無料で得たその情報、脳はその後にコストを払う
「無駄な情報なんてない」と言われると、なんとなく正しい気がする。知識は多いほうがいいし、知らないより知っていたほうが得だと。でも、ちょっと立ち止まって考たい。その情報、身体がどれだけのコストを払って処理しているか。
人間の脳は体重のおよそ2%しかない。にもかかわらず、身体全体のエネルギーの約20%を消費している。1日あたりおよそ260キロカロリー。そのエネルギーの約75%は、情報の処理——神経信号の送受信——に使われている。脳は「考える臓器」である以前に、相当な量のエネルギーを食うインフラだ。
ここまでは、なんとなく知っている人もいるだろう。では、こういう問いはどうだろう。忘れるのにも、エネルギーがいる。これは比喩ではない。
起きている間、脳のシナプス(神経細胞同士の接続点)はどんどん強化されていく。何かを見た、聞いた、読んだ。そのたびにシナプスの結合が太くなる。これが記憶の物理的な過程だ。
問題は、この強化がずっと続くと脳が飽和することにある。接続が太くなりすぎると、ノイズと信号の区別がつかなくなる。エネルギー消費も増える一方。だからどこかで「リセット」が必要になる。
ウィスコンシン大学のトノーニとチレッリが2003年に提唱した「シナプス恒常性仮説」は、このメカニズムを説明している。起きている間にシナプスが全体的に強まり、睡眠中にそれを元のレベルまで弱める。睡眠とは、脳が日中に蓄積した「接続の過剰」を刈り込む作業時間だということになる。彼らの表現を借りれば、「睡眠は可塑性の代償」だ。
毎日シナプスがひたすら強化され続けたら何が起こるか。脳は代謝的にどんどん「高コスト」になり、新しいことを覚える余地がなくなる。睡眠は、その余地をつくる作業だ。
寝ている間、情報は「洗われている」
もうひとつ、睡眠中の脳が行っているとされる作業がある。老廃物の除去だ。
2012年にロチェスター大学のネーデルガードらが発見した「グリンファティック系」は、脳の血管周囲の空間を通じて脳脊髄液を流し、老廃物を排出する仕組みだ。いわば脳の排水システム。2024年にオレゴン健康科学大学がヒトで初めて直接的に存在を確認した。
ただし、同じ2024年にNature Neuroscience誌では、脳のクリアランスが睡眠中にむしろ低下するというマウスの研究も出ている。科学はまだ動いている。それでも、睡眠が脳の代謝メンテナンスに関わっていること自体は多くの研究が支持している。2026年のNature Communications誌に掲載された臨床試験では、通常の睡眠をとった参加者のほうが翌朝の血漿中にアルツハイマー関連バイオマーカーが多く検出された。睡眠中に脳からこれらの物質が排出されていることを示唆する結果だ。
脳は寝ている間に洗浄される——あるいは少なくとも、何らかの「掃除」が行われている可能性が高い。「休んでいる」のとは違う。積極的なメンテナンスだ。
では、私たちは脳に何を流し込んでいるのか
ここで、日常に目を向けてみる。
2008年のカリフォルニア大学サンディエゴ校の研究では、一人の人間が1日に受け取る情報量はおよそ34ギガバイト、約10万5000語と推計された。2025年現在、スマホの平均スクリーンタイムは1日約4時間37分。全デバイス合計で約6時間40分。1日のデジタルインタラクション数は、2010年の298回から2025年には4,909回に達する見通しだ。16倍。
通知は平均で1日46~65回。Z世代は181回、8分に1回。通知で作業が中断されると、元の集中に戻るまで平均23分かかるという。
興味深いのは、何かに集中しているときの脳のエネルギー消費が安静時と比べてわずか5%しか増えないことだ。筋肉なら歩くだけで3~4倍になるのに。なぜか。脳のエネルギーの大部分はそもそも「常時オン」の維持コストだからだ。情報を入れること自体はそれほどコストが高くなくても、入れたものを整理し、不要なものを刈り込み、老廃物を流す——そちらにこそ、身体は大きなコストを払っている。
「入れるコスト」より「捨てるコスト」
スマホを開くこと自体は軽い。指先のスワイプひとつ。ツイートを読むのに1秒、広告が目に入るのに0.5秒。入力の瞬間だけを見れば、情報はほぼ「無料」に見える。
だが、その情報はシナプスに書き込まれる。意識していようがいまいが、脳は入力された信号を処理する。そして夜、脳はその日に太くなったシナプスの結合をひとつひとつ査定し、不要なものを弱めていく。並行して老廃物が洗い流される。
情報を入れるのは安い。でも、忘れるのは高い。
エントロピーを下げるにはエネルギーがいる。乱雑に強化されたシナプスを整理してベースラインに戻すこと自体が、エネルギーを消費する過程だ。毎日数時間を睡眠に費やし、寝ている間も脳が熱を出し続けているのは、そういう作業が行われているからだ。
「情報を取り入れる」という行為は、純粋に認知的な営みだと思われがちだ。だが実際には身体的な営みだ。脳は臓器であり、シナプスの変化は物理的な過程であり、老廃物の排出は体液の流れに依存している。情報の処理は「頭の中」で完結しているのではなく、エネルギー代謝、睡眠、体液循環という身体のインフラに支えられている。
情報は無料じゃない。あとで捨てればいい、忘れればいいで済むとは限らない。入れるだけなら軽く見えても、脳はその後にコストを払う。
今読んでるこの文章にも、かかっている。
※本稿で言及した研究の多くは現在も検証が続いており、確定的な結論ではない。
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