「稼いでも追いつかない」が続いた国の現在地
スーパーで米を買うとき、値札を二度見した経験はないだろうか。
2026年の日本で「生活が苦しい」と感じている人は、少数派ではない。日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」をはじめ複数の調査で、国民の8割以上が物価高を強く実感していると回答している。だが「苦しい」という感覚は主観だ。隣の人も苦しいかもしれないし、自分だけが苦しいのかもしれない。感情論に流されず、まず数字で何が起きているのかを確認してみたい。そして、同じ先進国であるG7の他の国々と比べたとき、日本の苦しさはどこが共通で、どこが「特殊」なのかを見ていく。
実質賃金──「稼いでも追いつかない」が4年続いた
生活の豊かさを最も端的に表す指標がある。実質賃金だ。名目の賃金(額面で受け取る金額)から物価の変動を差し引いた、いわば「そのお金で実際にどれだけモノが買えるか」を表す数字である。
2025年の確報値はこうだった。名目賃金(現金給与総額)は前年比+2.3%。一見すると増えている。ところが消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)は+3.7%で上昇した。差し引きすると、実質賃金指数は前年比−1.3%。稼ぐ額が増えても、買えるモノの量は前の年より減った。厚生労働省「毎月勤労統計」の年報が、これを示している。
そしてこれが、2022年から4年連続なのだ。「33年ぶりの高水準の賃上げ」という見出しがニュースを飾った。それでも物価に追いつけなかった。なぜか。賃上げが主に大企業で実現した一方、労働者の約7割を雇用する中小企業や非正規雇用の現場には、物価を上回るほどの賃上げが十分に波及しなかったからだ。
これは何を意味するか。がんばって働いて、昇給もあった。なのに暮らし向きは前より厳しい。この理不尽な感覚には、ちゃんと統計的な裏付けがある。「気のせい」ではない。
では、食卓の話をしよう。2025年、家計に最も大きな衝撃を与えたのは米の価格だった。2024年夏の供給不安(「令和の米騒動」と呼ばれた)の余波が長引き、米類の小売価格は統計開始以来の大幅な上昇を記録した。食費は削ろうにも限界がある支出だ。特に低所得世帯では、支出に占める食費の割合(エンゲル係数)が跳ね上がり、教育費や交際費──いわば「将来への投資」と「心のゆとり」の部分──を削らざるを得ない状態が広がっている。
所得の中央値──25年で140万円、静かに沈んだ
実質賃金は「今年と去年の比較」だ。では、もう少し長い時間軸で見るとどうなるか。
厚生労働省「国民生活基礎調査」の長期系列データに、所得金額の中央値がある。中央値とは、全世帯を所得順に並べたときのちょうど真ん中の値だ。一部の富裕層に引っ張られる平均値よりも、「普通の家庭」の実態をよく映す。
1995年、この中央値は550万円だった。2023年の最新値(国民生活基礎調査、2024年公表)は410万円。28年間で140万円下がった。年あたり5万円ずつ、月にすれば4,000円ほどずつ、誰にも気づかれないくらいの速度で、「真ん中の暮らし」が痩せていった計算になる。
月4,000円。それだけなら「誤差」と感じる人もいるだろう。だが、それが四半世紀にわたって一方向に積み重なった結果、「普通の暮らし」の中身は静かに、しかし決定的に変わった。
これと連動して、年収400万円未満の世帯の割合が増えている。かつて約34%だったこの層は、近年では49%近くに膨らんだ。「一億総中流」という言葉が使われた時代があった。あの言葉がリアリティを持っていた頃と今とでは、「真ん中」の位置そのものが下がっている。かつての中間層が下に移動し、「400万円の壁」の手前に溜まっている。この変化は、なにか一つの事件によって起きたのではない。非正規雇用の拡大、グローバル競争、少子高齢化による社会保障の負荷──複数の構造的要因が、長い時間をかけてじわじわと効いた結果だ。
国民負担率46.2%──「見えない天引き」の重さ
年収400万円という数字は、額面だけ見れば極端に少ないわけではないかもしれない。だが、ここにもう一つの要素が加わると景色が変わる。
額面の給与から税金と社会保険料が引かれる。この公的負担の合計が所得に対してどれくらいの割合かを示すのが国民負担率だ。財務省の発表によると、2025年度の国民負担率(租税負担+社会保障負担)の見通しは約46.2%である。
