ユニクロが「高級ブランド」になる国、ならない国
同じユニクロの服を着ていても、ある国では「大衆」に見え、別の国では「富裕層」に見える。ブランドが変わったわけではない。変わったのは、その服の値段が刺さる所得分布の位置だ。
2026年3月、Bloombergの記事がユニクロのインド戦略を「more affluent shoppers(より裕福な消費者)をターゲットに」と報じたのを目にした。日本からこの見出しを読むと違和感がある。ユニクロは手頃な日常着の代名詞だからだ。だが、この違和感こそが国ごとの購買力の差を映し出している。グローバル企業の価格設定は、その国の「中間層」がどれほどの厚みを持っているかを、残酷なほど正確に可視化する。
インドの中間層はどこにいるのか
ブルッキングス研究所の推計によれば、アジアの中間層は2020年時点で約20億人、2030年までに35億人に達する見通しだ。巨大な数字である。では、その「中間層」とは誰か。
国際的な定義では、購買力平価ベースで1日12〜120ドルの消費支出がある層を指す。問題は、この幅が広すぎることだ。下限の12ドル付近で暮らす人は、スマートフォンこそ持てるようになったが、衣料品に数千ルピーを使う余裕はない。インドで急増している中間層の大部分はこの下位〜中位に集中しており、ユニクロの価格帯が「日常着」になる層ではない。
だからユニクロのインド戦略は、ピラミッドの上のほう——可処分所得に余裕のある都市部の消費者——に絞り込まれる。2026年3月時点でインド国内の店舗数は18。出店先はデリー、ムンバイ、ベンガルールの高級モールだ。
一方、ピラミッドの中〜下位を掴んでいるのが、タタ・グループ傘下のZudio(ズディオ)である。2025年3月時点で765店舗、235都市に展開。商品の大半が300〜1,000ルピー(約500〜1,700円)に収まり、インドのアパレルブランドとして初めて年間売上10億ドルを突破した。
18対765。この差は、どちらが優れているかの話ではない。同じ「インドの中間層」という言葉が、グローバル価格で買える層と、現地価格でしか買えない層に分かれているという事実を示している。
ブランドの格付けを決めるもの
ブランドの「格」を決めているのは、商品の質ではない。価格が所得分布のどこに刺さるか、だ。ユニクロの品質はインドでも日本でも同じである。だが同じ価格帯でも、所得分布の上位に位置する国ではプレミアムに映り、中央に位置する国では大衆向けに見える。
この見方を日本に持ち帰ると、少し不穏な風景が見えてくる。
MM総研が公表する「iPhone指数」という指標がある。iPhoneの価格をその国の平均所得で割っただけのシンプルな数字だが、グローバル財の負担感を直感的に測れる。値が小さいほど負担が軽い。
2025年9月時点で、日本のiPhone 17の絶対価格は39カ国中2番目に安い。Appleは日本の購買力を見抜いて価格を相当に抑えている。それでも、所得に対する負担を示すiPhone指数は2.59%で39カ国中23位だ。2013年には1.82%だったから、12年間でじわじわ重くなった計算になる。同じ期間のアメリカは1.04%から1.12%へと、ほぼ横ばい。背景には日米の平均所得の伸びの差がある。アメリカ約1.7倍に対し、日本は約1.1倍。この差がそのまま指数に反映されている。
グローバル企業は、日本市場の購買力低下をとうに織り込んでいる。Appleの「世界2位の安値設定」がその証拠だ。では、ユニクロはどうか。日本ではまだ大衆向けの価格帯に収まっている。だが、実質賃金が4年連続で減り続ける環境で、その前提がいつまで成り立つのかは自明ではない。
名目の幻と実質の重さ
2025年の名目賃金は前年比2.3%増。2%台が2年連続するのは1992年以来、33年ぶりだ。数字だけ見れば明るい。
だが、消費者物価は3.7%上昇している。差し引きすれば実質賃金は1.3%減。これで4年連続のマイナスだ。給料の伸びが物価に追いつかない状態が、もう4年続いている。
インドの構造と重ねてみると、見え方が変わる。インドでは「中間層が20億人いる」と言っても、グローバル価格帯の商品を日常的に買える層は上位の一部に限られていた。日本では「賃金が33年ぶりの伸び」と言っても、実質購買力は縮んでいる。どちらも、マクロの数字が示す明るさと、個々の消費者が直面する現実との間にギャップがある。
「安い国」だが「余裕の薄い国」
先進国の中で日本は、物価ではなく所得の伸びが長期にわたって鈍化した結果、グローバル財の相対負担がじわじわ重くなる市場になった。企業はそれに気づいている。廉価モデルを投入し、中古流通を整備し、残価設定型の分割払いを標準にしている。
インドの消費者がZudioに向かうのと、日本の消費者が中古iPhoneや48回払いに向かうのは、所得水準こそ違え、「グローバル価格帯からの静かな後退」という点で構造が同じだ。
ユニクロが「大衆ブランド」である国と「プレミアムブランド」である国が共存している。その境界線を引いているのはブランド戦略ではなく、価格が所得分布のどこに刺さるかだ。日本ではまだユニクロは大衆向けに踏みとどまっている。
だが、その足場になっている購買力が、少しずつ沈んでいることは事実である。踏みとどまれなくなったブランドが日常の風景から消えるとき、どう感じるだろうか。かつて隣にいた友人が、いつの間にか遠い世界の住人になるような。ブランドとの距離には、考えさせられるものがある。
