日英の地経学:重力は存在する、好むと好まざるにかかわらず

レポート:鏡合わせの二人
感覚的な理解を整理するためのメモとしてお読みください。
Watch China Overtake The US As The World’s Major Trading Partner

Map created by Roland Rajah at the Lowy Institute

鏡合わせの二人:日本と英国

ユーラシア大陸を俯瞰すると、その東端と西端には、地理的にも歴史的にも対照的でありながら、どこか鏡のように呼応する二つの島国が浮かんで見える。日本と英国である。かつては独自の軌道を描きながら世界に影響力を及ぼした海洋国家だった両国は、現在ではそれぞれ異なる大陸圏―中国とEU―の重力圏の縁で軌道を保ち続けている。

この配置が生み出すのは、天体力学を思わせる二つの力のせめぎ合いである。ひとつは、過度な依存から距離を置こうとする政治的選好がもたらす遠心力。もうひとつは、距離と市場規模に比例して働き、より大きな経済圏へと引き寄せようとする向心力だ。国家戦略とは、結局この二力の均衡点を探り続ける軌道制御に等しい。遠心力が勝てば独立した進路を描けるが、近隣に巨大な経済圏が存在する場合、その引力を完全に無視することは難しい。言い換えれば、「隣にあるデカい経済圏とは、好むと好まざるとにかかわらず付き合わざるを得ない」という地経学の重力法則である。

英国のBrexit期には、この重力法則を無視した「遠方の国々との貿易拡大によるEU代替」という構想が繰り返し提示された。オーストラリア、ニュージーランド、さらにはコモンウェルス諸国を再び結束させる「グローバル・ブリテン」構想である。しかしBoEや財務省は、この発想自体に慎重姿勢を取り続けた。背景にあったのは政治思想ではなく、単純な経済地理の制約だ。距離が離れるほど交易量は低下する―これは重力モデルが半世紀以上にわたり示してきた経験則であり、政策当局はその現実を理解していた。

本稿では、この重力モデルをひとつの観測装置として用い、英国のEU離脱後の貿易軌道、日本の対中依存構造、そして両国が共有する地経学的制約を読み解く。遠心力(政治)と向心力(経済)の均衡点が、日英双方の政策選択をどこまで規定しているのか。その実像を、理論とデータの双方から考察する。

2. 理論的枠組み

重力モデルの基本式は以下の通りである。

Tij = G × (Yiα × Yjβ) / Dijγ
  • Tij:国iと国jの間の貿易量
  • Yi, Yj:各国のGDP(経済規模)
  • Dij:両国間の地理的距離
  • G:比例定数
  • α, β, γ:パラメータ(通常 α≈β≈1、γ≈0.5〜1.0)

Head and Mayer(2014)のメタ分析によれば、距離が10%増加すると貿易量は約9%減少するという関係が確認されている。この「距離の負の効果」は、輸送費用、情報コスト、時差、文化的距離など、複合的な取引コストを反映している。

興味深いことに、Disdier and Head(2008)の1,467件の推定値を分析したメタ研究では、距離係数γは過去1世紀以上にわたって驚くほど安定的に推移しており、むしろ1950年以降わずかに増加している。しかし最近の研究(Anderson and Yotov, 2020)では、適切なモデル化により1988-2006年の間に距離弾力性が約14%低下したことが示されており、また特にサービス貿易では2000年代初頭の約-0.62から最近では-0.50程度まで低下していることが確認されている。これは、デジタル技術の発展により、特定の貿易形態では距離の影響が緩和されつつあることを示唆している。

3. ケーススタディⅠ:英国のEU離脱後の貿易構造

英国はEU離脱後、「グローバル・ブリテン」構想のもと、遠方の英連邦諸国との関係強化を目指した。Brexit支持派が描いたシナリオは、「EUという重力圏から離脱し、世界中に散らばる英連邦諸国との自由貿易により、新たな軌道を描く」というものだった。では、実際に何が起きたのか。以下は2016年(国民投票年)と2023年(離脱後完全移行期間終了から3年目)の貿易構造比較である。

