問題は米中ではない――「三番目の重力」が世界を読めなくする

米中対立が世界のリスクだと、もう何年も聞かされてきた。半導体規制、関税の応酬、台湾海峡。どれも深刻だ。だが、ここで一つ問いを立ててみたい。本当に怖いのは、米中がにらみ合っていること自体なのだろうか。

二国が対峙しているだけなら、構図はシンプルだ。こちら側とあちら側。境界はだいたい見える。冷戦がまさにそうだった。鉄のカーテンの向こうとはほとんど取引がなく、世界GDPに占める貿易比率は16%程度。遮断しても痛みは限定的で、ルールは厳しいが読めた。

いまはどうか。同じ指標が約45%に膨らんでいる(IMFゴピナート副専務理事、2024年講演)。敵対する相手とサプライチェーンの深層で組み合ってしまった世界で、冷戦型の遮断は物理的に成り立たない。そして、この複雑な系に米中とは別の重力源が台頭してきた。ここが話の核心だ。

三番目が現れると、なぜ読めなくなるか

物理学の三体問題を借りて考える。天体が二つなら軌道はきれいに解ける。三つになった瞬間、長期予測は原理的に不可能になる。劉慈欣のSF『三体』が描いた絶望は、この数学的事実に根を持つ。

だが国際経済の「三体」は、天文学よりもタチが悪い。宇宙では重力源は固定されている。地政学では「三番目」が誰なのかが争点ごとに入れ替わる。貿易ではグローバルサウスがスイング集団として浮上している。購買力平価ベースで、拡大BRICSの世界GDP比は約40%に達し、G7の約29%を上回った。規制ではEUが独自の重力源だ。GDPR、AI規制法、炭素国境調整。軍事は依然として米中二極が突出している。つまり安保は二体、貿易は三体的、規制はまた別の三体。観測対象が案件ごとに変わるから、前提を固定できない。

データに語らせる

「不安定になっている気がする」は印象論だ。数字で見る。

Global Trade Alert(ザンクトガレン大学)によれば、世界の有害な貿易政策介入は2017年に年間約600件だった。それが2022~2024年は毎年3,000件を超えている。7年で5倍。しかも中身が違う。冷戦期のココム規制は「東側には売らない」の一語で済んだ。いまは同じ相手国に対して、先端半導体は禁止、汎用品は許可、EVには関税、バッテリー素材は輸入――層状の選択的制限だ。どのルールがいつ変わるか読めないこと自体が、投資判断のコストになっている。

金融の内部にも変化がある。IMFのCOFER統計によると、外貨準備に占めるドル比率は2001年の約71%から2025年第3四半期に約57%へ低下した。ただしIMF自身が指摘する通り、為替変動で見かけ上シェアが縮む評価効果には注意が要る。「脱ドル」の速度は見出しほど速くない。

一方で金(ゴールド)の動きは明快だ。中央銀行の購入量は2022年に1,136トン、2023年に1,037トン、2024年に1,045トンと三年連続で1,000トンを超えた。2025年は863トンとやや減速したが、2015~2019年の平均(400~500トン)を大きく上回る。世界金協会によれば2025年の総需要は初の5,000トン超、金額で5,550億ドル。金価格は年内に53回の最高値を更新し、2026年初頭には5,000ドル前後を推移している。2022年のロシア外貨準備凍結が「ドル建て資産は止められうる」という恐怖を世界中に植えつけた。金は誰の負債でもなく、制裁で凍結できない。「非同盟の資産」への逃避は、地政学リスクのヘッジそのものだ。

惑星が引き裂かれる

三体問題で最も過酷な目に遭うのは、恒星ではなく、その間を漂う惑星だ。

日本は中国との経済的引力と、アメリカとの安保の引力に同時にさらされている。英国はBrexitでEUの重力圏から離脱し、単独で米中の揺れを受けやすくなった。カナダはアメリカに近すぎるがゆえに政策変動の衝撃を直接浴びる。IMFの2026年1月見通しではカナダの成長率は1.5%に下方修正された。

