フランスは若い国か、古い国か

フランスと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。ルイ14世の絶対王政、1789年の革命、ナポレオン。どれも数百年前の話だ。文化的にも政治的にも、フランスは「古い国」というイメージが強い。

だが、ひとつ問いを立ててみたい。今のフランスという国家を動かしている「ルール」は、いつできたものだろうか。

答えは1958年。たかだか68年前のことだ。アメリカの現行憲法が1788年に批准され翌1789年に施行、修正を重ねながらも236年の連続性を持つのに比べると、フランスの現在の統治体制はずいぶん新しい。イギリスにしても、17世紀後半から漸進的に議会制度を形成してきた蓄積がある。1789年の革命以降、王政、帝政、共和政を何度も行き来し、そのたびに憲法を書き換えてきたフランスとは、制度の「年齢」がまるで違う。現行の体制――「第五共和制」――は、フランスにとって5回目の共和政であり、それ以前の帝政や王政復古も含めれば、十数回にわたる体制変更の末に到達した地点にすぎない。

歴史と文化の古さと、統治機構の若さ。このギャップこそが、今のフランスを理解するうえでの出発点になる。


なぜ「第五」まで来てしまったのか

第五共和制の直前にあった第四共和制(1946〜1958年)は、議会に強大な権限を持たせた議院内閣制だった。比例代表制のもとで小党が乱立し、単独で過半数をとれる政党は存在しなかった。常に複数の政党が連立を組むのだが、その連立はきわめて脆い。

なぜ脆かったのか。制度の設計に問題があった。議会は簡単に内閣を倒せる一方で、内閣の側から議会を解散するハードルはきわめて高く設定されていた。各政党にとっては、連立から離脱して政府を倒すことの政治的コストが低い。むしろ「一度政府を倒して、次の連立交渉で自分たちの要求を通す」という戦略が合理的になってしまう構造だった。

結果はどうなったか。12年間で24の内閣が組閣された(Oxford Referenceのカウントでは25)。首相は16人。政権の平均寿命はおよそ6か月。閣僚危機の累計日数は375日に及んだとする推計もある。

これが何を意味するか。半年で交代する政府には、長期戦略を立てるインセンティブがない。痛みを伴う改革を打ち出しても、その成果を刈り取る前に政権が倒れてしまう。政策のタイムホライズンが極端に短期化し、国家としての一貫した意思決定が構造的に不可能になる。

ただし公平を期すなら、第四共和制の時代にフランス経済はマーシャル・プランの支援もあって急速に復興し、社会制度の整備も進んだ。行政の連続性が政治の不安定を部分的に補っていた面はある。それでも、外部からの巨大なストレスがかかったとき、この制度は耐えられなかった。


1958年5月――国が壊れかけた瞬間

1954年に始まったアルジェリア独立戦争が、第四共和制を限界に追い込んだ。アルジェリアは単なる植民地ではなく、法的にはフランス本土の一部とされていた。100万人を超えるフランス系入植者が暮らし、フランス軍50万人が展開していた。

問題の核心は、パリの脆弱な政府が現地の軍と入植者を制御できなくなったことにある。1958年5月13日、政府がアルジェリアを手放す可能性を恐れた現地軍と右派活動家がアルジェで反乱を起こした。コルシカ島が無血占領され、パリへの空挺部隊降下計画(「復活作戦(Opération Résurrection)」)すら準備されていた。

これは机上の空論ではなかった。フランスは文字通り、内戦かクーデターかという瀬戸際にいた。

この危機が、政界を引退していたシャルル・ド・ゴールを呼び戻した。国民議会は1958年6月1日、賛成329・反対224でド・ゴールを首相に選出し、新憲法の起草権限を委ねた。ド・ゴールと側近のミシェル・ドゥブレは、第四共和制の制度的欠陥を正面から修正する設計図を描いた。同年9月の国民投票で新憲法は圧倒的多数で承認され、第五共和制が発足する。