表1:英国の貿易相手別シェアの変化(2016年 vs 2023年)

貿易相手 相手GDP
(兆ドル, 2023)
距離
(km)
引力指数
(GDP/距離)
2016年
貿易額
(億£)
2023年
貿易額
(億£)
シェア
変化
EU27カ国 18.6 320 58.1 5,440
(47.2%)
7,950
(42.3%)
▼4.9pt
米国 27.4 5,800 4.7 1,820
(15.8%)
3,150
(16.8%)
▲1.0pt
オーストラリア 1.7 17,000 0.1 165
(1.4%)
195
(1.0%)
▼0.4pt
インド 3.7 7,200 0.5 265
(2.3%)
380
(2.0%)
▼0.3pt
カナダ 2.1 5,400 0.4 180
(1.6%)
240
(1.3%)
▼0.3pt
出典:UK Office for National Statistics (2017, 2024), World Bank GDP data (2023)

分析①:「消えたシェア」はどこへ行ったのか

表1を見ると、EUのシェアが約5ポイント低下した一方で、期待された「英連邦(豪・印・加)」のシェアはむしろ微減していることがわかる。では、EUから剥落した貿易シェアの受け皿となったのは誰か。答えは、「より近い非EU国」と「巨大な質量を持つ中国」である。

表1にない貿易相手 2016年シェア 2023年シェア シェア変化 要因
中国 3.6% 5.8% ▲2.2pt 製造品・中間財への依存深化
(重力=巨大な質量)
非EU西欧
(ノルウェー・スイス等)
4.5% 7.1% ▲2.6pt エネルギー(NO)と金融・貴金属(CH)
(重力=近接性)
結論:政治的意図よりも「重力」が勝った
英国がEUという枠組みを離れても、貿易が増えたのは「地理的に近い欧州圏(非EU)」と「世界最大の工場(中国)」であった。遠方の英連邦との貿易再興という政治的ロマンティシズムは、距離と経済規模という物理的現実(重力)の前では結局のところ実効性を欠く理想論に過ぎなかったと言える。

表2:UK-Australia FTA前後の対豪貿易詳細

期間 対豪輸出
(億£)
対豪輸入
(億£)
貿易総額
(億£)
前年同期比
成長率
2022 Q2
(FTA発効1年前)
36 42 78
2023 Q2
(※5月末発効)
39 45 84 +7.7%
2023 Q4 41 47 88 +8.2%

分析②:FTAは「距離の壁」を壊せたか — 規模の非対称性

表2が示す通り、FTA発効後に貿易総額は+8.2%の成長を見せており、協定の効果自体は確かに存在すると言える。しかし、重力モデルの観点から最も重要なのは、成長の「率」ではなく「絶対額の規模(Scale)」である。

  • 桁違いの絶対額:オーストラリアとの貿易総額(約88億ポンド)は、EUとの貿易額(約7,950億ポンド)の約90分の1に過ぎない。
  • 「バケツ」と「スプーン」:EUとの貿易がわずか1%減少するだけで約80億ポンドが失われる。対してオーストラリアとの貿易が仮に10%成長しても、得られるのは9億ポンド未満である。

つまり、FTAによって遠方との貿易を成長させることは可能だが、その増加分は近隣巨大市場(EU)の損失を埋め合わせるにはあまりに軽微である。この「規模の非対称性」こそが、距離の壁(重力)がもたらす最も残酷な現実である。

4. ケーススタディⅡ:日本の貿易構造における中国 — 円安と依存のジレンマ

日本もまた、地経学的な重力と政治的な遠心力の間で引き裂かれている。「チャイナ・プラス・ワン」や経済安全保障推進法の制定など、政治は明確に「脱中国」を志向している。しかし、データが語るのは、容易には断ち切れない経済的結びつきである。

表3:日本の貿易相手別シェアの変化(2015年 vs 2023年)

