世界最高水準の基礎能力を持つ労働者に「足りない」と言う心境

ある政府資料を眺めていて、奇妙な感覚を覚える。内閣府の経済財政白書に収録された「賃金の持続的増加に向けた課題」と題された1ページ。5つの図が並んでいる。一見すると、日本の労働者にもっと頑張れ、もっと学べ、と言っているように読める。しかし、数字を丁寧に追っていくと、なぜその結論になるのかが腑に落ちない。少なくとも表が示す範囲では、日本人の基礎的な能力は決して低いどころか、むしろ世界でも上位に位置しているように見える。

世界トップクラスの基礎能力を持つ国の労働者に、なぜ「まだ足りない」と言い続けるのか。足りないのは、本当に労働者の能力なのか。

経済財政白書(2025)要約PDF

まず、数字を見る

2024年12月に公表されたOECDの国際成人力調査(PIAAC 2023)。30以上の国・地域、十万人規模の成人を対象に、読解力・数的思考力・適応的問題解決力を測定した大規模調査だ。

結果はこうなっている。日本の読解力は289点でフィンランドに次ぐ世界2位。数的思考力291点で2位。適応的問題解決力は276点でフィンランドと並び1位タイ。OECD平均(260、263、251)を全分野で大きく上回る。さらに、読解力の低習熟者(レベル1以下)の割合は日本がわずか10%で、OECD平均26%の半分以下。31カ国中、最も低い。高得点層が厚いだけでなく、底が浅い。国全体として基礎能力が均質に高い。

ひとつ印象的なデータを加えておく。PIAACの前回調査(2012-15年)では、米国の高卒者の読解力・数的思考力の平均スコアが、日本の高校未修了者の平均を下回っていた。つまり日本では、学歴が低くても基礎能力が国際的に高い水準にある。「素材」の品質が、社会の隅々まで行き渡っている。 では、この人材を抱える国の賃金水準はどうか。

2023年の日本の平均年間賃金は購買力平価ベースで約4万2,100ドル(OECD定義によるフルタイム換算)。OECD平均の約5万5,400ドルを大きく下回り、G7では最下位だ。米国の約7万7,000ドルとはほぼ倍の差がある。労働生産性も2024年時点でOECD38カ国中28位。近年はG7で最下位が続いている。実質賃金に至っては、2021年以降のインフレ局面で累計約2%低下した(OECD Employment Outlook 2025)。物価に賃金が追いつかない。

世界最高水準の基礎能力と、先進国下位圏の賃金・生産性。この落差は、どこから来るのか。

スキルに「値段がつかない」構造

あの資料の図5が示唆的だ。「能力・スキルのミスマッチ」と題されたこの図は、企業側と労働者側が求めるスキルのズレを可視化している。

企業が強く求めるのは、チームワーク・協調性、職場固有の実践的スキル、コミュニケーション能力、定型業務の効率化。一方、労働者が求めるのは語学、専門的IT、高度な専門知識。

この対照が面白い。労働者が欲しがっているのは、いわば「持ち運べるスキル」だ。語学もITも、どの会社に行っても使える。資格として証明でき、転職市場で値段がつく。企業が求めているのは「社内で役立つスキル」で、しかも測定が極めて困難だ。「コミュニケーション能力が足りない」と言われたとき、それを客観的に反証する手段は事実上ない。

ここに構造的な非対称が生まれる。測定できない評価軸を中心に据えると、賃金を上げる明確な根拠が生まれにくくなる。「あなたのPythonスキルは業界上位20%です」なら交渉材料になる。しかし「コミュ力にまだ伸びしろがある」には、反論のしようがない。評価基準が曖昧であるほど、裁量権は定義を握っている側――つまり企業側に集中する。

努力しても報われないなら、努力しないのが合理的だ

図4は「能力開発と処遇への反映」を示している。能力開発を処遇に反映させている企業は多いが、「正社員のみに反映」や「反映させていない」層が一定割合ある。つまり、頑張ってスキルを身につけても給料に反映されない可能性がある。特に非正規雇用では。

