ファンダメンタルズから乖離という言い訳
市場文学
通貨売り局面で、政府が「現在の為替レートはファンダメンタルズと乖離している」と言い始めた時、 それは本当に市場の行き過ぎを正すシグナルになっているのか。それとも、政策当局が 現実を直視することをやめたサインなのか。 本稿では、いくつかの歴史的事例を振り返りながら、「乖離」というフレーミングがどのように受け止められてきたのか、またその言葉が用いられた局面で市場がどのような反応を示してきたのかを、整理していく。
1. 「ファンダメンタルズと乖離している」とはどんな言い訳か
通貨危機局面でよく聞かれるフレーズに、 「現在の為替レートはファンダメンタルズと乖離している」 というものがある。一見もっともらしいが、この言い方にはいくつかの前提が埋め込まれている。
- 為替レートには「本来あるべき水準」がどこかに存在する。
- その水準は政府や当局が把握しており、現在の市場価格はそれから外れている。
- したがって、現在のレートは「市場の誤り」や「投機の行き過ぎ」であり、我々の政策の問題ではない。
しかし、実際の為替レートは次のような複数の要因の総合結果として決まっている。
- 金利差や期待インフレ
- 経常収支・対外純資産
- 対外・対内投資フロー、ポジション構造
- 財政の持続可能性や政治リスク
- 信用スプレッド、金融システムへの信認
- 短期的な需給・フロー(HF、CTA、機関投資家など)
これらをすべて織り込んだ結果として「いまのレート」が出ている以上、 当局が気に入ろうと気に入るまいと、それは一種の均衡点である。 にもかかわらず、「乖離」という一言で片付けてしまうと、その背後にある 金利政策・財政運営・資本フロー構造などの議論が一気に消えてしまう。
もちろん、市場が常に合理的で、常にファンダメンタルズ通りに動くわけではない。 パニックやオーバーシュートで一時的に実力から大きく外れることもあるし、 市場の誤りが現実を変えてしまう再帰性が働くこともある。 それでも、その誤りを修正するのは時間をかけたポジション調整や政策の積み上げであって、 「市場が間違っている」と口で否定することではない、というのが本稿の立場である。
2. 「乖離」と言った瞬間に何が止まり、何が始まるか
2-1. 説明責任の外部化
「乖離」フレーミングの第一の問題は、為替の責任を外に押し付けることだ。 政府にとっては、
- 自国通貨安を政策の帰結ではなく「市場の誤り」にできる。
- 財政・金融政策の矛盾に正面から向き合わなくて済む。
しかし市場側から見ればこれは、 「当局は自分達の政策がどう見られているか、きちんと理解していない」 というシグナルになりうる。 責任を外に押しやろうとする態度そのものが、信認を傷つける。
2-2. 政策矛盾を「見えなくする」効果
多くの通貨危機では、背後に明確な政策矛盾が存在していた。 例えば、
- 高金利を維持しないと通貨が守れないが、景気はすでに後退している。
- 財政赤字と債務残高が膨張しているのに、国債市場の機能は低下している。
- 資本流出が慢性化しているのに、規律ある金融政策が維持できていない。
こうした矛盾は本来、 「どこまで通貨防衛を続けるのか」 「金利・財政・規制をどう再設計するのか」 という痛みを伴う選択の議論につながるはずだ。 ところが、 「市場がファンダメンタルズを無視している」 と言ってしまった瞬間に、その議論は棚上げされてしまう。
2-3. 市場への逆シグナル:「まだ現実を理解していない」
危機局面で、市場参加者が何よりも注視しているのは 「当局がどこまで現実を理解しているか」 である。政府が 「通貨は過小評価されている」「ファンダメンタルズは健全だ」 と繰り返すとき、市場はしばしば逆のメッセージを読み取る。
- 当局は、金利や財政、外貨準備の制約を正面から語っていない。
- 本当の限界点(介入余力、政治的な許容範囲)を自覚していない、あるいは認めたくない。
危機時に「市場が間違っている」と口にする当局は、多くの場合、 すでに市場との「ゲーム」に負け始めている。 情報も資本も分散した相手に対して、現実の制約条件を示さず 価格だけを否定することは、「こちらはまだ状況を理解していない」と 自ら宣言するのに等しい。 その結果、 「まだ売れる」「まだ防戦は続くだろうが、結局は持たない」 という確信を投機筋に与え、通貨売りを加速させてしまう。