貿易相手 相手GDP
(兆ドル, 2023)
距離
(km)
引力指数
(GDP/距離)
2015年
貿易額
(兆円)
2023年
貿易額
(兆円)
シェア
変化
中国 17.8 2,100 8.5 32.7
(21.8%)
41.7
(20.5%)
▼1.3pt
米国 27.4 10,900 2.5 24.5
(16.3%)
31.5
(15.5%)
▼0.8pt
ASEAN 3.8 4,500 0.8 20.1
(13.4%)
31.2
(15.3%)
▲1.9pt
韓国 1.7 1,150 1.5 7.2
(4.8%)
9.1
(4.5%)
▼0.3pt

分析③:名目増加の裏にある「構造的粘着性」

表3のデータ解釈には、極めて重要な注意点がある。それは為替レートの劇的な変動である。

「円安」というバイアスと真実
2015年(約121円/$)から2023年(約140円/$)にかけて、円は約15%以上減価した。
  • 見かけの増加:対中貿易額が32.7兆円から41.7兆円へ(+27%)増加しているが、これは円安による輸入コスト増の影響を大きく受けている。数量ベースでの成長は限定的かもしれない。
  • 真の恐怖:しかし、より深刻なのは「割高になっても買い続けている」という事実である。通常、価格が上がれば需要は減るはずだが、それでも輸入額(支払額)が膨らんでいることは、代替不可能なほど依存が構造化している(需要の価格弾力性が低い)ことを証明している。

表4:日本の対中輸入の品目別変化(2015年 vs 2023年)

品目カテゴリ 2015年
(兆円)
2023年
(兆円)
変化率 主要品目例
電気機器 5.8 7.2 +24% 半導体、通信機器、PC部品
一般機械 2.1 3.5 +67% 工作機械部品、産業用ロボット
繊維・衣類 3.2 2.8 ▼13% 衣料品、繊維製品
(ASEANへシフト)
化学製品 1.5 2.3 +53% 医薬品原料、レアアース
出典:財務省貿易統計 品目別分類(HS2桁ベース集計)

「脱中国」が進んだのは代替が容易な労働集約的産業(繊維)のみであり、機械や化学製品などの重要物資では、円安コストを支払ってでも中国からの調達を強化せざるを得ない「重力の強さ」が浮き彫りになっている。

ケーススタディⅠ・Ⅱから得られる教訓

英国と日本の事例が共通して示すのは、以下の3点である。

  1. 重力は政策を上回る:FTAや政治的スローガンだけでは、GDP×距離という物理的制約を根本的には覆せない。英国の「消えたシェア」が中国や近隣諸国へ流れた事実がこれを裏付けている。
  2. 「脱○○」の限界:日本のように、為替によるコスト増があっても取引が継続される場合、それは「選択」ではなく「必須」の依存関係であることを意味する。
  3. 代替コストの認識:距離を制度やインフラで補うには莫大なコストがかかる。現実的な政策は、完全なデカップリング(切り離し)ではなく、戦略的なデリスキング(リスク低減)にとどまる。

5. 簡易重力モデルによる貿易構造の乖離分析

ここでは、表1で示した相手国のGDPと距離から求めた引力指数を用いて、極めて簡易な重力モデルの予測と、実際の貿易シェアの乖離を確認する。形式的な推計ではなく、直観を補うための「バック・オブ・ザ・エンベロープ計算」に近いものである。

📊 距離パラメータγの選択について
重力モデルの距離パラメータγは、歴史的には約-1.0前後で推移してきたが、最近の実証研究では技術発展により低下傾向にある。特にAnderson and Yotov (2020)は1988-2006年の間に距離弾力性が約14%低下したことを示し、サービス貿易ではさらに顕著で、2000年代初頭の約-0.62から最近では-0.50程度まで低下している。

本節では、この実証的知見を踏まえ、γ=0.7(伝統的な財貿易の現代的水準を想定)のケースで分析を行う。以下の分析結果は「定量的予測」ではなく「定性的傾向の把握」を目的とした概算として解釈されるべきである。

