生保と国債と円を繋ぐ
2026年2月17日、日本公認会計士協会(JICPA)がひとつの公開草案を出した。生命保険会社が保有する「責任準備金対応債券」について、金利変動による時価下落を減損のトリガーにしない、という内容だ。
見出しだけ読むと、地味な会計テクニックの話に見える。だが、この変更の背景にある数字を並べると、景色が変わる。大手生保4社──日本生命、第一生命、明治安田生命、住友生命──が抱える国内債券の含み損は、2025年12月末時点で約13兆2000億円に達した。日本生命だけで5兆4500億円。わずか1年半前の2024年6月末には4社合計で約5兆7000億円だったから、倍以上に膨らんだ計算になる。2025年度の4〜12月期決算では、主要15社の基礎利益こそ前年同期比15%増の約3兆5000億円と堅調だったが、国内債券の含み損は約26兆6000億円と3月末から58%も増えている。生保業界全体の話に広げると、金額の桁がもう一段上がる。
日本生命の公社債は約30兆円。そのうち約27兆円が責任準備金対応債券に分類されている。保有債券のほぼ9割が今回の会計ルール変更の対象になるわけだ。
13兆円の含み損が、決算書の「痛み」として表面に出にくくなる。これは粉飾なのか、それとも合理的な修正なのか。そして、この地味な会計変更は、なぜ為替市場で「円高」という形で跳ね返ってくるのか。
順を追って解きほぐしてみたい。会計基準と健全性規制と国債市場と為替市場が、思いのほか深くつながっていることが見えてくる。そして、最近の為替市場で生保が「円高の主役」に転じつつある理由も、すっきりと説明がつく。
まず、何が変わるのか──「損を消す」のではなく「損の測り方を変える」
従来のルールでは、責任準備金対応債券の時価が簿価を大きく下回った場合──実務上は50%が目安とされていた──回復の見込みがなければ減損損失を計上する必要があった。金利が上がれば債券価格は下がる。それ自体は債券投資の基本だ。問題は、その値下がりが一定の閾値を超えたとき、決算書に「損失」として載ることにあった。満期まで持ち続けるつもりでも、だ。
今回の改正案は、この「時価トリガー」を外す。ではまったく損失を認識しなくなるのかというと、違う。代わりに「予想信用損失(ECL=Expected Credit Loss)」モデルを適用する。金利が上がって債券の値段が下がっただけなら、減損にはしない。発行体の信用が悪化した──国の財政が危うくなった、企業がデフォルトしそうだ──という場合には、ちゃんと損失を認識する。
ここでの区別のロジックは明快だ。債券価格の下落には2つの性質がある。ひとつは金利の変動。市場全体の割引率が上がったから、既存の低い利率の債券の価格が下がる。もうひとつは信用の悪化。発行体が約束どおりに元本を返せなくなるリスクが高まったから、価格が下がる。この2つを同列に「減損」で処理すると、特にALM(資産と負債の期間マッチング)を運用の柱に据える生保にとっては、景気や金利の局面ごとに会計が「売れ」とシグナルを出す──プロシクリカルな歪みが生じやすい。今回の改正は、その歪みを薄める設計だ。
この考え方自体は、国際的に見て特殊なものではない。IFRS第9号のもとでは、償却原価で測定する金融資産は信用損失のみをP/Lに計上し、金利変動は反映しない。米国のCECLモデルも同じ発想だ。企業会計基準委員会(ASBJ)が2025年10月に公表した公開草案第89号も「満期保有目的の債券は時価を考慮せず、信用リスクに焦点を当てる」と明記している。JICPAの改正案は、それとの整合を取った形に過ぎない。
もう少し具体的にイメージしてみよう。日本生命が持つ27兆円の責任準備金対応債券の大部分は日本国債だ。日本政府がデフォルトするリスクは、少なくとも現時点では極めて低い。だから信用損失ベースで測れば、認識すべき損失はほぼゼロに近い。一方、金利トリガーで測ると、ここ2年の急激な金利上昇で兆円単位の減損リスクが浮上する。同じ資産を、どちらの物差しで測るかで、決算の風景がまるで違ってくる。
だから一行で言えば、「国際標準に寄せた」。それ自体は、嘘ではない。
では、なぜ「ズルい」と感じるのか
会計理論として筋が通るのはわかった。だが、それでも引っかかるものがある、という感覚は正当だろう。なぜか。タイミングだ。
