スイスは「人口上限」を憲法に書き込むのか――2026年6月14日、国民投票の構造を読む

人口に「上限」を設けるとは、どういうことだろうか。

2026年、スイス連邦参事会(Bundesrat)は、国民発議「1000万人のスイスはごめんだ!(Keine 10-Millionen-Schweiz!)」――通称「持続可能性イニシアティブ(Nachhaltigkeitsinitiative)」――を6月14日の国民投票にかけると正式に決定した。この発議が求めているのは、連邦憲法に「2050年までに常住人口が1000万人を超えてはならない」と明記することである。

憲法に数字を刻む。それだけ聞くと、計画経済のにおいがしないだろうか。あるいは、かつての中国の一人っ子政策を連想する人もいるかもしれない。だが実際の条文を読むと、この発議が狙っているのは身体や生殖への介入ではなく、移民・滞在許可・国際条約という「国の門」の開閉である。つまり「産むな」ではなく「入れるな」――その違いは決定的だが、だからといって軽い話でもない。

この投票は、単なる移民政策の是非を超えて、スイスという国の国際的な立ち位置そのものを賭けた案件になっている。何がどう連鎖するのか、制度面・対EU関係・経済構造の三つの角度から、できるだけ冷静に分解してみたい。

数字で見る「いま」――なぜ人口が争点になるのか

まず前提を確認しておこう。スイスの常住人口は2024年末に900万人を突破し、2025年初時点で約905万人に達した。1960年と比較すると約70%の増加である。そして近年の増加のほとんどは移民によるものだ。

シンクタンクAvenir Suisseの分析によれば、2000年以降の人口増加約190万人のうち、およそ8割が国際的な純移動(移民の流入超過)に起因する。残りの2割が自然増(出生マイナス死亡)だが、実はスイス国籍者だけを見ると、もはや自然増はマイナスに転じている。つまりスイス人の出生数はスイス人の死亡数を下回っており、スイス国籍者の数が微増しているのは帰化によるものでしかない。移民超過がなければ、スイスの人口はすでに減少局面に入っていた計算になる。

合計特殊出生率は2024年に1.29まで低下した。スイス史上最低の数字であり、日本の水準(1.20、2024年)にかなり接近している。では移民がどのくらい来ているのか。2007年にEUとの人の移動の自由が完全発効して以降、外国籍の純移入は年平均約7万7000人。2023年にはウクライナ避難民の統計上の計上もあり、14万8000人という突出した数字が記録された。2024年も約9万人である。

この数字を、人口900万人強の国で想像してみてほしい。毎年、小さな都市ひとつ分の人々が新たに加わっている計算だ。住宅、交通、学校、医療――あらゆるインフラに圧力がかかるのは自然な帰結だろう。実際、スイスの住宅空室率はわずか1.0%まで低下している(JLL、2025年10月)。家賃は上昇を続け、通勤電車の混雑は慢性化し、「密度ストレス(Dichtestress)」という言葉が日常語になった。

ザンクトガレン大学のシュテファン・レッゲ教授は、Bloomberg の取材に対してこう述べている。「1人当たりGDPはここ3年間伸びておらず、実質賃金は低下した。少なくない人々が、3年前より生活が悪くなっている」。経済全体は成長している。だがそれは人口が増えているからであって、一人ひとりの豊かさは停滞しているのではないか――そういう疑念が広がっている。

発議の仕組み――「トリガー方式」という設計

では、この発議が可決されたら具体的に何が起きるのか。条文は「政府にこうしろ」と細かく命じるのではなく、人口の数値に連動して行動義務を発生させる「トリガー方式」を採用している。

第一のトリガーは950万人。常住人口がこの線を越えた時点で、連邦政府と議会は1000万人への到達を回避するための措置を講じなければならない。条文が名指しするのは、難民・庇護申請者の受け入れ制限と、家族呼び寄せの厳格化である。

第二のトリガーは1000万人。この線を越えた場合、政府は利用可能なあらゆる手段を動員して人口を再び下回らせる義務を負う。そして、「人口増加につながる国際的合意」を可能なかぎり速やかに解消する方向で動くことが求められる。

そして最も重要な第三のトリガー。1000万人超過が2年続き、例外条項やセーフガードでも目標を達成できない場合、EUとの「人の移動の自由に関する協定(AFMP/FZA)」を終了させる義務が、条文に埋め込まれている。