2-4. 「ファンダメンタルズ」を都合よく狭く定義する罠
もう一つの問題は、「ファンダメンタルズ」という言葉の中身が、 危機になるほど都合よく狭く定義される点だ。
通貨が弱くなると、政府はしばしば
- 経常黒字や対外純資産といった「見栄えの良い指標」だけを持ち出す。
- 財政赤字、将来の債務負担、政治リスク、金融システムの脆弱性などは脇に置く。
つまり、「ファンダメンタルズ」とは本来、多数の指標の組み合わせであるはずなのに、 通貨安に不利な要素を除いた一部だけを指して 「これに比べて通貨は安すぎる」 と主張してしまう。
これは市場から見ると、 「自分達に都合の良い指標だけを見ている」 というシグナルになる。 その瞬間に、当局の分析全体に対する信認が落ちる。
2-5. 介入依存と「物理的限界」の露呈
「乖離」発言とセットになりやすいのが、 為替介入によるレート是正である。 しかし、外貨準備や国内の政治的制約には必ず限界がある。
- どこまで外貨準備を崩して介入できるのか。
- どの金利水準まで引き上げる政治的余地があるのか。
こうした現実的な上限を示さずに、 「乖離しているから正当な水準に戻るはずだ」 とだけ言うと、市場は逆に 「では、その乖離を是正するためにどこまで本気で動くのか」 を試しにかかる。
その結果、 「思ったほど介入できない」 「金利を十分には上げられない」 という事実が露呈し、通貨防衛の物理的限界が市場に知られてしまう。 そこから先は、売りが売りを呼ぶ局面になりやすい。
補足:この「物理的限界」は、直感だけでなく理論的にも中心に位置づけられている。 IMF WP/25/261 は、外貨準備に下限制約がある環境では、為替介入は「目先のレート防衛」ではなく、 将来の準備枯渇リスクを織り込んだ状態依存の最適政策にならざるを得ないと示す。
- 資本流出が大きいほど、市場の浅さ(market depth)が悪化し、為替の条件付きボラが上がりやすい。
- 準備制約があると、当局は将来の枯渇確率を意識して「今あえて全てを相殺しない」ことが最適になり得る(powder dry)。
- このとき市場は、「当局が何と言うか」より「どの状態でどれだけ実弾が出るか(反応関数)」を推測し、言葉だけの防衛は逆シグナルになりやすい。
出典:IMF Working Paper WP/25/261 “Optimal FX Interventions with Limited Reserves” (Kolasa, Vogt, Zabczyk, 2025)。
2-6. 研究が示す「市場の学習」と介入の限界
上記の市場心理は、単なる印象論ではない。 IMF(2025)の最新研究は、外貨準備に物理的下限がある環境での最適介入政策を 数理モデルとして定式化し、以下の発見を示した。
- 市場深度の内生性:資本流出時には為替の条件付きボラティリティが上昇し、 市場が内生的に浅くなる。この状態で「乖離」発言をしても、市場参加者は 「次の流出でも介入できるか」を計算に入れるため、言葉の効果は限定的。
- 時間整合性の問題:準備制約下では、当局が「今後も全力で防衛する」と コミットしても、実際には将来の枯渇リスクを織り込んで行動せざるを得ない。 市場はこの時間非整合性を見抜き、発言と実際の行動のギャップを突く。
- 状態依存的な効果:小規模な流出には1対1以上で対応できても、 大規模流出時には意図的に部分的な対応に留める(powder dry)ことが最適となる。 つまり、「乖離」と言いながら介入しない状況が、合理的政策の結果として生じうる。
マレーシアのデータ(2010-2023)を用いた実証分析では、興味深い発見がある。
事例:マレーシアのシミュレーションが示す「薄氷の均衡」
IMF論文は、マレーシア(2010-2023)のデータを使って、 「最適な介入政策を採用した場合、準備高はどうなるか」をシミュレーションした。 結果は驚くべきものだった。
シミュレーション結果:
- 平均的な準備高:「これ以下には削れない最低ライン」から、GDP比たった5%上回るだけ
- 資本流出の変動幅:標準偏差でGDP比4%(つまり、一回の大きめの流出で準備がほぼ底をつく規模)
- 準備が底をつく確率:それでもわずか2%
これは何を意味するのか?