所得のほぼ半分が、税と社会保険料に消える構造だ。額面400万円の手取りが、かつての300万円台前半の購買力に近い感覚になる。給料が上がったはずなのに楽にならない、という閉塞感の正体はここにある。
しかも社会保険料の上昇は現在進行形だ。高齢化の進行に伴い、年金・医療・介護の保険料は増え続けている。これが特に現役世代の可処分所得を直撃する。賃上げが物価に追いつかない上に、手取りに残る比率も下がっていく。二重の圧縮だ。
では、他の先進国はどうなのか
「物価が上がって生活が苦しい」のは日本だけの話だろうか。そんなことはない。G7各国も2022年以降、世界的なインフレの波に直面した。エネルギー価格、食料価格の上昇は程度の差こそあれ、どの国でも家計を圧迫した。
だが、その後の回復の速度が違う。
アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダ──これらの国々は、2023年後半から2025年にかけて、賃金上昇率が物価上昇率を追い越し始めた。つまり実質賃金がプラスに転じた。インフレの傷は残っているが、購買力は少しずつ戻りつつある。
日本は、2025年を終えてもまだ実質賃金がマイナスだった。2026年に入ってようやくプラス圏に浮上できるかどうか、という段階にいる。他のG7諸国が回復局面に入ったなかで、日本だけが「マイナスからの脱出に手間取っている」状況だ。
なぜ回復が遅いのか。要因は複合的だが、大きいのは二つある。一つは円安だ。他国が金利を引き上げて自国通貨を防衛したのに対し、日本は長く超低金利を維持したため円安が進行し、輸入物価(食料・エネルギー)の上昇が長期化した。もう一つは賃金交渉の構造だ。アメリカやイギリスではストライキを含む強い賃上げ圧力がある。日本は労使協調を基本とし、価格転嫁や賃金引き上げのペースが相対的に緩やかだった。
ただし、他国が順調かといえば、そう単純でもない。各国にはそれぞれ固有の「痛み」がある。カナダは住宅価格と家賃が暴騰し、移民増加による需要に供給が追いつかず、都市部では中間層ですらまともな住居を確保するのが困難になっている。イギリスは一時11%超のインフレを経験し、実質賃金はプラスに戻ったものの、跳ね上がった物価水準そのものが下がったわけではない。以前の生活を取り戻すには、物価上昇以上の賃上げが「蓄積」として効いてくるまで何年もかかる。アメリカは、マクロ経済の数字は先進国中で最も力強いが、その恩恵の分配は極端に偏っている。クレジットカードの延滞率は上昇を続けており、低所得層は借金で日常を回している。
要するに、「どこの国もそれぞれ辛い」のは事実だ。だが辛さの種類が違う。そして日本固有の問題は、「辛さが長期間、低温で持続する」という性格にある。急性の痛みではなく、慢性の鈍痛。だから慣れてしまい、異常を異常と感じにくくなる。
相対的貧困率──G7のなかの日本の位置
回復の速度に差があることはわかった。では、もっと根本的な問い──そもそも「貧しい人がどれだけいるか」──で各国を並べるとどうなるか。
生活の苦しさを国際比較するとき、よく使われるのがOECDの相対的貧困率だ。等価可処分所得の中央値の50%を下回る所得で暮らす人の割合を指す。わかりやすく言えば、「その国の"普通"の半分以下の所得しかない人がどれだけいるか」を測る指標である。注意が必要なのは、これはあくまで「その国の中での相対的な位置」を測るものであり、絶対的な生活水準(何が買えるか)を直接比較するものではない点だ。それでも、社会のなかの「分断の深さ」を把握するには有効な尺度だ。
OECDのデータ(Income Distribution Database、2025年12月版)でG7を並べると、こうなる。
| 国 | 相対的貧困率 | 子どもの貧困 | 高齢者の貧困 | 就業者の貧困 |
|---|---|---|---|---|
| アメリカ | 18.1% | 21.1% | 22.9% | 12.4% |
| 日本 | 15.4% | 11.5% | 20.0% | 10.4% |
| イギリス | 12.6% | 15.8% | 15.0% | 7.6% |
| イタリア | 12.6% | 14.5% | 12.3% | 9.6% |
| カナダ | 12.2% | 14.0% | 10.1% | 9.6% |
| ドイツ | 11.6% | 12.4% | 13.1% | 6.3% |
| フランス | 8.7% | 12.0% | 6.1% | 6.5% |
(OECD平均は11.2%。出所:OECD Income Distribution Database)