金利がゼロ近辺で推移していた2010年代には、この会計ルールが問題になることはほとんどなかった。含み損は微々たるものだったし、減損の閾値に触れる可能性など想定する必要がなかった。ところが2024年3月に日銀がYCC(イールドカーブ・コントロール)を撤廃して以降、30年国債の利回りは急上昇し、2026年1月には一時3.8%台をつけた。大手4社の含み損は2024年3月末の約2兆円から、わずか21か月で13兆円超に膨張している。
まさに「含み損が膨らみ、減損リスクが現実味を帯びてきたタイミング」でルールが変わる。ゴールポストが動いたように見えるのは当然だ。
しかも、生保は日本国債の巨大な保有主体である。日本国債全体の約1割を保有し、超長期債(20年超)に限れば、そのシェアはさらに高い。会計ルールが変われば、生保の投資行動が変わる。投資行動が変われば、国債の需給が変わる。需給が変われば、金利が変わる。金利が変われば、政府の借金のコストが変わる。つまり、この「会計の技術的な修正」は、国家の財政運営に直結するパイプラインの一部にはまっている。
だから「国家ぐるみの会計操作ではないか」という直感が生まれる。
「当たっている」部分。この変更には政策的な意図が重なっている。生保が国債を安心して持ち続けられる環境を整えたい、という方向性と、この会計変更はぴったり一致する。
「外れている」部分。会計操作と呼ぶには、経済実態を意図的に歪めて隠蔽する構造が必要になる。今回の改正は信用損失をECLで認識し、注記の拡充も求めている。情報が消えるわけではない。表示される場所と方法が変わるのだ。
もっと正確に言えば、これは「会計操作」ではなく「有事のルール最適化」だろう。会計理屈が通る範囲内で、金融安定という政策目的と同じ方向を向いた変更を行う。徳政令のような露骨さはないが、無色透明でもない。
本命は会計ではなく、規制のほうにある
ただし、ここで話を会計だけに閉じると、全体像を見失う。
生保の行動を根本から変えつつあるのは、会計ルールよりもむしろ2026年3月末から本格適用される「経済価値ベースのソルベンシー規制(ESR=Economic Solvency Ratio)」だ。生保業界の総資産は400兆円を超える。その全体が、この新しい健全性規制のもとで評価される。
ESRの仕組みを一言で要約するなら、「資産と負債を両方とも時価(経済価値)で評価し、その差額が十分あるかどうかで健全性を測る」というものだ。
ここで鍵になるのが、生保の負債の特性だ。生保は20年、30年、40年先の保険金支払いを約束している。この超長期の負債の経済価値は、金利が動くと大きく揺れる。金利が上がれば負債の現在価値は下がり(将来払う額を割り引く率が上がるから)、金利が下がれば現在価値は上がる。
では、資産側で何を持てば、この負債の動きと連動するか。答えは直感的にもわかるだろう。同じ期間の円建て国債だ。30年の保険負債に対して30年の国債を持てば、金利が動いても資産と負債が同じ方向に揺れるので、差額──つまり健全性指標──は安定する。逆に外債や株を持てば、負債と違う動きをするからミスマッチが生じ、ESR上の必要資本が膨らむ。外貨建て資産なら為替リスクも上乗せされる。
ESRの計算式に従えば、超長期の円建て国債を持つことが「最も健全に見える」行動になる。政府が「国債を買え」と命令する必要はない。規制の設計そのものが、生保を国債に向かわせるインセンティブを内蔵している。
しかも、ESRには経過措置がある。新規制への移行が急激すぎると生保の経営が揺らぐため、10年から20年かけて段階的に適用するという建て付けだ。この経過措置のさじ加減は金融庁が握っている。言い換えれば、「規制に素直に従えば楽にしてあげる」という暗黙のメッセージが、制度の設計に織り込まれている。
大手生保も手をこまねいているわけではない。日本生命は2024年にドル建て劣後社債13億ドル(約2000億円)を、2025年にはユーロ建て劣後社債5億ユーロ(約800億円)を発行している。第一生命や明治安田生命も同様の動きを見せた。これらはいずれも、ESR対応で必要になる自己資本を厚くするための調達だ。規制が変われば、資金調達の構造まで変わる。
実際、大手生保の2025年度運用計画を見ると、「30年債の利回り水準は投資妙味がある」「円債が有力な投資先」といったコメントが並ぶ。市場環境の変化もあるが、ESR対応という構造的な動機も大きい。ある大手生保は「保険の負債の予定利率と比べると30年債や40年債の利回り水準には魅力がある」と明言している。
