税である。2023年4月1日以降、税率は3%、グループ単位のallowanceは1億ポンドである。英国の通常法人税メインレートは25%なので、大手銀行の対象利益に対する限界税率は概ね28%となる。 この税は利益にかかる。銀行が利益を出しているときには重くなり、利益が落ちれば負担も落ちる。したがって、政治的には「高金利で増えた銀行利益への課税」と説明しやすい。TUCが主張する銀行windfall taxも、主にこのBank Surchargeを上げる案である。 Bank Levyは違う。これは、銀行の一定のchargeable equity and liabilitiesにかかる年次税である。2021年以降の税率は、短...

トランプ劇場をみて思う、英国の憲法リスク――小選挙区制、議会主権、そして「よき人々」に頼る制度の限界

英国政治には、古い安定感がある。議会、王室、判例、慣習、官僚制、二大政党、抑制された言葉遣い。外から見ると、長い時間をかけて積み上げられた制度があり、そう簡単には壊れない国のように見える。 その印象は間違いではない。英国には長い憲政の蓄積がある。法の支配も、議会政治も、司法の独立も、市民社会も存在する。だが同時に、英国には米国のような単一の成文憲法典はない。議会主権の原則のもと、下院多数派が法律を通せば、国家の基本構造に近い部分までかなり広く変えられる。 この制度は、政治家が自制を共有している時代にはうまく動く。細かい憲法条文で縛らず、必要なときに議会が法律を作り、古い制度を手直しする。柔軟で、実務的で、英国らしい仕組みである。 しかし、柔軟さは強さであると同時に弱さでもある。小選挙区制によって、全国得票では多数派でない政党が下院で大きな多数を得る。その政党が、Human Rights Act、欧州人権条約、移民法、国籍法、司法審査、選挙制度の枠組みを一体として変えようとする。そのとき英国には、米国憲法修正14条のような硬い壁がない。 これは抽象的な憲法論ではない。Reform UKのような政党が国政で影響力を増す局面では、かなり現実的な制度リスクとして考える必要がある。 英国には憲法がない、という言い方の限界 英国には「憲法がない」と言われることがある。正確には、英国には単一の成文憲法典がない。憲法は、議会制定法、判例、慣習、王権、国際条約、Human Rights Act、地方分権法などの集まりとして存在している。 したがって、英国が無法状態にあるわけではない。むしろ英国は、法の支配、行政手続、議会答弁、委員会審査、司法判断、政治的慣習によって統治されてきた国である。問題は、その憲法秩序がどの程度「硬い」かである。 英国議会の公式説明によれば、議会主権とは、議会が英国における最高の法的権威であり、どのような法律も作ることができ、廃止することもできるという原則である。一般に、裁判所は議会制定法を覆すことができず、現在の議会は将来の議会を拘束できないとされる。 UK Parliament, Parliament's authority この原則は、民主的な柔軟性をもたらす。時代に合わない制度を、国民から選ばれた議会が法律で変えられる。だが...

国籍で分けられるAIと、多国籍チーム

2010年代のテック業界には、いまから振り返るとかなり奇妙な楽観があった。国籍ではなく能力を見る。世界中から優秀な人材を集める。大学、企業、オープンソース、研究コミュニティは国境を越えてつながる。政治は面倒だが、インターネットとソフトウェアはそれを少しずつ溶かしていく。そんな空気があった。 もちろん、それは完全な現実ではなかった。米国のプラットフォーム支配は強く、中国市場は非対称で、監視資本主義もすでに深く進んでいた。グローバル化の利益は均等に配られず、SNSは公共空間を壊し始めていた。それでも、少なくともテックの中心には「よいものを作るには国境を越えたチームが必要だ」という感覚があった。国籍はパスポート上の属性であって、才能や信頼の代替物ではない。そういう建前が、まだ機能していた。 いま起きている変化は、その建前の崩壊である。AI、とくに最先端の基盤モデルは、単なる民間製品ではなくなりつつある。検索エンジンでも、表計算ソフトでも、業務効率化ツールでもない。国家安全保障、軍事、サイバー、バイオ、半導体、金融インフラにまたがる戦略資産として扱われ始めた。 この変化自体は、ある程度は避けがたい面もある。強力なAIは、ソフトウェア開発を加速し、サイバー防御を助け、創薬や科学研究を前進させる可能性がある。一方で、悪用されれば攻撃能力も増幅しうる。国家が関心を持たない方が不自然だ。問題は、そこで採用される分類の粗さである。 もっとも危険なのは、能力や行動ではなく、国籍によって人を分け始めたことだ。 これは現実の制度の話であり、同時に近未来の兆候の話でもある 最初に線を引いておきたい。本稿で扱う事実と、そこから読み取るシナリオは同じものではない。 現実の制度として存在するのは、米国の輸出管理、みなし輸出、半導体規制、地経学的分断、AIモデルへの政府関与である。米商務省産業安全保障局、BISは、米国内にいる外国人に管理対象技術やソースコードを開示することも、輸出とみなされうると説明している。この「deemed export」という考え方は、新しい制度ではない。軍事技術、半導体、暗号、航空宇宙などでは以前から存在していた。 一方で、AIが今後どこまで国家安全保障体制に取り込まれるか、多国籍チームがどこまで分断されるかは、まだ進行中の問題である。そこには観察と推測が...

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