#思い出の服
2026年3月、Bloombergの記事がユニクロのインド戦略を「more affluent shoppers(より裕福な消費者)をターゲットに」と報じたのを目にした。日本からこの見出しを読むと違和感がある。ユニクロは手頃な日常着の代名詞だからだ。だが、この違和感こそが国ごとの購買力の差を映し出している。グローバル企業の価格設定は、その国の「中間層」がどれほどの厚みを持っているかを、残酷なほど正確に可視化する。
インドの中間層はどこにいるのか
ブルッキングス研究所の推計によれば、アジアの中間層は2020年時点で約20億人、2030年までに35億人に達する見通しだ。巨大な数字である。では、その「中間層」とは誰か。
国際的な定義では、購買力平価ベースで1日12〜120ドルの消費支出がある層を指す。問題は、この幅が広すぎることだ。下限の12ドル付近で暮らす人は、スマートフォンこそ持てるようになったが、衣料品に数千ルピーを使う余裕はない。インドで急増している中間層の大部分はこの下位〜中位に集中しており、ユニクロの価格帯が「日常着」になる層ではない。
だからユニクロのインド戦略は、ピラミッドの上のほう——可処分所得に余裕のある都市部の消費者——に絞り込まれる。2026年3月時点でインド国内の店舗数は18。出店先はデリー、ムンバイ、ベンガルールの高級モールだ。
一方、ピラミッドの中〜下位を掴んでいるのが、タタ・グループ傘下のZudio(ズディオ)である。2025年3月時点で765店舗、235都市に展開。商品の大半が300〜1,000ルピー(約500〜1,700円)に収まり、インドのアパレルブランドとして初めて年間売上10億ドルを突破した。
18対765。この差は、どちらが優れているかの話ではない。同じ「インドの中間層」という言葉が、グローバル価格で買える層と、現地価格でしか買えない層に分かれているという事実を示している。
ブランドの格付けを決めるもの
ブランドの「格」を決めているのは、商品の質ではない。価格が所得分布のどこに刺さるか、だ。ユニクロの品質はインドでも日本でも同じである。だが同じ価格帯でも、所得分布の上位に位置する国ではプレミアムに映り、中央に位置する国では大衆向けに見える。
この見方を日本に持ち帰ると、少し不穏な風景が見えてくる。
MM総研が公表する「iPhone指数」という指標がある。iPhoneの価格をその国の平均所得で割っただけのシンプルな数字だが、グローバル財の負担感を直感的に測れる。値が小さいほど負担が軽い。
2025年9月時点で、日本のiPhone 17の絶対価格は39カ国中2番目に安い。Appleは日本の購買力を見抜いて価格を相当に抑えている。それでも、所得に対する負担を示すiPhone指数は2.59%で39カ国中23位だ。2013年には1.82%だったから、12年間でじわじわ重くなった計算になる。同じ期間のアメリカは1.04%から1.12%へと、ほぼ横ばい。背景には日米の平均所得の伸びの差がある。アメリカ約1.7倍に対し、日本は約1.1倍。この差がそのまま指数に反映されている。
グローバル企業は、日本市場の購買力低下をとうに織り込んでいる。Appleの「世界2位の安値設定」がその証拠だ。では、ユニクロはどうか。日本ではまだ大衆向けの価格帯に収まっている。だが、実質賃金が4年連続で減り続ける環境で、その前提がいつまで成り立つのかは自明ではない。
名目の幻と実質の重さ
2025年の名目賃金は前年比2.3%増。2%台が2年連続するのは1992年以来、33年ぶりだ。数字だけ見れば明るい。
だが、消費者物価は3.7%上昇している。差し引きすれば実質賃金は1.3%減。これで4年連続のマイナスだ。給料の伸びが物価に追いつかない状態が、もう4年続いている。
インドの構造と重ねてみると、見え方が変わる。インドでは「中間層が20億人いる」と言っても、グローバル価格帯の商品を日常的に買える層は上位の一部に限られていた。日本では「賃金が33年ぶりの伸び」と言っても、実質購買力は縮んでいる。どちらも、マクロの数字が示す明るさと、個々の消費者が直面する現実との間にギャップがある。
「安い国」だが「余裕の薄い国」
先進国の中で日本は、物価ではなく所得の伸びが長期にわたって鈍化した結果、グローバル財の相対負担がじわじわ重くなる市場になった。企業はそれに気づいている。廉価モデルを投入し、中古流通を整備し、残価設定型の分割払いを標準にしている。
インドの消費者がZudioに向かうのと、日本の消費者が中古iPhoneや48回払いに向かうのは、所得水準こそ違え、「グローバル価格帯からの静かな後退」という点で構造が同じだ。
ユニクロが「大衆ブランド」である国と「プレミアムブランド」である国が共存している。その境界線を引いているのはブランド戦略ではなく、価格が所得分布のどこに刺さるかだ。日本ではまだユニクロは大衆向けに踏みとどまっている。
だが、その足場になっている購買力が、少しずつ沈んでいることは事実である。踏みとどまれなくなったブランドが日常の風景から消えるとき、どう感じるだろうか。かつて隣にいた友人が、いつの間にか遠い世界の住人になるような。ブランドとの距離には、考えさせられるものがある。
#思い出の服
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