アイスランドはEUに入るのか

2026年2月25日、アイスランドのフロスタドッティル首相がワルシャワで、EU加盟交渉を再開するかどうかの国民投票を「今後数か月以内に」行うと表明した。問われるのは「加盟するかどうか」ではない。「交渉を再開するかどうか」だ。見積もりを取り直すかどうか、という段階にすぎない。

だが、見積もりの意味が以前とは変わっている。2000年代にEUに接近したとき、EUは「成長クラブ」だった。単一市場に入れば経済が伸びるという期待が求心力の中心にあった。いまアイスランドが再接近しているEUは、むしろ「保険の共同体」に近い。通貨の安定、金融のセーフティネット、安全保障、ルール形成への参加権。どれも平時にはなくても回るが、危機のときに効く。アイスランドの迷いは、保険料――すなわち主権の一部移転――を払うかどうかの選択として読んだ方がわかりやすい。

なぜ今なのか――保険の価値が急に上がった

アイスランドとEUの縁は意外に長い。2008年の金融危機の翌年に加盟申請し、2012年末までに全33分野のうち11分野を暫定クローズしていた。だが政権交代で交渉は凍結され、2015年には「候補国扱いをしないでほしい」とEU側に要請。事実上、保険の検討をやめた形だ。

それから10年以上、なぜまた動き出したか。変わったのは地政学だ。ウクライナ戦争の長期化、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟。そこにアメリカの動きが重なる。トランプ政権はグリーンランド取得を公然と主張し、軍事力の行使すら排除していない。2026年1月には次期駐アイスランド大使に指名されたビリー・ロング元下院議員が「アイスランドは52番目の州」と発言し、数千人規模の大使拒否署名が集まった。公式な併合計画ではない。だが隣のグリーンランドに対する強硬姿勢が続く文脈で、冗談の受け止め方は変わる。人口40万の小国にとって、保険の再検討を迫る具体的な圧力だ。

保険に入ると何が増えるか

アイスランドは1994年からEEA(欧州経済領域)に参加し、2001年にシェンゲン協定を全面実施している。人の移動は自由、EU規制の大部分を国内法に取り込んでおり、日常の見た目は「ほぼEU」だ。では正式に加盟すると何が増えるか。

まず、ルール形成の席。EEA参加国はEUの規制を受け入れるが、欧州議会や理事会での投票権がない。ブリュッセルで決まったルールをそのまま飲むだけの立場を「ファックス民主主義」と呼ぶ。平時は我慢できるが、安全保障や通商で大きな判断が迫られる局面では「席がない」こと自体がコストになる。

次に、通貨と金融のバックストップ。アイスランド・クローナは人口40万の経済が裏づけの小さな通貨で、為替変動が激しい。中銀は高金利を維持せざるを得ず、2026年2月の政策金利は7.25%。1月のインフレ率は5.2%で目標の2.5%を大きく超え、住宅関連は前年比7.2%、食料品5.8%上昇。失業率も労働力調査で7.3%と上昇傾向にある。一人当たりGDPが名目で約10万ドル規模の高所得国でありながら、家計への圧力は具体的だ。ユーロ圏に入れば為替リスクが消え、金利環境は構造的に安定する。それ自体が大きな保険機能だ。

保険料の中身――何を失うか

ただし「EU加盟=即ユーロ導入」ではなく、加盟後もERM II参加など段階を踏む。そして保険はタダではない。

最大の保険料は漁業だ。漁業と農業はEEA協定に含まれていない。アイスランドは自国水域の漁獲枠を完全にコントロールしており、EU加盟で共通漁業政策との整合が求められれば漁獲枠の再配分が避けられない。前回の交渉が頓挫した最大の原因もここだ。漁業は経済問題であると同時に主権の象徴でもあり、最終局面で世論が反転しやすい。

もう一つの保険料は通貨主権そのものの放棄だ。ユーロ導入まで進めば銀行同盟の監督・破綻処理枠組みに入り、金融政策の自由度と引き換えに安定を得る。2008年の危機でアイスランドの銀行が破綻したとき、中銀の外貨建て最後の貸し手機能の限界が露呈した。ユーロ圏ならその問題は緩和されるが、代わりに規律と共同責任のルールに縛られる。保険に入れば万能、という話ではない。

世論は割れている

2025年3月のGallupで加盟賛成44%、反対36%。2024年6月のMaskínaで賛成54%。しかし2026年初頭のGallupでは賛否42%対42%で完全に拮抗。調査の時期と質問設計で数字がかなり振れる。「交渉再開の可否」は「加盟の可否」より心理的ハードルが低く、再開が可決される可能性は相応にある。ただしその先の最終承認で、漁業権がどうフレーミングされるかによって世論は大きく動き得る。

仮に再開が可決されても、2027年の加盟は手続き上不可能だ。申請から加盟までの過去の平均は約9年。交渉妥結後にアイスランド側の二度目の国民投票とEU全27か国の議会批准が必要で、すべて順調でも2030年前後が現実的な見通しだ。

保険の共同体としてのEU

アイスランドの議論が映しているのは、EU自身の変化でもある。EUはもはや単一市場と規制の装置ではなく、危機対応と安全保障の比重が増した共同体になった。アイスランドが再接近しているのは「ユーロが魅力的だから」というより、「EUの機能が変わったから」だ。

論点は経済政策ではなくリスク管理の再設計にある。保険の見積もりを取り直す国民投票がいつになるかはまだ流動的で、外相は「夏前に法案提出」と述べつつ日程は未定。答えが出るまでにはまだ何段階かの手続きと、少なくとも数年の時間がかかる。

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