表A:簡易重力モデルによる英国貿易の理論値と実際(主要5地域、γ=0.7)

貿易相手 距離
(km)
修正引力指数
(GDP/距離0.7)
基準シェア
(全世界, %)
実際のシェア
(全世界, %)
乖離
EU27カ国 700 0.190 47.1 42.3 ▼4.8pt
米国 5,800 0.064 15.8 16.8 ▲1.0pt
オーストラリア 17,000 0.002 0.5 1.0 ▲0.5pt
インド 7,200 0.007 1.8 2.0 ▲0.2pt
カナダ 5,400 0.005 1.3 1.3 ほぼ一致
注:修正引力指数は GDP/(距離0.7) として計算。まず表Aと表Bに登場する9地域内で指数に比例するシェア(合計100%)を求め、その合計を実際の9地域合計シェア78.9%に合わせてスケーリングし、英国全貿易に対する理論シェア(全世界, %)として算出。実際のシェアは英国の全貿易(約18,800億ポンド)に対する比率。

重要な発見:EUとの貿易がなお理論値を下回る

表Aが示すのは、簡易重力モデルに基づけば、EUとの貿易シェアは本来およそ5割弱(約47%)が「自然」な水準であるのに対し、実際には42.3%にとどまっているというギャップである。一方、米国・オーストラリア・インド・カナダは、いずれも理論値と同程度か、それをやや上回る水準となっている。重力モデルの観点からは、EUだけが依然として「想定よりも薄い」相手になっている。

表B:「見えない勝者」— 表1に含まれない主要貿易相手(基準シェア:全世界, %)

貿易相手 GDP
(兆ドル)
距離
(km)
修正引力指数
(GDP/距離0.7)
基準シェア
(全世界, %)
2023年シェア
(%)
特徴
中国 17.8 9,000 0.030 7.5 5.8 距離の割になお高いが、理論値はやや上回る
非EU西欧
(ノルウェー・
スイス等)
約1.2 900 0.010 2.5 7.1 理論値を大きく上回る
日本 4.2 9,600 0.007 1.7 約1.6 理論値にほぼ一致
韓国 1.7 8,900 0.003 0.7 約1.0 理論値をやや上回る
注:表Aと同様に、修正引力指数は GDP/(距離0.7) として計算し、表A・表Bに登場する9地域全体の指数合計を英国貿易に占める実際のシェア78.9%に合わせてスケーリングしている。

分析:中国と非EU西欧

1. 中国:「巨大な質量」が距離のハンデを相殺する

9地域で再計算した重力モデルでは、中国の理論シェアは全世界ベースで約7.5%となり、実際の5.8%をやや上回る。ただし、この乖離は制度距離、市場開放度、規制要因などでも十分に説明可能であり、直ちに異常値とみなすべきものではない。一方で、中国GDPの統計精度をめぐっては以前からさまざまな議論があるため、公表値より実際の規模が小さい可能性を示唆する解釈が生まれる余地も残る。とはいえ、ロンドンから約9,000km離れていることを踏まえれば、「距離の割に依然としてきわめて大きなウェイト」である点は揺るがず、距離や地政学的緊張があっても巨大市場の引力が強く作用しているという事実は変わらない。

その背景には次の要因がある:

  • 製造業サプライチェーンへの深い組み込み:電子機器、機械、消費財など、英国産業が依存する中間財供給源としての役割
  • 価格・供給力の優位性:距離コストを上回るコスト競争力と規模の経済
  • 多品目調達の利便性:幅広い品目を一括で確保できる供給拠点としての地位

2. 非EU西欧:近接距離・制度的優位に、エネルギー市場ショックが重なった「過剰パフォーマンス」

ノルウェーやスイスなどの非EU西欧は、理論シェア2.5%に対して実際のシェアは7.1%と大きく上回る。GDP規模ではカナダ(2.1兆ドル)より小さいにもかかわらず、英国との貿易額はその数倍に達している。この乖離は、重力モデルが前提とする距離・経済規模だけでは説明できない構造的要因を反映している。