何を恐れ、何を直したのか

当時のフランスが恐れていたものは、2つの次元が重なっていた。

ひとつは国内構造の崩壊。文民統制が効かなくなり、軍が政治を実力で動かしうる局面に入っていた。もうひとつは地政学的な転落。1954年のインドシナ敗北、1956年のスエズ危機での屈辱を経て、フランスは「大国」の地位を急速に失いつつあった。冷戦下で、同盟国のアメリカやイギリスもフランスの植民地固執を支持しなくなっていた。

この2つは別々の問題ではなかった。地政学的な危機に耐えられない国内統治構造を、短期間で作り替える必要があった。第五共和制とは、その制度工学の産物だ。

具体的に何が変わったのか。

まず、強力な大統領職が新設された。議会の党派対立から独立した、固定任期を持つ国家元首。1962年の国民投票で直接選挙制が導入され、大統領は議会とは別の民主的正統性を持つようになった。議会の解散権、首相の任命権、国家危機における非常事態権限(憲法第16条)が付与された。

次に、議会の妨害能力が制度的に抑え込まれた。象徴的なのが憲法第49条3項、いわゆる「49.3」だ。政府が自らの責任を賭けて法案を提出し、議会が不信任案を可決しない限り、その法案は自動的に成立する。議会の遅延戦術や多数派形成の失敗が、直ちに政策不能に直結しないよう、政府にレバーを渡す仕掛けである。

さらに選挙制度が変わった。比例代表制から小選挙区二回投票制へ移行し、選挙協力と政党の統廃合が構造的に促された。議会に安定的な多数派が形成されやすくなった。大統領と首相が異なる政治勢力に属する「コアビタシオン(保革共存)」が起きた場合には内政の重心が首相側に移るメカニズムも組み込まれたが、2000年の任期5年化により大統領選と議会選のサイクルが近づき、ねじれの発生確率は低下した。

要するに、第五共和制の設計思想はこうだ。「議会の妨害能力を下げ、執行の安定性と正統性を上げる」。第四共和制が「議会による権力過剰」で壊れたのだから、その逆方向に振るのは論理的には自然な帰結だった。


設計者が想定しなかったもの

ここまでの話は、ある意味うまくいったシステム修正の物語だ。だが、ここから先が面白い。

第五共和制の設計者たちは、ある巨大な変数を想定していなかった。欧州統合の深化である。

ド・ゴールが構想していたのは「祖国の欧州(L'Europe des patries)」――主権国家が対等に協力する政府間モデルだった。冷戦下でアメリカやソ連に対抗するため、フランスの主導力のもとに欧州をブロック化する。ただし主権はパリに残す。1957年に設立された欧州経済共同体(EEC)はその文脈で理解されていた。

だが、1992年のマーストリヒト条約以降、欧州統合は設計者の想定をはるかに超えた。欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、EU法の国内法に対する優位性。国家主権を制限する超国家機関が次々と立ち上がった。1999年にはユーロが導入され、フランスは自国通貨フランと独立した金融政策を手放した。

ここで何が起きたか、少し具体的に見てみよう。

第五共和制のもとで、フランスは伝統的に「ディリジスム(国家介入主義)」と呼ばれる経済運営を行ってきた。危機に際しては国家財政で大規模に介入し、トップダウンで問題を解決する。航空、エネルギー、自動車といった戦略産業を国が保護・育成する。国際競争力が落ちれば通貨を切り下げて輸出を回復させる。大統領という強力な執行権が、これらのレバーを握ることを前提にシステムが組まれていた。

ところがEU統合の深化によって、これらのレバーが一本ずつ奪われていった。金融政策はECBに移管された。財政政策はEUの「安定・成長協定」で縛られ、財政赤字GDP比3%、公的債務60%という上限が課された。国家補助はEUの競争法で厳しく規制され、フランス政府が国内企業に大規模な補助金を出すことが法的に難しくなった。

「国内のいかなる障害にも縛られず、迅速かつ強力に決断できる国家元首」を生み出すために設計されたシステムが、通貨・財政・産業規制という最重要のレバーを外部に委ねた状態で動いている。これは設計者が意図したものではない。