ここが肝心な部分である。この発議は、移民を直接何人に制限するとは書いていない。書いてあるのは「人口がこの数字を超えたら、政府は動け」という行動義務と、最終手段としての条約終了という「出口」である。いわば、政治の裁量を意図的に奪う設計だ。財政政策における「債務ブレーキ(Schuldenbremse)」に近い発想と言える。スイスはすでに財政分野でこの種の数値ルールを憲法に持っている国であり、その意味では「数字で政策を縛る」こと自体はスイス的な伝統の延長線上にあるとも言える。

ただし、財政の数値目標と決定的に異なるのは、この発議のトリガーが最終的に国際条約の破棄につながり得るという点だ。ここから先が、この案件が「危険物」と呼ばれる理由である。

ギロチン条項――一本抜けば全部倒れる

AFMPは単独で存在しているわけではない。1999年に署名された「二国間協定I(Bilateral I)」と呼ばれる7つの協定パッケージの一部であり、これらは法的に「ギロチン条項(guillotine clause)」で連結されている。

ギロチン条項とは何か。7つの協定のうちどれか1つが破棄または更新されなかった場合、残りの6つもすべて失効する、という取り決めである。EU側の批准決定文には、「7つの協定は密接に結びついており、同時に発効し、同時に適用を停止する」と明記されている。

この7つに含まれるのは、人の移動の自由だけではない。技術的貿易障壁の相互承認、公共調達市場の開放、農産物貿易、陸上輸送、航空輸送、そして研究協力――これらすべてが、同じ紐で束ねられている。

つまり、人口が1000万人を超えて2年が経過し、条文に従ってAFMPを終了させた場合に起きるのは、人の移動の自由の終了だけではない。スイス企業がEU単一市場にアクセスするための制度的基盤が、ドミノ倒しのように崩れるリスクがある。

スイスはEUに加盟していない。だがEUはスイスの最大の貿易相手であり、スイスの輸出の約半分、輸入の約7割がEU向けである。100を超える二国間協定が、この関係の制度的な骨格を形成している。その骨格の中核にあるBilateral Iが崩れるということは、スイス経済の対外接続構造が根本から揺らぐことを意味する。

反対派が「スイス版ブレグジット」と呼ぶのは、このシナリオを指している。では、それは大げさなレッテルだろうか。ここは慎重に考える必要がある。

2014年の教訓――「まさか」は一度起きている

スイスで移民に関する国民投票が接戦になるのは、今回が初めてではない。振り返るべき先例がある。

2014年2月9日、「大量移民反対イニシアティブ(Masseneinwanderungsinitiative)」が投票にかけられた。SVP(スイス国民党)が主導したこの発議は、移民割当の再導入と、EUとの人の移動の自由協定の再交渉を求めるものだった。政府、議会、経済界、SVP以外のほぼすべての政党が反対に回った。世論調査でも否決が優勢と見られていた。

結果は50.3%で可決。票差はわずか1万9526票だった。

では、可決後に何が起きたか。EUは自由移動の原則について再交渉を拒否した。ギロチン条項の発動をちらつかせた。結局、スイス議会は条文の「ミニマリスト的実装」を選択した。移民割当は導入されず、代わりにスイスの雇用市場において国内求職者を優先する仕組み(職安への届出義務など)が導入された。憲法改正は名目上実現したが、その中身は発議の精神とは大きくかけ離れたものになった。

これは何を意味するか。国民が可決しても、実装の段階で「骨抜き」にされ得るという前例だ。SVPはこの教訓から、今回の発議にAFMP終了という「最終兵器」を条文に直接組み込んだ。2014年のときのように、議会が逃げ道を探して実質的に無力化することを、条文レベルで防ごうとしている。

もう一つ、2020年の「適度な移民イニシアティブ(Begrenzungsinitiative)」も見ておく必要がある。これは人の移動の自由協定の終了を直接求めた発議だったが、61.7%の反対で明確に否決された。同じ移民テーマでありながら、2014年とは正反対の結果になった。

二つの先例が示すのは、スイスの有権者は「移民を減らしたい」という感情と、「EUとの関係を壊したくない」という計算の間で揺れ動いているということだ。どちらに傾くかは、そのときの経済状況と、「ギロチン条項の恐怖」がどこまで浸透するかに依存する。

48%という数字をどう読むか

2025年12月時点の世論調査で、この発議への支持は約48%と報じられた。これは高い数字だろうか、低い数字だろうか。

スイスの国民発議には、よく知られたパターンがある。発議直後は支持率が高く出やすい。投票日が近づくにつれて、政府・経済界が「リスクの可視化」に動き、いわゆる現状維持バイアス(Status Quo Bias)が働いて反対が伸びる傾向がある。2020年の適度な移民イニシアティブも、初期の世論調査では拮抗していたが、最終的には大差で否決された。