  • 極めて近い地理的距離:ノルウェー約900km、スイス約750kmは、カナダの約6分の1で、輸送コスト面の優位が大きい
  • 制度的摩擦の少なさ:EEA(ノルウェー)や独自協定(スイス)により、英国との取引はBrexit後も比較的スムーズで、通関・規格整合性の負担が最小限に抑えられた
  • エネルギー価格高騰の追い風:2021〜2023年の天然ガス・原油価格の急騰、さらにウクライナ危機によるロシア産エネルギー回避が、ノルウェー産エネルギーへの英国依存を大幅に押し上げた(数量よりも価格上昇の影響が大きい)
  • セクター特化の強み:ノルウェーの石油・天然ガス、スイスの金融・医薬品・精密機械が英国需要と密に連動し、距離の近さと組み合わさって高い取引量を維持
  • Brexit後の相対的優位:EU–英国間の制度摩擦が増えたことで、非EU西欧が中継・代替供給者として選好される場面が増えた

3. 日本・韓国:遠距離アジア先進国として「ほぼ重力どおり」

日本と韓国は、いずれも英国から見て遠距離のアジア先進国であるが、簡易重力モデルの理論値と実績は大きく乖離していない。日本は理論値約1.7%に対して実際約1.6%、韓国は理論値約0.7%に対して実際約1.0%と、誤差の範囲内で「重力どおり」か、やや上振れする程度である。

これは、日韓との貿易が、中国や非EU西欧のように「例外的な重力超過」を示しているわけではなく、距離とGDPから期待される水準に収まっていることを意味する。その意味で、Brexit後の英国貿易再編において、日韓は「重力の枠内でのパートナー」と位置づけられる。

Brexit効果の再評価:関税ではなく非関税障壁

表Aで確認されるEUとの貿易の下方乖離をBrexitの影響と結びつける際には、関税以外の要素に注意を払う必要がある。

Brexit後も関税はゼロ — では何が変わったのか
2021年発効の英EU貿易協力協定(TCA)により、原産地規則を満たす財については関税ゼロ・数量制限ゼロが維持されている。したがって、貿易縮小は関税復活では説明できない。

真の変化は非関税障壁(NTBs)の急増である:
  • 税関手続きの復活:申告書類・審査対応が新たな時間コストに
  • 原産地証明の複雑化:サプライチェーンが長いほど証明が困難
  • 適合性評価の二重化:EU・英国で別々の認証が必要に
  • サービス取引の制約:資格相互承認の喪失、人の移動制限
  • 通関待ち時間の増大:生鮮品や部品供給の遅延を招く

これらの非関税障壁は、価格に直接現れない「見えないコスト」として企業行動に影響する。重力モデルの観点では、Brexitは物理的距離を変えずに「取引コストとしての距離」を実質的に拡大したと解釈できる。

結論:簡易モデルが明らかにした英国貿易の構造転換

本節の分析から得られる主要な知見は以下の3点である:

  1. 「距離×GDP」だけでは説明できない貿易パターン:非EU西欧(小さいが近い)は理論予測を大きく上回り、中国(遠いが巨大)は距離ハンデを抱えつつもなお高いシェアを維持する。一方で、EUは理論値を下回り続けており、「本来ならもっと厚くてもおかしくない相手」として浮かび上がる。
  2. Brexitの真のコストは非関税障壁:関税ゼロにもかかわらずEU貿易シェアが理論値を下回る事実は、税関手続き、規格認証、時間コストといった「見えない摩擦」の累積的影響を示唆する。
  3. 「グローバル・ブリテン」の限界と意図せざる受益者:政治的に推進された遠方の英連邦諸国との貿易は、理論値をわずかに上回る程度にとどまり、距離の制約を根本的に克服するには至っていない。一方で、意図せざる受益者として中国と非EU欧州諸国がシェアを拡大し、日本・韓国は「重力どおり」の範囲で安定的なパートナーとして存在感を維持している。