全体の貧困率で最も高いのはアメリカの18.1%。日本は15.4%で2番目に位置する。「日本だけが桁違いに貧困」というわけではないが、OECD平均の11.2%を大きく上回り、G7のなかで高い側にいるのは事実だ。
では、日本の「特殊さ」はどこにあるか。上の表で注目すべきは内訳の質だ。
日本は高齢者の貧困率が20.0%と高い。年金のマクロ経済スライド(物価や賃金の変動に応じて年金の給付水準を自動的に抑制する仕組み)により、年金の実質的な価値が長期的に目減りしていることが背景にある。
もう一つ、就業者の貧困率が10.4%である点。働いているにもかかわらず貧困ライン以下──いわゆる「ワーキングプア」の割合が、G7のなかでアメリカに次いで高い。「頑張って働けば報われる」という前提が、統計上、かなり揺らいでいることがわかる。フランスやドイツが6%台に抑えられているのと比べると、差は歴然としている。日本では「働いている」だけでは貧困の防波堤にならない。「どういう条件で働いているか」が決定的に効く。ここに、正規と非正規の二重構造の影響が色濃く出ている。
日本とアメリカ──「貧困の質」がまるで違う
G7で貧困率の1位と2位に並ぶ日本とアメリカだが、その中身はかなり異なる。
アメリカの貧困は、端的に言えば「落ちたときの衝撃が大きい」タイプだ。皆保険制度がないため、病気ひとつで数万ドルの医療費が請求される。破産原因のトップは常に医療費だ。ロサンゼルスやサンフランシスコの都市部にはテント村が常態化し、薬物問題と暴力犯罪が隣り合わせの環境がある。フードスタンプ(食料配給支援)がなければ食事にも困る層が数千万人規模で存在する。路上に可視化される苦しさ──これがアメリカの貧困の特徴だ。
一方で、アメリカは労働市場の流動性が高く、転職や起業による巻き返しの余地がある。最低賃金も州によっては時給20ドル近くまで上がっている。格差は激しいが、「上に抜ける可能性」も残されている社会だ。
では日本はどうか。路上のホームレスは相対的に少なく、皆保険と高額療養費制度で命に関わる事態は防がれやすい。飢餓で亡くなるケースも極めて稀だ。セーフティネットの「底」は、アメリカより確実に高い位置にある。
だが、日本の貧困には別の厄介さがある。見えにくいのだ。
清潔な服を着て、毎日出勤している人が、実は家で食事の回数を減らし、冷暖房を我慢し、冠婚葬祭や趣味を全て諦めている。貯蓄はゼロだが、外見からは貧困とわからない。非正規雇用で年収200万円台のフルタイム労働者が、制度上は「就業者」としてカウントされ、生活保護の対象からも外れやすい。
そして、金銭的な余裕のなさは社会的な孤立にもつながる。「お金がないから誘いを断る」を繰り返すうちに、人間関係が細る。頼れる相手がいなくなる。アメリカのような大規模なデモや暴動は起きない代わりに、個人が静かに社会との接点を失っていく。孤独死や、80代の親が50代の無職の子を養う「8050問題」は、この構造の帰結だ。
生活保護の捕捉率(受給資格がある人のうち実際に受給している人の割合)は、日本では2割程度と推計されている。制度としてのセーフティネットは存在する。だが、申請手続きのハードルの高さや心理的な抵抗から、利用されないまま放置されているケースが多い。制度はあるのに届かない、という問題だ。フランスの貧困率がG7で最も低い8.7%にとどまるのは、税負担は重いが、その分の社会保障(住宅手当、家族手当など)が厚く、貧困の「深さ」を浅くしているからだ。日本は負担率はフランスに近づいてきているのに、再分配の効果でこれほどの差がつく。この非対称は、議論に値するだろう。
まとめると、こういうことになる。アメリカの貧困は「転落したら地面が硬い」──衝撃は大きいが、可視化されるぶん社会問題として認識されやすい。日本の貧困は「地盤が少しずつ下がる」──衝撃は小さいが、本人も周囲も気づかないうちに抜け出せなくなる。どちらが辛いかは単純に比べられない。ただ、性質が根本的に違うということは、はっきりしている。
ひとり親世帯──日本の貧困の急所
日本の貧困を語るうえで避けて通れないのが、ひとり親世帯の問題だ。
日本のひとり親世帯の貧困率は44.5%前後で、OECD諸国のなかでも際立って高い。しかも他国と異なるのは、「親が働いている」のに貧困だという点だ。日本の母子世帯の就労率は約86%でOECD平均を大幅に上回る。それなのに貧困率が高い。就いている仕事の多くがパートや非正規雇用で、賃金水準が低いからだ。