しかし、48%というスタート地点は、政府側にとって安心できる水準ではない。通常、国民発議が最終的に可決されるケースでは、初期支持率が50%を大きく超えていることが多い。だが2014年の「大量移民反対」は、そのパターンを裏切った。

しかも今回は、有権者の不満の根が深い。住宅空室率1.0%。実質賃金の低下。通勤インフラの逼迫。こうした生活実感は、抽象的な「EU関係のリスク」よりも、日々の暮らしの中で肌で感じられるものだ。

加えて、この発議が通るには二重多数(doppeltes Mehr)が必要である。憲法改正だから、国民全体の過半数に加えて、26州のうち過半数の州で賛成が上回らなければならない。2014年の先例では、都市部が反対に回り、地方部・ドイツ語圏・ティチーノ州(イタリア語圏)が賛成に傾いた。フランス語圏は58.5%が反対だった。今回も同様の地理的分断が予想されるが、州多数のハードルが最終的にブレーキをかける可能性はある。

「常住人口」の定義が生む抜け穴

条文をもう少し細かく見ると、興味深い論点が浮かぶ。この発議が対象とする「常住人口(ständige Wohnbevölkerung)」の定義は、スイス国籍者(主たる住所が国内にある者)と、外国籍で12か月以上の滞在許可を持つ、もしくは12か月以上の滞在が見込まれる者、となっている。

では、この定義に含まれない人々はどうなるか。たとえば、国境通勤者(Grenzgänger)。フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアから毎日スイスに通勤してくる人々は、2024年第2四半期時点で約40万人に達している。5年前の33万5000人から19%の増加だ。彼らは「常住人口」にはカウントされない。

もし発議が可決されて移民の在留許可が厳格化された場合、労働需要の一部は国境通勤者の増加によって吸収される可能性がある。あるいは、12か月未満の短期滞在者が増えるかもしれない。人は来るが、統計上の「常住人口」には乗りにくい形へシフトする――そういうシナリオだ。

皮肉なことに、これは住宅や交通の混雑(密度ストレス)を必ずしも解消しない。毎日通勤してくる40万人は、道路を走り、電車に乗り、病院に行く。統計上の人口が減っても、インフラへの負荷は変わらないかもしれない。「人口」を数字で管理しようとするとき、「人口」の定義そのものが政策効果を左右するという、制度設計の根本的な問題がここにある。

対EU関係のもう一つの変数――新たな二国間パッケージ

この投票を複雑にしているのは、タイミングの問題でもある。スイスとEUは現在、二国間関係の新たな枠組み(いわゆる「条約パッケージ」)について交渉を進めている。2024年12月に連邦参事会とEU委員会が共同宣言に署名し、新パッケージの国民投票は2027年に予定されている。

SVPはこの新パッケージに反対しており、その批准に必要な投票形式を「義務的レファレンダム(二重多数)」にしようと動いている。連邦政府は「任意的レファレンダム(国民多数のみ)」で済ませたい。つまり、2026年6月の人口上限投票と、2027年の新EU協定投票は、時系列的に連結した二つの戦場である。

ここで一つの疑問が浮かぶ。もし6月に人口上限イニシアティブが可決された場合、2027年の新EU協定パッケージの交渉はどうなるか。AFMPの終了がすでに憲法に書き込まれた状態で、EUとの新たな協力枠組みの交渉が成立するだろうか。少なくとも、EUがスイスに対してより厳しい姿勢で臨む可能性は高い。

逆に、連邦参事会が「EUとの新パッケージの中で、セーフガード条項(移民の急増時に一時的に制限をかける仕組み)を獲得した」と説得力をもって示すことができれば、イニシアティブの「最終兵器」は過剰に見え、反対票が増えるかもしれない。この物語がどこまで浸透するかが、投票結果を左右する変数のひとつだ。

誰が「はい」と言い、誰が「いいえ」と言うか

賛成派の中核はSVP(スイス国民党)である。得票率約28%でスイス最大の政党であり、連邦議会最大会派でもある。彼らのフレーミングは明確だ。「外国人が増えすぎて、スイス人の家賃が上がった。電車が混んだ。自然が壊された。スイスの繁栄を守るために門を閉じるべきだ」。これは社会主義的な計画経済の論理ではなく、ナショナリズム的な保護主義の論理である。

反対派は幅広い。連邦参事会、連邦議会の両院、経済界、左派・中道政党がいずれも反対を表明しており、対案(カウンタープロポーザル)すら提出されていない。政府と議会は国民に「否決」を推奨している。