方法論上の重要な留意点

本節で用いた簡易モデルには以下の限界がある:

  • 限定的な地域カバレッジ:
  • GDPと距離以外の要因を捨象:共通言語、歴史的関係、FTA、産業構造などの要因は引力指数に含まれていない。
  • 距離の定義: 本分析では、原則として首都間距離を基準としつつも、実際の貿易フローを反映するために一部の経済圏については「経済重心距離」を採用している。例えばEUについては、ロンドンから最も近いブリュッセル(約320km)だけでなく、製造業・GDPが集中するドイツ西部〜北イタリアへの距離を踏まえ、代表値として約700kmを用いている。また中国についても、政治的首都である北京ではなく、対英貿易の中心となる上海・深圳など沿海工業地帯までの距離を参考にし、おおよそ9,000km前後の距離を代表値としている。日本・韓国についても同様に、実際の貿易港・経済中心地に近いロンドン〜東京(約9,600km)、ロンドン〜ソウル(約8,900km)を距離として用いている。こうした距離の取り方は、重力モデルの数値結果に一定の幅を持たせるため、本稿の値は精密推計というより「オーダー感の比較」として解釈されるべきである。
  • 静態分析の限界:2023年の断面データのみを用いており、Brexit前後の動態的変化を直接捕捉していない。

それでも、伝統的に英国が重視してきた主要先進国との貿易実績が、EUを除けばおおむね重力モデルの理論値近傍に収まっている一方で、EUだけがなお理論値を下回り、中国と非EU西欧が重力を超える存在感を示しているという事実は、「距離の壁」と「制度的摩擦」が我々の想定以上に重要であることを示唆している。これは、政治的なスローガンで「遠くの友好国」との貿易を増やそうとしても、経済地理的な重力の前ではその効果が極めて限定的であることを意味する。 さらに注目すべきは、中国との貿易が距離の割に依然として厚い点である。中国は「世界の工場」としてのサプライチェーンの中核性や、距離による輸送コストを相殺するほどの圧倒的なコスト競争力という、物理的距離を部分的に無効化する「構造的な別重力(特異な引力)」を有しているからだ。 結局、Brexit後の英国が直面している現実は、EUという防波堤を失ったことで、政治的意図(脱中国・親英連邦)とは裏腹に、地理的に不可避な近隣諸国と、強力な引力を持つ中国という二つの重力圏に、好むと好まざるとにかかわらず回帰せざるを得ないという皮肉な結末である。

6. 結論

重力モデルが示す英国貿易の構造変化

重力モデルの視点から英国貿易を捉えると、国家の政策判断だけでは動かしがたい経済地理の力学が、21世紀においても依然として強く作用していることがわかる。本稿の検証は、その実態を三つの側面から明らかにした。

距離の影響は弱まったが、決して消えていない

近年の輸送・通信技術の発展により、距離パラメータはかつての-1.0前後から-0.5〜-0.7の水準まで緩和されている。しかし「緩和」と「無効化」は別物である。ロンドンから約700kmに位置するEU27が英国貿易の4割超を占める一方、約1万7000km離れたオーストラリアとのシェアは1%程度にとどまる。途中の距離にある米国は、経済規模の大きさゆえにシェアを押し上げているものの、それでも距離のハンデを完全に埋めきるには至っていない。この対比は、距離の影響が依然として貿易構造の主要な決定要因であり続けていることを示している。

Brexitは「制度的距離」を重ねてしまった

英国とEUは関税ゼロの協定を維持しているにもかかわらず、EUの貿易シェアは重力モデルが示す自然水準(約47%)をやや下回り、42.3%にとどまる。これは「重力が効いていない」というよりも、本来の地理的重力に加えて、非関税障壁という追加コストが上乗せされた結果、実現シェアが押し下げられているものと解釈できる。