数字で見る現在のフランス

では、今のフランスはどうなっているのか。

2024年、フランスの財政赤字はGDP比5.8%に達した。EUが設定する3%の上限のほぼ倍だ。公的債務残高は113.2%を超えた。欧州委員会はフランスに対して「過剰財政赤字是正手続き(EDP)」を発動しており、強制的な歳出削減と財政再建のパスが突きつけられている。

欧州委員会の2025年秋季経済予測によれば、2025年の財政赤字はGDP比5.5%に縮小する見込みだが、公的債務は増加を続け、2027年には120%に達すると予測されている。実質GDP成長率は2025年が0.7%、2026年が0.9%。国家財政による景気の下支えは事実上不可能な状態だ。

IMFは2025年5月のフランス審査(Article IV)で、2029年までに赤字をGDP比3%以下に戻すという目標を支持しつつ、2026年にGDP比1.1%の構造的財政調整を前倒しで実施するよう勧告した。フランスのGDP比での税収はすでにEU最高水準にあり、増税余地は限られる。支出の効率化が不可避だとIMFは指摘している。

Fitch Ratingsは2025年9月にフランスの格付けを引き下げ、債務がGDP比121%に達するとの見通しを示した。フランスの公的債務はGDP比でギリシャ、イタリアに次いでEU内で3番目に高い水準にある。フランス国債の利回りはスペイン、ポルトガル、ギリシャの国債を上回る場面が出ている。かつてのユーロ圏債務危機で問題国とされた国々の国債より、フランスの方がリスクプレミアムが高いという逆転現象が生まれた。格付け会社Morningstar DBRSは、債務がGDP比125%に向かって上昇を続ける場合、さらなる格下げがあり得ると警告している。


そして政治が壊れ始めた

財政を切り詰めなければならないのに、それを実行する政治的な基盤がない。

2024年6月、マクロン大統領は欧州議会選挙での与党大敗を受けて国民議会を解散し、総選挙に打って出た。結果は三極分裂。左派連合(新人民戦線)が最多議席を獲得したが過半数には遠く及ばず、極右の国民連合(RN)が躍進、マクロンの中道連合は議席を減らした。どの勢力も単独で政権を運営できない構図が固定された。

2024年9月に任命されたミシェル・バルニエ首相は、わずか3か月で不信任案により退陣した。49.3を使って2025年予算を議会採決なしで成立させようとしたところ、左派と極右が合流して賛成331票で不信任が可決された。1962年以来、実に62年ぶりの不信任案可決だった。バルニエは第五共和制で最短級の首相となった。

後任のフランソワ・バイル首相も49.3で予算を通し、2025年2月にはいったん不信任案を切り抜けた(このときは社会党とRNが不信任投票を見送り、賛成は128票にとどまった。可決には289票が必要だった)。だが同年9月、440億ユーロ規模の歳出削減案をめぐって再び左右から挟撃され、364対194で不信任案が可決。バイルも退陣した。その後任のルコルニュに至っては、組閣から数時間で辞任するという事態にまで至った。

20か月足らずで4人の首相が交代し、5人目を探さなければならない大統領。バイルは退陣直前の国民議会で「あなた方には政府を倒す力がある。だが現実を消し去る力はない」と述べた。極左のメランションは「マクロンが人民の前に立たされた。彼も去るべきだ」と宣言し、極右のルペンも解散総選挙を要求した。この光景は、何かを思い出させないだろうか。


第四共和制の亡霊

12年で24内閣。半年ごとに首相が代わる。長期戦略が立てられない。危機に対応できない。――第四共和制が崩壊した理由のリストを、もう一度読み返してみてほしい。

もちろん、今と1950年代では状況が大きく違う。軍のクーデター危機はない。大統領は直接選挙で選ばれた強い正統性を持ち、任期は2027年まで保障されている。49.3という制度的な「安全弁」も、少なくともその場しのぎの予算成立には機能している。

