トランプ関税は違法——最高裁が止めたもの、止められなかったもの
2026年2月20日、連邦最高裁は6対3で、トランプ大統領が国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠に課してきた包括関税を「違法」と断じた。ロバーツ長官の多数意見は明快だった。「IEEPAは大統領に関税を課す権限を与えていない」。知らせを受けた大統領は州知事との会談中に「disgrace」とだけ言い、退室した。
第二次トランプ政権が保守派最高裁から受けた最も重い敗北だと報じられている。だが立ち止まって考えてみる。何が本当に変わったのか。何が変わっていないのか。そしてなぜ、市場はこの「歴史的」判決に対して拍子抜けするほど冷静だったのか。
何が争点だったか
出発点は2025年4月の「解放記念日」だ。トランプ大統領は世界中の貿易相手国に一律10%以上、中国には最大145%の関税を課した。根拠はIEEPA——1977年制定の、国家緊急事態において大統領が外国との取引を「規制(regulate)」できるとする法律だ。政権はこの「規制」に関税賦課の権限が含まれると主張した。しかし条文に「tariff」や「duty」という語はどこにもない。
ロバーツ長官はこう退けた。「議会が関税賦課の権限を与えるとき、それは明示的に、慎重な制約とともに行う。ここではそのどちらもない」。条文にない巨大な権限を読み込むことはできない、と。
「身内」が反対した理由
トランプ任命のゴーサッチ、バレット両判事が政権に反対票を投じた。裏切りに見えるかもしれないが、保守法学の文脈では筋が通る。テキスト主義(条文に忠実に解釈する)と三権分立の厳格な維持——これが保守派の核心だ。憲法第1条は課税権を議会に付与している。行政府が「緊急事態」で事実上の課税権を得ることは、その構造を溶かす行為にあたる。
もうひとつ。政権の解釈を認めると、既存の通商法がすべて形骸化する。たとえば1974年通商法122条は上限15%・最大150日という制約つきで関税を認めているが、IEEPAにそうした制限はない。「IEEPAで何でもできる」なら、議会が設計した他の法律の意味がなくなる。多数意見がこの制度設計の崩壊を嫌ったことは判決文から明らかだ。
ただし6人の多数派は理論的に二つに分かれている。ケイガン判事はリベラル派3人の補足意見で「通常の法律解釈だけで十分。重大問題の法理を持ち出す必要はない」と書いた。「重大問題の法理が通商分野にも一般化された」と読むのは早い。
数字で見る、止まったものの規模
Penn Wharton Budget Modelの判決当日の推計によると、IEEPA関税の累積税収は約1,750億ドルに達していた。2025年2月の8億ドルから始まり、2026年1月には月間約208億ドル。全関税収入に占めるIEEPAのシェアは52%——米国の関税収入の過半がIEEPAに依存していた。
イェール大学Budget Labの試算では、2025年の関税全体で平均家計の負担増は年間1,300〜1,700ドル。IEEPA撤廃でこれが約半分の600〜800ドルに下がるとされた。雇用面では、労働省統計によると2025年の製造業雇用は年間で約10万8,000人減。関税の恩恵を受けるはずだった製造業がむしろ雇用を削っていたという皮肉な構図だ。
1,750億ドルは戻るのか
多くの輸入業者がまず知りたいのは「払った金は返ってくるのか」だろう。最高裁は返金の可否も方法も判断していない。カバノー判事は反対意見で「返金プロセスはmess(混乱)になりかねない」と書いた。
実務上、輸入業者は国際貿易裁判所への個別手続きが必要になる見通しだ。すでに価格転嫁が行われている場合、「誰がいくら取り戻すか」も複雑になる。1,000社以上が法的手続きに入ったとされるが、資金回収には年単位かかるというのが実務家の見方だ。1,750億ドルは「権利としては開いたが、キャッシュフローとしてはまだ動かない」。
市場が動かなかった理由
判決当日のS&P 500は0.7%高、ダウは0.3%高。ナスダックが1.1%上昇したが、朝方のGDP統計(Q4成長率が予想2.5%を下回る1.4%)を受けた下落を帳消しにした程度だった。Wayfairが5%超上昇するなどセクター単位の反応はあったが、指数全体を動かす衝撃にはならなかった。
JPモルガンが判決前に出したシナリオ分析が手がかりになる。「関税が違法判決→政権が代替法で即時再導入」の確率を64%と見積もり、その場合のS&P 500は一時+0.75〜1.0%スパイク後、+0.1〜0.2%に収束するとしていた。実際の動きはこのシナリオにほぼ沿っている。市場が織り込んでいたのは「IEEPAは潰れるが関税は形を変えて残る」というストーリーであり、判決はそれを追認しただけだった。
代替ルートの制約
IEEPAの特徴は、対象国・品目・税率・期間を大統領の一存で無制限に決められることだった。残る選択肢はどれも「縛り」つきだ。1930年関税法338条は最大50%だが相手国の「差別」の立証が必要。1974年通商法122条は上限15%・最大150日。232条(安全保障関税)は商務省の事前調査が義務づけられる。「明日から世界中に50%」は再現できない。
ただし、232条に基づく自動車25%、半導体25%、銅50%といった関税は判決の射程外でそのまま残る。IEEPA関税が全体の約半分だったということは、残り半分はまだ生きている。
変わったもの、変わらないもの
変わったのは、大統領の通商権限の「天井」だ。IEEPAを使った無制限の関税という白紙委任状が消えた。「突然かつ巨額の関税を全方位に課す」という脅しの実効性は構造的に下がる。諸外国は、米大統領が即座に広範な関税を発動できないことを知った。交渉カードの額面が下がった。
政策ショックの「時間軸」も変わった。IEEPAのもとでは、SNS投稿ひとつで翌日の税率が変わり得た。代替法では調査・通知・期間制限というプロセスが介在する。企業のヘッジや調整に使える時間は増える。テールリスクが小さくなり、不確実性のピークが下がる——そういう変化だ。
変わらないのは、保護主義的な政策インセンティブそのものだ。トランプ大統領は判決直後に「プランBがある」とシグナルを出した。カバノー判事も「本判決がIEEPA以外の文脈で大統領の関税権限を大きく制限するとは考えにくい」と書いている。
判決の翌日に残る問い
三権分立が機能した事例として語られるだろう。大統領が任命した判事がその大統領の権限行使を止めた。条文解釈という地味な作業が数千億ドル規模の政策に歯止めをかけた。制度の自己修正能力は、少なくともこの一件では作動した。
同時に、制度が修正したのは「手段」であって「意思」ではない。通商政策への政治的需要は消えていない。代替法という迂回路は開いている。1,750億ドルの返金問題は下級審で何年もかけて処理される。
マーケットが金曜日に見せた控えめな反応は、この構図を正確に映している。何かが終わったのではなく、ルールが書き換わっただけだ。次の手を見るまで確信的な賭けはできない——と。
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