反対派の論拠は主に三つ。第一に、スイス経済は外国人労働力に構造的に依存しており、医療、建設、観光、IT、製薬の各分野で人手不足が深刻化する。常住人口の31%が外国籍であり、スイスの化学・製薬・バイオテク産業では従業員の45%が外国人という統計がある。第二に、ギロチン条項の連鎖により対EU関係が崩壊する。第三に、人口増加は移民だけでなく寿命の延びにも起因しており、数値上限は非現実的である。

ただし、第三の論拠は数字を見ると少し弱い。2024年の人口増89,000人のうち、自然増はわずか6,000人(全体の7%弱)であり、93%以上が移民によるものだった。「寿命が延びたから」という説明だけでは、現在の人口増のほとんどを説明できないのは事実である。

投票日までに見るべきもの

6月14日まで約4か月。この間に何が起きるかで、結果は大きく変わり得る。

第一に、「ギロチン条項の恐怖」がどこまで有権者に浸透するか。これは過去の投票で繰り返し効いてきた要因だ。2020年の適度な移民イニシアティブが61.7%で否決されたのは、経済界と政府が「EU市場アクセスの喪失」というリスクを効果的に訴えたからだと広く分析されている。今回も同じ戦術が使われるだろう。ただし、「3年前より生活が悪くなった」と感じている有権者に、抽象的な通商リスクがどこまで響くか。

第二に、新EU協定パッケージの進捗。セーフガード条項を含む新たな枠組みが具体的に提示されれば、「AFMPを壊さなくても移民をコントロールできる」という物語が信憑性を持ち得る。そうなれば、イニシアティブの必要性が薄れる。

第三に、二重多数の地理的力学。国民全体で賛成が過半数に達しても、州多数で過半数に届かなければ否決される。都市部と農村部の温度差、言語圏ごとの傾向差が、この投票の最終的な帰趨を決める可能性がある。2014年の「大量移民反対」では、国民多数と州多数がともに成立したが、いずれもぎりぎりだった。

「数字で国を縛る」ことの意味

最後に、この発議が投げかけている問いの本質について考えてみたい。

人口に上限を設けるという発想は、一見すると荒唐無稽に聞こえる。だがスイスは、財政規律を憲法上の「債務ブレーキ」で縛っている国でもある。通貨政策も、かつてスイス国立銀行が対ユーロの為替レートに「下限」を設定し(2011-2015年)、数値ルールで市場を制御しようとした経験がある。「数字で政策を縛る」こと自体は、スイスにおいて必ずしも異端ではない。

問題は、何を縛るかだ。財政や通貨は、政府・中央銀行の裁量で調整できる領域がある。だが人口は、個人の移住の自由、国際条約上の義務、労働市場の需給、人道的責任(難民保護)といった、複数の次元が交差する領域にある。ひとつの数字で「ここまで」と線を引いたとき、そのしわ寄せはどこに行くのか。

連邦参事会側の文書は、この発議が人権分野の国際合意にまで圧力を及ぼし得ると指摘している。「人口増につながる国際的合意」の中には、難民条約のような強行規範に近いものが含まれ得るからだ。数値目標を達成するために、国際人道法上の義務との衝突が生じるリスクは、抽象的な懸念にとどまらない。

一方で、スイスの直接民主制を重んじる立場からすれば、これは「国民が自分たちの国のあり方を自分たちで決める権利」の行使そのものだ。10万人以上の署名を集め、連邦議会の議論を経て、国民投票にかけられる。このプロセス自体は民主主義の正統な手続きに則っている。

つまりこの投票は、直接民主制の強さと弱さの両方が同時に試される場面でもある。国民の実感に基づく要求を制度に反映させる力と、その要求が国際的な法的・経済的ネットワークと衝突したときに何が起きるかという問題。2014年の先例は、可決されても実装の段階で大きく修正され得ることを示した。だが今回の条文は、その「修正の余地」を意図的に狭めている。

6月14日に何が起きるか、まだ誰にもわからない。確実に言えるのは、この投票の結果が、スイスとEUの関係、スイス経済の対外接続構造、そしてスイスの直接民主制が国際秩序とどう折り合いをつけるかという根本的な問いに、長期にわたる影響を及ぼすということだ。

(2026年2月11日。データ出典:Avenir Suisse, SWI swissinfo.ch/Bloomberg, Swiss Federal Statistical Office, JLL Switzerland, Library of Congress, KOF Swiss Economic Institute, OECD, Migration Policy Institute)

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