そして会計の変更は、このESRの効果を「補助」する。ESRに従って超長期国債を積み増したい。だが会計上、金利上昇で巨額の減損を食らうリスクがある。その摩擦を取り除くのが、今回の「時価トリガー撤廃」だ。専門的に言えば、会計変更は行動の「一次条件(主な動機)」ではなく「制約の緩和項(実行可能集合を広げるもの)」として機能する。ESRが本体で、会計変更はその潤滑油──そう考えると、制度の全体設計が浮かび上がってくる。
為替に何が起きるのか──「ダブルで効く」の中身
ここまでは国債市場の内部構造だった。しかし、この構造変化は為替市場にも波及する。かつて円安の主役と呼ばれた生保が、いま円高の推進力に変わりつつある。
日本の金利がゼロ近辺に張り付いていた時代、生保は利回りを求めて海外に出るしかなかった。円を売ってドルを買い、米国債や欧州のクレジット商品に投資する。その「円売り」のフローが巨大で、海外の市場参加者から畏怖を込めて「ザ・セイホ(The Seiho)」と呼ばれていた。2022年には生保の外債売却額が11兆円と、2005年以降で最大を記録したこともある。買うときも売るときもマーケットを動かす、それほどの存在感だ。2011年の東日本大震災の直後には、「生保が保険金支払いのために外債を大量に売って円に戻すのではないか」という噂だけでドル円が急落し、G7が協調介入に踏み切るきっかけのひとつになった。生保の動きは、実弾だけでなく「期待」の段階で為替を動かし得る。
ところが今、風向きが変わっている。国内金利が上昇し、超長期国債の利回りが2%台後半から3%近辺まで来た。ESRは外貨建て資産の保有に追加の資本コストを課す。為替リスクを取るなら、自己資本を厚く積まなければならない。会計変更は国内債への回帰を摩擦なく進めやすくする。これらが合流して、生保の資金の流れが反転し始めている。
この環境で生保が取り得る行動は、大きく3つに分かれる。
第一は、レパトリ(資金還流)。海外の債券を売ってドルを円に戻し、国内の国債を買う。これは現物の「ドル売り・円買い」だから、為替へのインパクトがもっとも直接的だ。
第二は、ヘッジ比率の引き上げ。外債は持ったまま、為替予約やFXスワップで円買いポジションを積む。資産は海外に残るが、スワップ市場を通じて円買いのフローが発生する。第一の経路とは市場のチャネルが違うが、為替への圧力は生じる。
第三は、新規の外債投資の停止あるいは縮小だ。これまで毎月のように巨額の「新規の円売り」が出ていた。それが止まるだけでも、従来あった円安圧力が消える。消極的な効果だが、規模が規模だけに無視できない。
「ダブルで効く」とは、典型的には第一(既存外債を巻き戻す)と第三(新規の円売りが止まる)が同時に起きる状態を指す。「下へ押し下げていた力が消え」、同時に「上へ引き上げる力が加わる」。短期のストック調整と、長期のフロー構造変化が重なるから、相場への影響が増幅される。2026年2月時点でドル円が153円前後まで円高に振れているのは、この構造変化の反映かもしれない。
なお、第二の「ヘッジ比率引き上げ」も円買いフローを生むが、外債残高自体は減らない。レパトリと混同しやすいが、市場への現れ方が違う。レパトリが強ければスポット市場でドル売りが出やすく、ヘッジ主導ならスワップ市場のベーシスに歪みが溜まりやすい。何が起きているかを見分けるには、両方のデータを追う必要がある。
かつての「30%ルール」は消えた。代わりに何があるのか
年配の金融実務家なら覚えているだろうか。かつて保険業法施行規則第48条には、外貨建て資産は総資産の30%まで、国内株式も30%まで、不動産は20%まで、という一律の保有比率規制があった。金融庁が2012年の改正でこれを撤廃している。当時の改正理由は「各社の自主的なリスク管理を尊重する」だった。一律の数値規制よりも、自社のリスクプロファイルに合った運用をさせたほうがいい、という理屈だ。
では今、その「自主的なリスク管理」を支える枠組みは何か。答えは、ESRの計算式そのものだ。外債を持ちすぎればESRが悪化し、金融庁の監督上のアクションを招く。超長期国債に寄せればESRは安定する。法律で「何%まで」とは書かれていないが、計算式が実質的な「保有レンジ」を形成している。旧来のハードな規制が撤廃され、新しいソフトな──しかしより強力な──誘導装置に置き換わった、とも言える。
この仕組みは、かつての30%ルールよりも精巧で、かつ外から見えにくい。海外の投資家に対しても「国際標準に沿った規制です」と説明できる。実際、欧州のSolvency IIが先行モデルであり、国際的な保険資本基準(ICS)との整合も図られている。「日本だけが特殊なことをやっている」という批判はかわしやすい。