ここで第三極の台頭が効いてくる。米中二極なら「どちらに寄るか」の二択だ。痛いが有限だ。ところが第三の重力源がスイング可能な質量を持つと、大国は「渡すわけにいかない」と囲い込みに走る。補助金、アクセス、制裁免除の条件競争が始まる。中小国は安保ではA、貿易ではB、規制ではC、資源ではDと、争点ごとにパートナーを切り替えざるを得なくなる。そしてこの「争点別最適化」は国内政治にも波及する。安保重視と産業保護と消費者物価の利害が案件ごとに衝突し、長期戦略が短期政治に飲まれやすくなる。

冗長性の代償

中堅国の対応は似通っている。日本の経済安全保障推進法、英国のNational Security and Investment Act、カナダのInvestment Canada Act強化。どれも「すべて遮断」ではなく「致命的な領域だけ柵を高くし、残りは回す」設計だ。G7広島サミットの「デカップリングではなくデリスキング」がこの実務感覚を言語化した。

企業や国がやっていることを金融の用語で整理すれば、これはオプション購入というよりも、アロケーションによるヘッジ――つまりポートフォリオの分散に近い。供給網の二重化、在庫の積み増し、代替ルートの確保。どれも実行した時点で資本がコミットされる沈没コストであり、「行使しなければプレミアムを失うだけ」というオプション的な非対称ペイオフではない。TSMCの熊本工場は、建ててしまえば使おうが使うまいがコストが発生する。冗長性の確保は、効率を犠牲にして耐久性を買う行為だ。だが、その代償は最終的に製品価格に転嫁され、消費者が払う。マクロでは構造的インフレ圧力になる。しかも二重調達や法域分散ができるのは体力のある大企業に限られ、中小企業との格差が開く。「冗長性という保険」が社会に均等に配分される保証はない。

悲観一色ではない

物理学の三体にも安定解はある。二つの恒星がペアを組み、三つ目が十分離れていれば系は安定する。日米欧がひとつの重力源として振る舞えば、構図は擬似的な二体問題に近づく。1970年代の米ソ中三角外交では、中ソ対立を梃にニクソンが中国に接近し、弱い側に交渉カードが生まれた。いまグローバルサウスが米中双方から好条件を引き出しているのも、構造としては同じだ。競争が技術革新を加速する面もある。中国のEV攻勢が欧米のグリーン投資を押し上げた。太陽がひとつの世界では、それが壊れればすべてが凍る。重力源が複数あること自体は、長い目で見れば生存確率を高める条件にもなる。

IMFの2026年1月見通しでは世界成長率が3.3%に上方修正された。AI投資の力強さや企業の適応力が予想以上だったためだ。世界は単調に沈んではいない。ただしIMF自身がAI投資バブルの反転、地政学的緊張の再燃、政府債務を下振れリスクに挙げている。方向が安定しないこと自体が、予測可能性の低下を映している。

予報精度が下がる世界

ここまでの話を一文にすれば、こうなる。問題の本丸は米中対立そのものではなく、第三極がスイング可能な質量を持ったことで、制度・供給網・決済・データの各層に「整合性の赤字」が静かに積み上がっていること。目に見える崩壊ではない。見えにくい摩擦の蓄積だ。

天気予報の精度そのものが下がっている――いまの世界経済を一番正確に言い当てるのは、たぶんこの一文だろう。嵐が来るかどうかではなく、予報が当たりにくくなっていること自体が、すでにコストになっている。

主な参照データ:
IMF, World Economic Outlook Update, January 2026 / IMF, "Geopolitics and its Impact on Global Trade and the Dollar" (Gopinath, 2024) / IMF, COFER Q3 2025 / Global Trade Alert / WEF (2025) / Global Trade Alert, G20 Trade Policy Factbook 2025 / World Gold Council, Gold Demand Trends Full Year 2025 / IMF, "The Costs of Geoeconomic Fragmentation" (2023)

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