「人間は十代で満たされなかったものに一生執着する」について
SNSで繰り返し回ってくる言葉がある。「人間は十代で満たされなかったものに一生執着するらしいです」。出典ははっきりしない。でも拡散するたびに数千、数万のいいねがつく。たぶん、心当たりがあるからだ。
お金がなかった人が、十分に稼げるようになっても貯蓄をやめられない。友達が少なかった人が、交友関係が広がっても「自分は孤立している」と感じ続ける。学歴にコンプレックスがあった人が、実績を積んだあとも肩書きに過剰に反応する。そういう話は、誰の周囲にも一つくらいある。
ただ、「共感できる」と「正しい」は別の話だ。この言説にはどのくらい妥当性があるのか。あるとしたら、何が起きているのか。少し考えてみたい。
脳は「差分」で世界を見ている
前提を一つ。人間の脳は絶対量ではなく差分で判断する。年収500万円が「多い」か「少ない」かは、基準がどこにあるかで決まる。300万円から上がった人には大きな改善だし、800万円から下がった人には損失だ。
行動経済学では、この基準を「参照点」と呼ぶ。Kőszegi and Rabin(2006)のモデルでは、参照点は「いま持っている量」ではなく「こうなるはずだという予測」に引っ張られるとされている。だから十代のあいだずっと「足りない」のが普通だった人は、「足りない状態」が期待の初期値になりうる。その初期値が更新されなければ、客観的に十分な量を手にしていても、脳は「まだ回復途中だ」と解釈し続ける。
若い頃の経験は、本当に残るのか
Malmendier and Nagel(2011)は、1960年から2007年の米国家計調査データを用い、人生の初期に株式市場の低迷を経験した世代が、その後何十年も株式投資を避ける傾向があることを示した。リスクを取りたがらず、参加率が低く、参加していても配分が小さい。若い頃の経験の印象はゆっくりとしか薄れないという結果だった。大恐慌を経験した世代が「Depression Babies」と呼ばれるのは、このメカニズムに由来する。
ここで正直に書いておくべきことがある。この分野のもう一つの代表的研究、Giuliano and Spilimbergo(2014)は、「不況期に育つと、成功を運に帰す信念が生涯残る」と報告していたが、2023年にコーディングエラーで撤回された。追試では一部の結果は再現されたが、他の指標は不明瞭だった。「若い頃の経験が残る」という総論にはMalmendierらの支持があるが、何がどの程度残るかの細部は、まだ議論が続いている。
欠乏は思考を変える
別の角度からも見てみる。Mullainathan and Shafir(2013)は、欠乏が認知をどう変えるかを実験で示した。
ニュージャージーのモールで、被験者に「車の修理代が300ドル」の場合と「3000ドル」の場合を想定させ、直後に知能テストを行った。高所得者は金額で成績が変わらなかったが、低所得者は3000ドルを想定したとき、流動性知能のスコアが約13ポイント下がった。同じ人が、欠乏を意識させられたときだけパフォーマンスが落ちる。彼らはこれを「帯域幅の課税」と呼んだ。足りないという感覚が認知を占有し、他に使える余白が減る。
この状態が続くと、「トンネリング」が起きる。目の前の不足に注意が集中し、「もう足りている」「もう安全だ」という情報が入ってこなくなる。十代の長い期間をこの状態で過ごしたら、基準を更新するための情報がそもそも取り込まれにくくなる可能性がある。
十代の脳は、なぜ特別なのか
ここまでの話は大人にも当てはまりうる。では、なぜ十代が特別なのか。
神経科学の知見では、思春期から青年期にかけて、報酬処理に関わる回路が大きく再編される。ドーパミン受容体の密度は青年期にピークを迎え、成人期にかけて3分の1から半分が失われる(Andersen et al., 1997)。この時期は報酬への感度がとりわけ高く、良い経験も悪い経験も強く刻まれやすい。
しかも前頭前皮質——衝動を制御し長期的な判断を行う領域——の成熟は20代半ばまで続く。報酬センサーは鋭敏だが、それを文脈のなかで相対化する力がまだ追いついていない。この時期の反復体験は、価値づけや不安の閾値の「初期設定」として定着しやすく、書き換えには時間がかかる。
執着の正体——「楽しみ」ではなく「安全装置」
「十分あるのに、なぜまだ欲しがるのか」と聞くと、多くの人は「欲深いから」と答える。でも構造を見ると少し違う。
お金でも承認でも人間関係でも、資源には二つの機能がある。「あると嬉しい」という消費的な喜びと、「ないと危険だ」という不安を下げる安全装置の機能だ。前者は自然に逓減する。3杯目のビールは1杯目ほどおいしくない。
ところが青年期に強い欠乏を経験した人の場合、その資源は「楽しみ」ではなく「安全装置」として脳に登録されている可能性がある。安全装置として見ている限り、追加の1単位は「まだ安心を増やす」と評価されるから、逓減が起きにくい。はたから見れば過剰投資でも、本人の世界では「まだアラームが鳴っている」。残高を見ているつもりで、実は警報装置を見ている。
これは「バグ」なのか
標準的な経済学のモデルでは最適化の失敗に見える。資源が十分なら追加分の価値は下がるはずだし、基準は現在に更新されるはずだ。
しかし枠を広げると見え方が変わる。「またいつか失う」確率を高く見積もっているなら、追加の資源は保険として価値を持つ。世界観が違うだけで、その世界観のもとでは合理的だ。壊れているのではなく、更新が遅れている。静的モデルでは「バグ」、動的モデルでは「ヒステリシス(履歴依存)」と呼ぶ方が近い。
共感で広がる言葉と、構造のあいだ
冒頭のミームに戻る。「十代で満たされなかったものに一生執着する」。
青年期の欠乏体験が信念やリスク態度に長期的な影響を残すという知見には、一定のエビデンスがある。参照点の固着、認知のトンネリング、報酬系の感受性期。これらが重なれば「十分なのに足りないと感じ続ける」メカニズムは説明しうる。ただし「一生」かどうかは厳密にはわかっていないし、何の欠乏かによってメカニズムも異なる可能性が高い。ひとつのフレーズですべてを包括するのは、わかりやすいが、やや荒い。
それでも、考えさせられる。自分がいま反応しているのは「量」なのか「昔の不足感」なのか。
参考文献:Kőszegi & Rabin (2006) QJE; Malmendier & Nagel (2011) QJE; Giuliano & Spilimbergo (2014) REStud(2023年撤回); Bietenbeck et al. (2023) J. Applied Econometrics; Mullainathan & Shafir (2013) Scarcity; Mani et al. (2013) Science; Galván (2010, 2013); Andersen et al. (1997)
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