投資に対するリターンが不透明なら、追加投資を控えるのは経済合理的な判断だ。怠惰ではない。

図3はこの裏返しを示している。企業が訓練機会を提供すると、労働者の自己啓発率が有意に高まる。最初のスイッチは企業側が入れるものなのだ。「やる気の問題」で片付けるには、データが反対方向を向いている。

値段がつくのは椅子か人か

スキルと賃金の連動は、国ごとにどれほど違うのか。Hanushek et al.(2015, European Economic Review)がPIAACデータを用いて23カ国を分析した研究がある。数的思考力が1標準偏差上がったときの時間賃金上昇率は、国平均で約18%。しかし国ごとの差は大きく、米国28%、ドイツ・アイルランドは21%超。北欧4カ国はいずれも12〜15%にとどまる。そして同じ論文が示した重要な発見がある。雇用保護が厳格な国、賃金圧縮が強い制度を持つ国ほど、スキルの賃金リターンは系統的に低い。日本は組合組織率や公的セクター比率こそ低いものの、企業内労働市場の閉鎖性、年功・等級による賃金体系、外部労働市場の薄さといった固有の制度的要因が、同様にスキルの賃金リターンを抑圧していると考えられる。成長率の問題ではなく、制度が「スキルに値段をつける回路」を構造的に絞っている。

では、何がその制度を形づくっているのか。違いは雇用契約の設計思想にある。

欧米型を単純化すると、まず「椅子」がある。「Javaエンジニア」「マーケティングマネージャー」といった職務が定義され、椅子ごとに賃金レンジが決まっている。値段がついているのは椅子だ。しかし椅子がスキル要件で定義されているから、スキルを上げれば「より高い椅子」に移れる。転職市場がその移動を媒介する。結果として、椅子に値段をつける制度が、人のスキルに値段をつける制度として機能する。

日本型は一見すると逆に見える。新卒一括採用で「人」を採り、配属は入社後に決まる。人を見ているように見える。しかし実態はどうか。入社後の賃金は年次・等級・ポストに紐づいている。つまり値段は椅子に固定されている。しかも多くのJTCでは、その椅子はスキル要件ではなく、年功や社内序列で定義されている。スキルが上がっても、椅子が変わらなければ賃金は動かない。椅子を変えるための転職市場は薄い。結果として、「人を採る」と言いながら、人のスキルには値段がつかない。

皮肉な逆転がここにある。「椅子を定義する国」のほうが人のスキルに値段がつき、「人を採る国」のほうが椅子の値段に縛られている。

しかも、椅子がスキルで定義されていない以上、採用基準は「どの部署でも適応できる人」に傾く。協調性、コミュニケーション能力――つまり、あの図5で企業側が求めていたものだ。加えて、日本では正社員の解雇が法的にも社会的にも困難だ。一度雇えば数十年つきあう前提がある。企業が最も恐れるのは「能力不足の社員」ではなく「組織の和を乱す社員を何十年も抱えること」だ。だから「空気を読めるかどうか」の比重が異常に高くなる。読解力が世界2位であろうと、その能力が賃金に変換されるルートは細い。

曖昧さは、誰の利益になるか

少し踏み込んだ見方をする。

曖昧な評価軸は、意図的かどうかに関わらず、評価する側に大きな裁量を与える。賃金を上げない理由にも、上げる理由にも使える。能力が高い人間に「まだ足りない」と測定不能な基準で言い続けることの効果は大きい。何を頑張ればいいかわからない状態は人を従順にする。達成基準が不明瞭であるほど、人は「もっと頑張らなければ」と自分を追い込むかもしれない。

この構造を抽象化すると、「具体的な対価を提供できない側が、抽象的な価値を代わりに差し出す」というパターンが見える。「やりがい」「成長」「誇り」「一体感」――測定不能で市場価格がつかないものを対価として提示する構図は、企業と労働者の関係に限らず社会のあちこちに現れる。受け取る側が「それで十分なのか」を判断できないまま、差し出す側の定義に従わざるを得ない構造。曖昧な基準は、意図の有無にかかわらず構造的に権力の非対称を生む。