他国では、ひとり親への現金給付が充実していたり、養育費の強制徴収の仕組みが整備されていたりする。日本はその両方が相対的に弱い。「働いて子どもを育てているのに貧困から抜け出せない」という構造は、親の経済状況が子どもの教育機会を制約し、それが次世代の所得に影響する──貧困の世代間連鎖に直結する。世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数で日本がG7最下位に沈んでいるのも、この雇用構造と無関係ではない。女性の非正規比率の高さが単身女性や母子家庭の貧困を構造的に規定している。
海外から見た日本──比較の軸が変わった
こうした変化は、外から見た日本の像にも影響している。
かつて「先進国のなかで中流層が厚い安定した社会」と見られていた日本だが、近年の国際的な文脈では「賃金と物価の関係が厳しい国」という語られ方が増えた。国際通貨基金(IMF)の2024年の対日協議報告は、数十年の低インフレの後に価格上昇が広範囲に及んだ点を分析している。OECDの同年の対日経済審査は、労働市場の二重構造(正規・非正規の格差)が生産性やジェンダー賃金格差にも影響すると指摘した。
これは「日本人が急に貧しくなった」という話ではない。海外の人が日本を見るときの比較軸が、「文化」や「治安の良さ」から「物価と賃金の実態」へ寄ってきた、という変化だ。訪日客の急増で日本社会に直接触れる海外の人が爆発的に増えたことも、この像の変化を加速させている。円安で「日本は安い」と感じて訪れる旅行者の存在そのものが、日本人の購買力が相対的に下がっていることの裏返しでもある。東京のホテルに一泊5万円を払う外国人観光客と、その5万円が月の食費の大部分にあたる国内のシングルマザーが、同じ街の同じ道を歩いている。この風景のコントラストは、数字が示す「相対的な位置の変化」を、日常の感覚として可視化する。
2030年──何が「ほぼ確実」で、何が「わからない」か
ここから先は予測の領域に入る。未来について語るとき大切なのは、「かなり確実に起きること」と「まだ振れうること」を分けることだ。2030年の話になると、途端に悲観論も楽観論も勢いを増す。だからこそ、何が「人口統計のように覆しようがない事実」で、何が「政策や技術次第で変わりうる変数」なのかを、意識的に切り分けたい。
ほぼ確実なことが一つある。高齢化率の上昇だ。内閣府の推計によれば、日本の65歳以上人口の割合は2030年前後に3割を超える。これは出生数と死亡数から決まるため、今から大きく覆ることはない。
もう一つ。労働力の不足だ。リクルートワークス研究所は2030年に約341万人の労働供給不足が生じると推計している(別の機関では644万人不足という数字もあり、幅はある)。数値のレンジは広いが、「構造的な人手不足が進行する」という方向性そのものは、ほぼ確実だ。
この二つが重なると、2030年の「生活の辛さ」は、今とは少し形が変わる可能性がある。
現在の辛さの主因は「物価と賃金のギャップ」──所得分配の問題だ。2030年にはそこに「サービスの供給制約」が加わる。医療、介護、物流、公共インフラの現場で人が足りなくなれば、たとえお金があっても必要なサービスを受けられない、あるいは著しく待たされるという事態が起きうる。地方では水道や道路のメンテナンスが遅れるエリアが出てくるだろう。
一方で、人手不足は賃金を押し上げる力にもなる。スキルを持つ人材への需要は高まり、職種や業界によっては大幅な賃金上昇が見込める。問題は、その恩恵が全体に行き渡るかどうかだ。代替が容易な仕事に就く層は人手不足の恩恵を受けにくく、上と下に二極化する「K字型」の分岐が進むリスクがある。
もう一つ、注視すべき集団がある。就職氷河期世代だ。2030年には50代後半から60歳に差しかかる。正規雇用に就く機会を逃し、資産形成が十分にできなかった層が、親の介護と自身の老後に同時に直面する。親の年金に依存して暮らしていた人が、親を失った後に一斉にセーフティネットを必要とする──そんなシナリオは、人口構成から見て十分にありうる。かつて「8050問題」と呼ばれた構造が、数年のうちに「9060問題」へ移行していく。
では、この先の日本で暮らすとは、どういう体験になるのだろうか。一つ想像してみてほしい。コンビニの24時間営業が縮小し、宅配便が翌日に届かなくなり、病院の予約が取りづらくなる日常を。それは「貧困」という言葉のイメージとは違うかもしれない。だが、「かつて当たり前だったことが当たり前ではなくなる」という意味で、生活の質は確実に変わる。人手不足は、所得の問題とは別のチャネルで、日常の「面倒くささ」や「不安」を増やしていく。