想像してみよう。あなたが当局で、「最低でも100億ドルは絶対に残しておかなければならない」 という制約があるとする(危機時の決済システム維持、輸入決済の最低限のバッファなど)。
最適な介入政策を採用しても、平均的な準備高は「105億ドル」程度にしかならない。 一方で、流出は一回で4億ドル動くことがある。 つまり、一回の大規模流出で、バッファの8割が吹き飛ぶ計算だ。
それなのに、実際に準備が底をつく確率はたった2%。なぜか?
答え:市場が中央銀行の「手の内」を正確に読んでいるから。
- 小規模な流出(2億ドル以下)→ ほぼ全額を介入で相殺
- 中規模の流出(2-4億ドル)→ 部分的に相殺(60-70%程度)
- 大規模な流出(4億ドル超)→ 最小限の介入に留める(powder dry:次に備えて弾を温存)
市場がこのパターンを理解していれば、「どうせ大規模に売っても全力で止められない」 と分かっているので、パニック的な大量売りは起きない。
では、中央銀行が「ファンダメンタルズと乖離している」と言い始めたらどうなるか?
この発言は、市場に「介入が来る」というシグナルを送る。 しかし同時に、「どの程度の規模で、どこまで本気で介入するのか」という予測可能性を破壊する。
市場の思考プロセス:
- 「試しに売ってみよう」
通常なら部分介入しかしない規模でも、「乖離」発言後は想定外の全力介入が来るかもしれない。 まず小規模に売って、本当にどう出るか確認する。 - 「想定外の全力介入が来た」
→「これは持続不可能だ。大規模流出でも全力で止めようとしている。 このペースなら外貨準備は数週間で枯渇する」と判断。 - 「なら売ろう」
外貨準備が尽きる前に大量の円売りポジションを積めば、 介入が止まった瞬間に大きく儲かる。売りが売りを呼ぶ。
つまり、「乖離」発言と想定外の介入パターンの組み合わせは、 「限界を試す」というトリガーになってしまうリスクを孕んでいる。
参考:Kolasa, M., Vogt, O., & Zabczyk, P. (2025). "Optimal FX Interventions with Limited Reserves." IMF Working Paper WP/25/261.
マレーシアがわずかな準備で危機を回避できているのは「市場との暗黙の契約」があるからであり、 「乖離」発言はその契約を一方的に破棄する宣言に等しい。
この研究は、通貨売却(流出時)の介入が、通貨購入(流入時)よりも 短期的な価格インパクトにおいて約44%大きいことを示唆している。 流出局面では市場流動性が低下し、少額の取引でも価格が動きやすくなるためである。
ただし、この「効きやすさ」は、介入の持続的な有効性や自由度を意味しない。 市場が浅い局面では価格は動きやすい一方で、水準は定着しにくく、 同じ方向の介入を繰り返す必要が生じやすい。 その結果、当局の介入余力や裁量の持続可能性が急速に意識される。
2-7. 政治経済学的ジレンマ:なぜ「正しい政策」を採れないのか
ここまでの議論は、「当局は矛盾を直視し、痛みを伴う政策を採るべきだ」 という規範的主張を含んでいる。しかし現実には、 「それができないから困っている」のが民主主義国家における通貨防衛の本質である。
Time Inconsistency(時間非整合性)の罠
通貨防衛に必要な高金利政策は、教科書的には以下の経路で短期的な痛みをもたらすとされる:
- 住宅ローンや企業債務の返済負担を増大させうる (特に変動金利債務の比率が高い場合)
- 投資や消費を抑制し、景気を冷え込ませる要因となる
- 不動産・株式市場の下落を通じて、資産効果で消費を抑制する可能性がある
- 失業率の上昇につながりやすい (ただし効果が現れるまでには通常6ヶ月〜1年程度のラグがある)
※ ただし実際の効果は、金利上昇の規模・スピード、経済の初期状態、 政策の信認度などに大きく依存する。例えば、高金利政策が通貨防衛への コミットメントとして評価されれば、リスクプレミアムが低下し、 長期金利は逆に低下する可能性もある(credibility効果)。