この資料が、意図せず語っていること

確認したことを並べる。日本の成人の基礎能力はOECDトップクラスだ。しかし平均賃金はOECD平均を下回りG7最下位。企業は測定困難なソフトスキルを重視し、専門能力への値付けが弱い。能力開発が処遇に反映されない層があり、スキル投資のリターンが不透明。企業訓練が自己啓発を誘発する関係は確認されているのに、制度設計がそれを活かしきれていない。

これらが示唆するのは、「労働者の努力不足」という説明が、データを丁寧に見るほど弱くなるということだ。

世界最高水準の労働者に「もっと学べ」と言う前に、学んだことが報われる仕組みがあるかを問うほうが筋は通る。「コミュ力が足りない」と言い続けるなら、その言葉が具体的に何を指し、どう賃金に反映されるのかを問うほうが生産的だ。

ただし、ここで一つ留保が要る。

払いたくても、払えない

「企業がスキルに値段をつけない」という議論は、体力のある企業には当てはまるかもしれない。しかし日本の雇用の約70%は中小企業が担っている。2025年版の中小企業白書によれば、中小企業の労働分配率はすでに80%近い。稼いだ付加価値の8割が人件費に回っている状態で、スキルに応じた賃金体系を新たに構築する余力はほとんど残っていない。 OECD Employment Outlook 2025の日本ノートでも、中小企業ではコスト転嫁の遅れから同水準の賃上げが困難な状況が指摘されている。

では、なぜ企業にそこまで体力がないのか。個々の経営努力の問題で片付けてよいか。

1990年代以降の日本データを分析すると、銀行が本来なら市場から退出すべき企業への融資を続ける「ゾンビ・レンディング」が、産業全体の生産性を抑圧していることを示される。低生産性企業が市場に残り続けると、価格競争や労働市場で場所を占有し、高生産性企業の参入・拡大を妨げる。McGowan, Andrews & Millot(2018, Economic Policy)がOECD14カ国に拡張した分析でも同じ構造が確認されている。ゾンビ企業のシェアが高い産業ほど、健全な企業の投資成長率・雇用成長率が低く、生産性向上型の資本再配分が起きにくい。

問題は、これが自然現象ではなく政策設計の帰結だということだ。日本ではこの機能不全を増幅する制度が、政治的に選択され維持されてきた。超低金利政策は債務の延命コストを限りなく下げた。 中小企業向け信用保証制度等、政府保証のメニューが広く利用されたことで、銀行の審査規律が十分に働きにくい構造が続いた。本来なら市場が淘汰すべき企業を、公的資金で生かし続ける仕組みが制度として組み込まれていた。倒産・退出制度も弱い。諸外国には債務超過企業に早期の法的対応を義務づける制度が存在するが、日本では退出・再編を促す強制力のあるメカニズムが弱い。

なぜこうなったのかは、政治のロジックで見ると理解しやすい。中小企業は雇用の7割を担っている。退出を促せば短期的に失業が増える。信用保証を絞れば倒産件数が跳ね上がる。いずれも選挙で罰されやすい。政治的に合理的な選択は、低生産性企業を延命させ、雇用を守る方向に寄る。

その背後には、過去の成功体験に根ざした「待てば回復する」、「メイドインジャパンは特別だ」といった物語が、痛みを伴う構造改革を先送りするための心理的な免罪符として働いてきた面もあるのかもしれない。代償は、産業全体の生産性が上がらず、賃金も上がらないことだが、そのコストは有権者に見えにくいかたちで支払われる。

因果の連鎖を整理する。企業延命 → 低生産性企業が雇用の大半を占有 → 産業全体の付加価値が薄いまま → 賃上げ原資がない → スキルに値段がつかない。「企業に体力がない」は結果であって原因ではない。退出と再配分のメカニズムを制度的に止めた結果、「稼げない企業が雇用を担い、稼げないから賃金を払えない」という均衡が固定されている。

世界最高水準に「働ける」労働者が、報われていない。これは日本の労働者が劣っているからではなく、優秀さを換金する回路が制度的に機能していないからではないか。

配管の問題を、水質のせいにしても、水は流れない。


(データ出典:OECD PIAAC 2023, OECD Employment Outlook 2024/2025, 日本生産性本部「労働生産性の国際比較」, 内閣府「経済財政白書」)

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