だが、制度の安全装置がかろうじて機能しているからこそ見えてくるものがある。第五共和制は「議会の妨害能力を下げ、執行の安定性を上げる」ために設計された。その設計思想が今、極限まで試されている。49.3を使わなければ予算が通らない。49.3を使えば不信任案を呼び込む。不信任を切り抜けても数か月後に再び同じことが起きる。制度の「余白」がどんどん狭くなっている。

加えて、第五共和制が本来想定していた「強力な大統領がマクロ経済のレバーを握って国を動かす」という前提が、EU統合によって空洞化している。金融政策はECBにある。財政政策はEDPで縛られている。産業政策はEU競争法で制約される。大統領には強い権限があるが、その権限で動かせるものが少なくなっている。

これは単なる政局の混乱ではない。1958年に設計されたシステムが、設計者が想定しなかった環境条件のもとで、構造的な摩擦を起こしている。制度と現実のミスマッチが拡大している。


適応か、再設計か

フランスはこの状況にどう適応しようとしているのか。

ひとつの方向は、EU枠組みの活用だ。国家単独での大規模補助金が難しくなった代わりに、「欧州共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」というEUレベルの枠組みを使い、財政赤字を増やさずに戦略産業への投資を維持しようとしている。マクロン政権が掲げた総額540億ユーロの「France 2030」産業戦略も、AI、グリーン・トランジション、航空宇宙といった分野に資源を集中させる「選択と集中」型に移行しつつある。

もうひとつの頼みは、インフレ鎮静化による実質所得の回復だ。2025年のフランスのインフレ率は約1.0%まで低下し、名目賃金の上昇率(約2〜2.5%)がこれを上回ったことで、家計の購買力はプラスに転じている。失業率も2025年前半には7.5%前後と、2008年以来の低水準を維持した。財政出動ではなく、民間消費の自律的回復とECBの利下げによる企業投資の回復で景気を支えるモデルへの依存だ。大統領主導のトップダウン経済運営とは、かなり異なる風景である。

だが、これらは「適応」であって「解決」ではない。議会の三極分裂は2027年の大統領選まで解消される見込みがなく、次の大統領が就任しても、議会選挙で安定多数が生まれる保証はない。財政再建と経済成長の両立は、どの首相が就任してもそのまま引き継がれる課題だ。OECDのデータによれば、2023年のフランスの政府支出はGDP比57%で、OECD平均の42.6%を大きく上回る。EU内でも最高水準にある税負担と支出規模を前提に、3%の赤字目標にどう着地させるのか。その問いに対する合意が、左派にも右派にも中道にもない。


68年目のシステム

第五共和制は過去68年間、何度もアップデートされてきた。2008年の憲法改正では49.3の使用に制約が加えられ(予算関連法案を除き、会期中に1回まで)、議会権限の再調整も行われた。システムは固定されたものではなく、環境の変化に応じて書き換えられてきた。それ自体は、制度としての柔軟性の証だろう。

ただし、今フランスが直面しているのは、条文の微調整で対応できる範囲の問題なのか、それとも設計思想そのものの賞味期限が近づいているのか。

フランスは確かに「古い国」だ。だが、その「古い国」を動かしている統治のルールは68歳で、しかもそのルールが前提としていた環境条件すら、かなり変わってしまっている。第四共和制が壊れたとき、フランスは制度を根本から書き換えることで応答した。今の圧力が同じレベルの応答を要求するかどうかは、まだわからない。

わかっているのは、システムの「余白」が狭くなっているということだ。


(データ出典:欧州委員会 2025年秋季経済予測、IMF 2025年Article IV対仏審査、INSEE、Fitch Ratings、OECD Government at a Glance 2025)

コメント

このブログの人気の投稿

仏国債格下げで目が覚めたブレグジット島~こんにちは現実、格下げされたのはロンドナーのボーナスでした~

「通貨介入」は円安を止めれるのか?~数字上の制約~

Brexit.xlsm ~「最終セルの直書き」からの循環参照・計算不能~

ロンドン4時、ロンフィク、WMR~為替市場の根幹なのに理解されていないフィキシングの実態~

ファンダメンタルズから乖離という言い訳