次の選挙までの支持率を気にする政権にとって、 「5年後の通貨安定」よりも「明日の失業率」の方が 政治的には遥かに重要である。 経済学者が「長期的な規律を守れ」と言っても、 政治家は「長期的には我々は全員死んでいる」(ケインズ) という現実に直面している。
分配対立
通貨防衛のための緊縮政策は、異なる社会集団に非対称的な影響を与える:
| 政策 | 利益を得る層 | 損失を被る層 |
|---|---|---|
| 高金利維持 | 金融資産保有者、年金生活者 | 債務者、住宅購入者、中小企業 |
| 財政緊縮 | 財政再建論者、将来世代 | 公務員、公共事業依存地域、福祉受給者 |
| 通貨安容認 | 輸出企業、製造業 | 輸入業者、消費者、エネルギー多消費産業 |
政権運営では、これらの対立が亀裂を生む。 「乖離」発言は、こうした困難な選択を先送りするための 時間稼ぎの修辞という側面を持つ。 経済評論家が「逃げるな」と批判するのは容易だが、 政治家にとっては支持基盤の崩壊を意味する決断である。
官僚機構の慣性とsunk cost
さらに、中央銀行や財務省には組織としての慣性がある:
- 過去の政策の正当性を認めたくない(自己否定の回避)
- 方針転換は「これまでの判断が間違っていた」という 暗黙の自白になる
- 国際機関(IMF、G7)との調整や、 国内の審議会プロセスによる意思決定の遅延
1992年のポンド危機で、英国政府がERMに固執したのは、 「ERM加盟は政権の威信をかけた政策だった」という sunk cost(埋没費用)への執着も一因だった。
全てを解決する薬はない。
政治的制約の中で、当局はどうコミュニケーションすべきなのか? 「市場との対話」と「国内世論への説明」の両立は可能なのか? 痛みを伴う政策を実行するための政治的条件は何か?
これらの問いに対し、本稿は答えを持たない。 ただ一つ言えるのは、 「乖離」という言葉で現実を覆い隠すことが、 結果的に選択肢をさらに狭めてきた という歴史的事実である。
政治的に困難だからこそ、せめて問題の本質を 共有する誠実さが必要ではないか。 「市場が間違っている」ではなく、 「我々の政策には限界があるが、その中で最善を尽くしている」 という謙虚な姿勢の方が、長期的には信認につながるのではないか。
3. 歴史的事例に見る「乖離」発言と通貨暴落のパターン
歴史を振り返ると、政府や中銀が 「現在のレートはファンダメンタルズに合わない」 「通貨は過小評価されている」 と発言したあと、むしろ通貨の売りが加速した例はいくつもある。 ここでは代表的なケースのパターンを整理する。
なお、「乖離」発言がなされながらも市場が大崩れに至らなかった例も存在する。本稿はその頻度を統計的に検証するものではなく、崩壊局面における言語と政策の緊張関係に焦点を当てている。
3-1. 1992年 英ポンド危機(ERM脱退)
ERMの上限でポンドを防衛していた英国政府は、 当時から一貫して 「ポンドは英国経済の実力からみて健全であり、市場は誤っている」 というメッセージを発していた。
しかし実際には、
- 高金利維持と景気悪化の板挟み
- ドイツの金利政策との不整合
- 住宅市場の調整と失業率の上昇
といった構造的な問題が蓄積していた。 政府が「乖離」を強調すればするほど、市場は 「彼らはERMの枠を維持できない」 との確信を深め、最終的にポンド売りは限界を超えて噴出した。
Black Wednesday でポンドは急落し、英国はERMから撤退する。 後から振り返れば、「ファンダメンタルズは健全」という説明こそが、 現実を直視していなかったことの証明だった。
3-2. 1997年 韓国ウォン危機
アジア危機でウォンが急落した際、韓国当局も 「ウォンの下落は過度であり、ファンダメンタルズからかけ離れている」 と繰り返し強調した。
しかし市場が見ていたのは、
- 短期対外債務の急増と外貨準備の不足
- 財閥の過剰債務構造
- 銀行システムの脆弱性
だった。政府の 「乖離」「健全」 という言葉は、これらの問題から目を背ける姿勢と解釈され、海外銀行のロールオーバー拒否を招き、 逆に危機を深刻化させた。
3-3. ロシア、トルコ、アルゼンチン
その後のロシア・ルーブル危機、トルコ・リラ危機、アルゼンチン・ペソ危機でも、 似た光景が何度も繰り返された。