ただし、これらはすべて「現在の構造がそのまま続いた場合」の延長線だ。制度改革、技術革新、労働市場の変容によって軌道は変わりうる。確実に言えるのは、人口構造の変化が不可避であるということと、それに伴う圧力が増すということだけだ。
数字が語ること、数字が語れないこと
ここまで、実質賃金、所得中央値、相対的貧困率、国民負担率、人口推計といった数字を追ってきた。これらは「日本の生活が構造的に厳しくなっている」方向を、概ね一致して示している。
ただし、数字だけでは捉えきれないこともある。
連合の調査(2025年末発表)では、「10年後の日本が悪くなっている」と予測する層が約7割にのぼった。これは経済指標とは別の問題──「将来への希望の有無」──が、現在の生活の辛さを増幅していることを示唆する。仮に実質賃金がプラスに転じたとしても、将来に希望が持てなければ消費は縮み、生活防衛の節約は続くだろう。経済は「気分」にも左右される。そして気分は、数字よりも先に変わり、数字よりも遅く戻る。
所得中央値の低下が28年間で140万円と述べた。年あたり5万円。月にすると4,000円だ。たしかに、一年だけを切り出せば大した金額には見えない。だが、それが四半世紀にわたって一方向に積み重なると、かつて「普通」だった暮らし──結婚し、子どもを持ち、たまに旅行に行き、老後のために貯蓄する──の敷居が明らかに上がる。「普通」が贅沢に変わる。その転換は劇的にではなく、気づかないうちに起きた。
日本の貧困は、路上に溢れ出す種類のものではない。清潔な街並みの裏側で、教育費を削り、交際費を削り、将来への備えを削りながら、見た目だけは「普通」を維持している。その見えにくさゆえに、問題の認識が遅れ、対応も後手に回りやすい。
これは日本だけの現象ではない。どの先進国も、それぞれの形で生活コストの上昇と格差の拡大に向き合っている。カナダは住宅費の暴騰で中間層が都市部に住めなくなり、イギリスはインフレ後遺症で子どもの貧困が深刻化し、アメリカはマクロ指標の好調と個人の借金の急増が同居する。先進国はどこも、それぞれの「地獄」を抱えている。
日本の特殊性があるとすれば、「回復の遅さ」と「変化の見えにくさ」だろう。他のG7諸国がインフレに対して賃上げで反転攻勢をかけるなか、日本は4年かかってようやく実質賃金のプラス圏が視野に入り始めた段階にいる。急激な危機ではなく、緩やかな侵食。その分、問題が臨界に達するまでの時間は長いが、気づいたときには戻るのが難しいところまで来ている──そういう可能性を、数字は示唆している。
これを「衰退」と呼ぶのは簡単だ。だが、そう呼んでしまうと思考停止に陥る。数字が示しているのは「衰退」という判決ではなく、「こういう条件のもとで、こういう方向に動いている」という記述だ。条件が変われば、方向は変わる。ただし条件は自然には変わらない。誰かが──あるいは社会全体が──変えなければならない。それは個人の努力の問題でもあるし、制度設計の問題でもある。どちらか一方ではない。
2026年の春闘がどこまでの賃上げを実現するか。それが中小企業にどの程度波及するか。短期的にはここが焦点だ。しかし構造的な問題──人口減少、社会保険料の持続的な上昇、非正規雇用の固定化──は、一度の春闘で解消する類のものではない。
「普通の暮らし」の中身は、時代とともに変わる。それ自体は自然なことだ。だが、その変化が人口構造と制度の摩擦によって強いられたものであるとき、個人の工夫だけで対処できる範囲には限界がある。
数字は、その限界がどこにあるかを教えてくれる。ただし、数字はいつも少し遅れてやってくる。「なんとなく苦しい」という生活の感覚のほうが、統計よりも先に現実を捉えていることがある。その感覚を無視しないこと。そして同時に、感覚だけに流されず数字で検証すること。
「日本は大丈夫なのか」という問いに対して、このエッセイが提供できるのは答えではなく、判断のための材料でしかない。
出所:厚生労働省「毎月勤労統計」年報、厚生労働省「国民生活基礎調査」長期系列(e-Stat)、財務省「国民負担率」(2025年度見通し)、OECD Income Distribution Database(2025年12月版)、内閣府「令和6年版高齢社会白書」、リクルートワークス研究所「未来予測2040」、IMF 2024 Article IV Consultation: Japan、OECD Economic Surveys: Japan 2024
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