ただし、「国際標準」と言うとき、ひとつ見落とされがちな構造がある。多くのソルベンシー規制において、自国の国債はリスク係数ゼロとされる。国債をいくら持っても「リスクなし」と計算されるのだ。これは日本だけの話ではない。欧州でも同じ設計だ。先進国が共通して、自国債を金融機関に買わせやすい「仕様」を規制に埋め込んでいる。金融抑圧(Financial Repression)の現代的な装い、と呼ぶ研究者もいる。
銀行の規制と何が違うのか
ここで銀行との比較を入れると、生保の位置づけがもう少しくっきりする。
銀行にもバーゼル規制があり、国債は高品質流動性資産(HQLA)として優遇されている。NSFRやLCRといった流動性規制でも、国債は「すぐに現金化できる安全資産」として最高ランクだ。だが、銀行と生保では「何に備えるか」が根本的に違う。
銀行の負債は預金だ。預金者はいつでも引き出せる。だから銀行規制は「明日、取り付けが起きても耐えられるか」を問う。短い時間軸のストレスに備える設計になっている。一方、生保の負債は保険契約で、20年、30年、40年先の保険金支払い。規制は「30年後にちゃんと払えるか」を問う。
この時間軸の差が、「国債を買わせる力」の強さを分ける。銀行は国債を流動性バッファとして持つが、利回りが低ければ収益を圧迫するし、金利上昇局面では含み損が経営を直撃する。2023年のシリコンバレー銀行(SVB)の破綻は、まさにそのパターンだった。銀行にとって国債の大量保有は、安全でもあるがリスクでもある。
生保は事情が異なる。負債が超長期だから、超長期国債を持つことが「リスクを減らす行為」そのものになる。持てば持つほど、ESR上の健全性指標が安定する。政策当局から見れば、生保は銀行よりも「装置化しやすい」。命令しなくても、規制のパラメータを調整するだけで、生保の自発的な行動として国債が吸収されていく。しかもその根拠は「国際標準」だ。
では「コントロール」は効くのか
ここまで読むと、政府が生保を使って円と国債を安定化させようとしている──という構図が浮かぶかもしれない。実際、根拠はある。ESRの設計パラメータ──金利ショックシナリオの較正、ALMマッチングの定義、経過措置の長さと幅──はすべて金融庁が決める。さじ加減ひとつで、生保の最適行動は変わる。会計基準の変更タイミングも、偶然とは言いにくい同期性を見せている。金融庁が2026年1月に大手生保に対して含み損の聞き取り調査を行ったという報道もあった。こうした「対話」もまた、行動を方向づける力を持つ。
ただし、この「コントロール」には明確な限界がある。
国債の需給については、かなり効く。生保のALMにおける「自然解」が超長期円債である以上、規制がその方向を後押しすれば、生保は粛々と買い続ける。これは国債市場の安定剤として機能する。
為替については、間接的にしか効かない。生保がレパトリするかどうかは、日米金利差、ヘッジコスト(クロスカレンシー・ベーシスを含む)、外債のクレジットスプレッドなど、複数の変数に同時に依存する。もし再び米国金利が大幅に上昇し、ヘッジ後でも外債の魅力が圧倒的に高くなれば、規制の締め付けにもかかわらず、生保は外債に向かわざるを得ない。契約者への配当、格付の維持、収益目標──これらの制約がある以上、「損をしてまで円を買え」という行動は採れない。
つまり、「命令」ではなく「環境設計」だ。環境が生保の利害と一致している限りは強力に機能するが、環境が変われば効力は弱まる。万能のリモコンではなく、水が流れやすい方向に傾斜をつける──そういう種類のコントロールである。
逆に言えば、生保がこの「傾斜」に逆らって動き始めたとき──たとえば外債への回帰が始まったとき──それは環境が根本的に変わったシグナルだ。米国の金利が再び急上昇してヘッジ後利回りが国内債を大きく上回る、あるいは日本の財政不安から円建て資産そのものの魅力が低下する、といった事態が起きない限り、現在の「生保→国債→円高」の構造は当面続く可能性が高い。だが「当面」がどこまで持つかは、日米の金融政策の行方と、もうひとつ、日本の財政運営の信認に依存している。
何が見えにくくなるのか
この一連の制度変更が「会計操作」と呼べないことは、ここまでの議論で示したつもりだ。だが、「見えにくくなるもの」がある点は率直に指摘しておく。
第一に、機会損失の不可視化。生保が低利率の国債を大量に抱え続ける場合、今の高い金利水準で新しい債券に入れ替えれば得られたはずの追加利回りを逃す。含み損のある債券を売れば実現損が出るから動けない、というロックイン効果は、会計ルールをいくら変えても消えない。だが、減損が表面に出なくなることで、この「動けない」状態の深刻さは外部からは見えにくくなる。