- 「通貨は実力に比べて過小評価されている」
- 「最近の下落にはファンダメンタルズ上の根拠がない」
- 「市場の攻撃的な売りが行き過ぎている」
といったメッセージを当局が出すたびに、市場は 「金利を十分に上げる意思がない」 「財政改革や構造改革の痛みを引き受ける気がない」 と受け止める。結果として、
- さらなる通貨安
- 債務コストの急騰
- 資本統制や非常措置の導入
という、より高い代償を支払うことになった。
| 危機・通貨 | 当局の発言(要旨) | 市場の反応 | 教訓 |
|---|---|---|---|
| 1992年 英ポンド危機(ERM脱退) |
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過小評価論は政策矛盾を覆い隠し、投機筋の確信を強めた。 |
| 1997年 韓国通貨危機(ウォン急落) |
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健全論強調はむしろ危機深刻化のサインとなった。 |
| 1998年 ロシア危機(ルーブル崩壊) |
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過小評価論は財政破綻と資本流出を覆えず信認を損ねた。 |
| 2014–2015年 ロシア・ルーブル危機 |
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乖離論は信認回復に寄与せず、危機を悪化。 |
| 2018–2019年 アルゼンチン(マクリ政権) |
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超高金利とIMF支援でも信認戻らず、構造問題が露呈。 |
| 2022年 トルコ・リラ急落 |
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政策が歪む中での乖離発言は警戒シグナルになる。 |
■ 総括: 「乖離」と言い始めた政府は、市場に「問題を理解していない」と見なされ、通貨売りを加速させる傾向がある。もちろん通貨が売られる主因はあくまでファンダメンタルズの弱さであり、 単なる一言が危機を引き起こすわけではない。 ただ、 過去30年の主要危機を総覧すると、政府が「ファンダメンタルズと乖離」「過小評価」「正当化できない」といった言葉で 相場水準を否定する瞬間は、構造問題の直視をやめ、説明を外に押し付ける局面であり、しばしば危機の加速点になっている。
ポンド危機も同じ構図だった。真の問題は金利政策と景気悪化の矛盾だったにもかかわらず、政府は「ポンドは過小評価」と説明した。 市場はそれを思考停止として読み解き、「当局は自らの限界を理解していない」と判断して売りを強め、結果として歴史的な暴落につながった。 アルゼンチンでも、マクリ政権が「ファンダメンタルズは健全」と繰り返す中、実際には対外債務と財政赤字という 構造的な脆弱性が放置され、史上最大のIMF支援と世界最高水準の金利でも危機を止められなかった。
■ 補強
| 理論枠組み | 主な内容 | 通貨危機の理解における含意 |
|---|---|---|
|
第1世代モデル (Krugman 1979) |
・財政赤字拡大や持続しない政策運営が続くと、外貨準備の枯渇は時間の問題となり、投機的な売りは合理的行動になる。 ・危機は政策矛盾から生じるため、口頭での評価や説明では構造的問題を覆えない。 |
・通貨が弱含む局面では、短期的な発言よりも基礎的条件(財政・金利・外貨準備)が決定的。 ・「乖離」発言は、こうした背景が改善しない限り市場行動を変える効果を持ちにくい。 |
|
第2世代モデル (Obstfeld 1996) |
・政府が防衛のために支払うコスト(高金利・景気悪化)と、それに耐え続ける政治的余地が市場の判断材料となる。 ・危機は複数均衡の中で、政府の姿勢への不信が引き金となって発生し得る。 |
・政府が利上げや財政調整をためらう姿勢を示すと、「防衛を継続できない」との見方が強まり、売りが自己強化的に拡大しやすい。 ・発言よりも、どこまで痛みを受け入れる意思があるかが重視される。 |