重力モデルの言葉でいえば、Brexitは地理的距離そのものを変えたのではなく、「取引コストとしての距離」をじわじわと引き延ばした。単一市場の下ではほぼゼロに近かった制度的距離が、Brexit後には税関手続きや認証の二重化などを通じて、有効距離を数百〜数千キロ分だけ押し広げた格好になっている。これは、現代の欧州においては、地理的重力の上に制度的統合がどれほど厚い「潤滑油」として働いていたのかを逆説的に浮き彫りにしている。

「グローバル・ブリテン」が直面した現実と、予期せぬ受益者

英国政府が期待した遠方の英連邦諸国(オーストラリア、インド、カナダ)との貿易拡大は、距離の制約を根本的に克服するには至っていない。FTAの締結や交渉が進んでいる国もあるが、地理的距離が大きい国との貿易量は、制度的優遇だけでは大きく押し上げられなかった。

一方で、Brexit後の貿易再編で相対的に大きな恩恵を受けたのは、中国と非EU西欧である。中国は巨大な経済規模により距離を上書きし、非EU西欧(特にノルウェー)は近接距離に加えて、エネルギー価格高騰とウクライナ危機による需要増という追い風を受けた。これらの国々の台頭は、市場の力学が政治的意図とは異なる方向に作用することを示している。

日本への示唆:依存の構造とデリスキングの現実性

日本もまた、中国という巨大経済圏の縁に位置しているが、その状況は英国とは性質が異なる。英国は制度的統合を自ら放棄したことで近隣市場との摩擦を増やしたが、日本の「チャイナ・プラス・ワン」は制度的分断を伴わない多角化戦略である。

技術の進展で距離の影響が相対的に緩和された現代では、ASEAN(距離約4,500km、英国の英連邦転換より高い合理性を持つ)への生産分散は、現実的な選択肢となる。一方で、対中依存が構造的に維持されている品目も多く、特に電気機器・一般機械・化学製品などは代替が難しい領域として残存している。

重力の法則は、依存を完全に断つことの難しさと、現実的なリスク管理の必要性を示唆する。

最終的な教訓:重力を前提とした軌道設計

英国と日本の経験が示す結論は共通している。経済地理の重力は、技術進歩によって弱まることはあっても消えず、政治的意思によって無視しても作用を続ける。求められるのは、この重力の存在を前提にした上での現実的な軌道制御である。

  • 英国の教訓:制度的統合の価値を過小評価し、地理的近接性を軽視した結果、EUからの乖離と中国・非EU西欧への依存増という意図せざる再編を招いた。
  • 日本の課題:地理的必然としての対中依存を踏まえつつ、供給源多様化、ASEANの育成、技術優位の確保を通じて戦略的にリスクを抑制する必要がある。

重力に逆らって推進力を浪費するのではなく、重力の方向を計算に入れて軌道を組み立てる。依存を直視しつつ管理する。リアリズムこそが、地経学的な重力圏の縁で安定を保つための唯一の方法となる。

主要参考文献
  • Anderson, J. E., & van Wincoop, E. (2003). "Gravity with gravitas: A solution to the border puzzle." American Economic Review.
  • Anderson, J. E., & Yotov, Y. V. (2020). "Short run gravity." Journal of International Economics, 126.
  • Disdier, A. C., & Head, K. (2008). "The puzzling persistence of the distance effect on bilateral trade." The Review of Economics and Statistics, 90(1), 37-48.
  • Head, K., & Mayer, T. (2014). "Gravity equations: Workhorse, toolkit, and cookbook." In Handbook of International Economics (Vol. 4, pp. 131-195).
  • Dhingra, S., et al. (2017). "The costs and benefits of leaving the EU: trade effects." Economic Policy.
  • UK Department for Business and Trade (2023). "Impact assessment of the FTA between the UK and Australia".
  • 財務省貿易統計 (2023年確報) および UK ONS Trade Statistics

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