第二に、ECLモデルの裁量。予想信用損失は見積りに基づく。日本国債の信用リスクをどう見積もるかは、政治的にも経済的にもセンシティブな問いだ。「日本国債のデフォルト確率は極めて低い」という前提を置けば、ECLはほぼゼロになる。その前提が妥当かどうかの検証は、外部のアナリストにとって容易ではない。モデルのガバナンスと監査の質が、これまで以上に問われる。
第三に、「体力」の実態。決算書の表面が金利変動で揺れにくくなることは、経営の安定に寄与する。だが同時に、格付機関、監督当局、そして契約者が、生保の本当の財務体力を読み取る難度は上がる。ここを補うのはESR(経済価値ベース)の開示しかない。2026年度以降、各社がどこまで踏み込んだ情報を出すかが、制度全体の信頼性を左右することになる。会計とESRの二重構造──一方は金利変動を吸収し、他方は経済価値で丸裸にする──が、果たして市場参加者にとって読みやすい情報環境を作るのかどうか。この点は、実際に開示が出てくるまで判断を留保せざるを得ない。
何を見ればいいのか
最後に、この構造変化の行方を追ううえで有効な観測ポイントを整理しておく。
まず、生保の外債残高の増減。一般勘定における外貨建て資産が減っているなら、レパトリが進行中だ。横ばいなら、ヘッジ比率の引き上げが主かもしれない。増え始めたら、円売りが復活する兆候である。
次に、FXスワップ市場の歪み。ドル円のベーシスや短期スワップポイントに通常以上の圧力がかかっているなら、ヘッジ需要の増大を示唆する。レパトリ(スポット市場のドル売り)とは経路が異なるので、両者を切り分ける手がかりになる。
そして超長期国債の入札結果。30年債や40年債の応札倍率、テール(落札価格と平均価格の差)、投資家区分別の落札動向。ESR導入の効果は、ここにもっとも直接的に表れる。
決算の注記も見逃せない。責任準備金対応債券の区分、評価方法、含み損益がどう開示されるか。「見えにくくなった」のか、それとも「見る場所が変わった」だけなのかは、ここでしか確かめられない。
もうひとつ付け加えるなら、生保各社の商品ミックスの違いにも目を配りたい。一時払い商品の比率が高い会社と、伝統的な長期保障が中心の会社では、負債のデュレーションが異なり、ESRへの対応も変わる。同じ業界でも「最適解」は一社ごとに違う。だから「生保は全体として国債を買う」というマクロの方向性は正しくても、個別の投資行動まで一律に動くわけではない。この粒度の違いが、市場に出てくるフローのタイミングと規模を左右する。
総括
会計ルールの変更、ESRの導入、生保の投資行動、国債の需給、為替レート──これらはすべて、見えにくい配管でつながっている。ひとつの蛇口をひねると、遠く離れた場所から水が出る。
その配管を設計しているのは、金融庁であり、会計基準の設定主体であり、広い意味では政府全体だ。設計の意図が「金融安定」であることは疑いない。そしてその設計が、結果として「国債の安定消化」と「急激な金利上昇の抑制」に寄与することも、おそらく意図の範囲内だろう。
これを「巧みな制度設計」と見るか、「金融抑圧の現代版」と見るかは、立場によって分かれる。日本だけの話でもない。先進国はどこも、自国の金融機関を通じて国債を安定消化する仕組みを──程度の差こそあれ──持っている。「国際標準」という言葉が、その構造を覆い隠すカーテンになっていることは、もう少し広く認識されていいかもしれない。
そして、この仕組みがうまく回っている間は誰も困らない。生保は安定した運用ができ、政府は国債を安定消化でき、金利は急騰を免れ、契約者は保険金を受け取れる。問題が表面化するのは、前提が崩れたときだ。金利が想定以上に上がり続ける、財政の信認が揺らぐ、あるいは生保の契約者基盤が高齢化で縮小して保険金の支払いが資産の流入を上回り始める──そうした変化が重なったとき、今は機能している配管に負荷がかかる。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。13兆円の含み損は消えたわけではない。決算書の表面に出にくくなっただけだ。配管の中を流れる水は、相変わらずそこにある。それが最終的にどこから噴き出すのか──あるいは噴き出さずに済むのか──は、まだ誰にもわからない。
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