|
チープ・トーク理論 (Game Theory) |
・コストの伴わない発言は、相手の行動を変える力を持ちにくい。 ・市場は、実際に痛みを伴う政策行動(利上げ・財政調整)によって 当局の意思を判断する。 |
・「通貨は安すぎる」といった言葉だけでは信認の回復は難しい。 ・市場が求めるのは、姿勢ではなく実際の行動であり、発言が多いほど弱さの表れと解釈されることすらある。 |
| 総括 |
・通貨危機の研究は、言葉だけの対処は効果が限られ、基礎的条件・政策選択・市場心理が複合的に作用してレートが決まることを示している。 ・市場は当局の発言内容よりも、背後にある政策の持続性やリスク耐性を重視する。 ・発言と行動のギャップが広がる局面では、価格変動が加速する可能性が高まる。 |
|
口先介入が「成功」するための条件
歴史を紐解けば、口先介入が市場のパニックを沈静化させた事例もある。しかし、それらが機能したのは、 言葉の背後に市場を屈服させるだけの「物理的な恐怖」が存在した場合であることを留意すべきである。
- 圧倒的な資金供給能力:「逆らえば介入資金で踏み上げられる」という恐怖。 スイス(2011年):CHF高に対し、SNBがEUR/CHFの下限1.20を無制限介入で防衛すると宣言し、実際にバランスシートを無制限に拡張。口先ではなく、介入規模そのものへの覚悟が信認を作ったケース。
- なりふり構わぬ実力行使:「資本規制や暴力的な利上げで、強制的に退場させられる」という制度的な恐怖。 ロシア(ウクライナ侵攻直後):ルーブルが一時 USD/RUB 150 近辺まで急落したが、政策金利の20%への緊急引上げ、厳格な資本規制、輸出企業への外貨収入の強制ルーブル転換により、数週間で侵攻前水準の 60–70 台まで事実上押し戻された。 この為替の反発は市場の信認によるものではなく、自由取引を封じた制度と恐怖によって作られた管理相場の結果である。
市場がこれらを感じ取った場合に、言葉は武器となる。裏を返せば、市場を破壊しうるだけの「実弾」を持たぬまま 繰り返される「乖離」発言は、政策の行き詰まりを露呈する。
5. 結論:「乖離」と言い始めた時こそ危ない
歴史的な通貨危機を振り返ると、 「現在のレートはファンダメンタルズと乖離している」 というフレーズは、多くの場合、 危機を止める言葉ではなく、 危機の入口で発せられた言葉だった。
その瞬間に起きていたことは、次の三つに要約できる。
- 責任の外部化:為替を「市場の誤り」に押し付ける。
- 政策矛盾の隠蔽:金利・財政・構造問題への向き合いを避ける。
- 分析の停止:政府自身が本質的な問題の再検証をやめてしまう。
しかし、市場が見ているのは「政府の説明」ではなく、 経常収支・対外資金の動き・財政の持続性・金利差・地政学リスクといった、 交換レートを決める現実の力学である。 そこから目をそらした瞬間、 「政府は状況を理解していない」という評価が広がり、 むしろ売りが加速する。
ポンド、ウォン、ルーブル、リラ、ペソ。 いずれの危機も、 「乖離」を口にした政府が市場に信じてもらえず、 その判断の甘さが投機筋の確信を深めたという点で共通していた。
為替とは、経済の総合得点であり、 政策の整合性に対する市場の評価そのものでもある。 そのレートが気に入らないからといって 「乖離」と言ってしまえば、 現実とのズレはむしろ広がる。
結局のところ、 危機を止めるのは「乖離」の否認ではなく、 ファンダメンタルズそのものを変える政策であり、 それを市場が信じられるだけの一貫性と説明である。
「乖離」発言には投機行動を牽制したい意図があること自体は誰の目にも明らかだが、 経済的な裏付けを欠いた言葉に、それ以上の実効性はない。 もちろん「乖離」発言それ自体が危機を直接引き起こすわけではないが、 すでに政策の選択肢が乏しくなった局面においては、結果として様式美的なシグナルと化してしまう。
歴史が示す教訓は不都合である。
「乖離」と言い始めた時こそ、通貨危機の入り口に立っている

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