【経済重力モデル】中国とEUの重力圏の縁でもがく日英

レポート:鏡合わせの二人
感覚的な理解を整理するためのメモとしてお読みください。
Watch China Overtake The US As The World's Major Trading Partner

Map created by Roland Rajah at the Lowy Institute

1. 鏡合わせの二人:日本と英国

ユーラシア大陸を俯瞰すると、その東端と西端には、地理的にも歴史的にも対照的でありながら、どこか鏡のように呼応する二つの島国が浮かんで見える。日本と英国である。かつては独自の軌道を描きながら世界に影響力を及ぼした海洋国家だった両国は、現在ではそれぞれ異なる大陸圏―中国とEU―の重力圏の縁で自らの位置取りを模索し続けている。

この配置が生み出すのは、天体力学を思わせる二つの力のせめぎ合いである。ひとつは、過度な依存から距離を置こうとする政治的選好がもたらす遠心力。もうひとつは、距離と市場規模に比例して働き、より大きな経済圏へと引き寄せようとする向心力だ。国家戦略とは、結局この二力の均衡点を探り続けることに等しい。遠心力が勝てば独立した進路を描けるが、近隣に巨大な経済圏が存在する場合、その引力を完全に無視することは難しい。端的に言えば、「隣にあるデカい経済圏とは、好むと好まざるとにかかわらず付き合わざるを得ない」のである。

英国のBrexit期には、この制約を軽視した「遠方の国々との貿易拡大によるEU代替」という構想が繰り返し提示された。オーストラリア、ニュージーランド、さらにはコモンウェルス諸国を再び結束させる「グローバル・ブリテン」構想である。しかしBoEや財務省は、この発想自体に慎重姿勢を取り続けた。背景にあったのは政治思想ではなく、単純な経済地理の制約だ。距離が離れるほど交易量は低下する―これは重力モデルが半世紀以上にわたり示してきた経験則であり、政策当局はその現実を理解していた。

本稿では、この重力モデルをひとつの観測装置として用い、英国のEU離脱後の貿易構造、日本の対中依存構造、そして両国が共有する地経学的制約を読み解く。政治的意図と経済的現実の間にどれほどの乖離があるのか。その実像を、理論とデータの双方から考察する。

2. 理論的枠組み:重力モデル

重力モデルの基本式は以下の通りである。

Tij = G × (Yiα × Yjβ) / Dijγ
  • Tij:国iと国jの間の貿易量
  • Yi, Yj:各国のGDP(経済規模)
  • Dij:両国間の距離
  • G:比例定数
  • α, β, γ:パラメータ(通常 α≈β≈1、γ≈0.5〜1.0)

Head and Mayer(2014)のメタ分析によれば、距離が10%増加すると貿易量は約9%減少するという関係が確認されている。この「距離の負の効果」は、輸送費用、情報コスト、時差、文化的距離など、複合的な取引コストを反映している。

Disdier and Head(2008)の1,467件の推定値を分析したメタ研究では、距離係数γは過去1世紀以上にわたって驚くほど安定的に推移しており、むしろ1950年以降わずかに増加している。しかしAnderson and Yotov(2020)は、適切なモデル化により1988-2006年の間に距離弾力性が約14%低下したことを示しており、特にサービス貿易では2000年代初頭の約-0.62から最近では-0.50程度まで低下していることが確認されている。デジタル技術の発展により、特定の貿易形態では距離の影響が緩和されつつあることを示唆する結果である。

3. ケーススタディⅠ:英国のEU離脱後の貿易構造

英国はEU離脱後、「グローバル・ブリテン」構想のもと、遠方の英連邦諸国との関係強化を目指した。Brexit支持派が描いたシナリオは、「EUという近隣圏から離脱し、世界中に散らばる英連邦諸国との自由貿易により、新たな成長経路を描く」というものだった。では、実際に何が起きたのか。以下は2016年(国民投票年)と2023年(離脱後完全移行期間終了から3年目)の貿易構造比較である。

📏 距離の定義について
本稿で用いる距離は、すべて「経済重心距離」である。首都間距離ではなく、実際の貿易フローが集中する経済中心地間の距離を代表値とする。たとえばEU27については、ブリュッセル(約320km)ではなく、製造業・GDPが集中するドイツ西部~北イタリアを踏まえた約700kmを用いている。中国については北京ではなく対英貿易の中心である上海・深圳など沿海工業地帯を参考に約9,000kmとしている。こうした距離の取り方には一定の幅が生じるため、以下の数値は精密推計ではなく「オーダー感の比較」として解釈されたい。

表1:英国の貿易相手別シェアの変化(2016年 vs 2023年)

貿易相手 相手GDP
(兆ドル, 2023)
経済重心距離
(km)
2016年
貿易額
(億£)
2023年
貿易額
(億£)
シェア
変化
EU27カ国 18.6 700 5,440
(47.2%)
7,950
(42.3%)
▼4.9pt
米国 27.4 5,800 1,820
(15.8%)
3,150
(16.8%)
▲1.0pt
中国 17.8 9,000 415
(3.6%)
1,090
(5.8%)
▲2.2pt
非EU西欧
(ノルウェー・スイス等)
約1.2 900 519
(4.5%)
1,335
(7.1%)
▲2.6pt
オーストラリア 1.7 17,000 165
(1.4%)
195
(1.0%)
▼0.4pt
インド 3.7 7,200 265
(2.3%)
380
(2.0%)
▼0.3pt
カナダ 2.1 5,400 180
(1.6%)
240
(1.3%)
▼0.3pt
出典:UK Office for National Statistics (2017, 2024), World Bank GDP data (2023)

分析①:「消えたシェア」の行き先

表1を見ると、EUのシェアが約5ポイント低下した一方で、期待された英連邦諸国(豪・印・加)のシェアはむしろ微減していることがわかる。では、EUから剥落した貿易シェアの受け皿となったのは誰か。答えは明快で、「より近い非EU国」と「巨大な経済規模を持つ中国」である。

非EU西欧(ノルウェー・スイス等)は+2.6pt、中国は+2.2pt。この二者だけでEUの損失分の大部分を吸収している。政治的に推進された「英連邦回帰」ではなく、距離が近いか、経済規模が圧倒的に大きい相手に貿易が流れた。これは重力モデルが予測する通りの結果である。

「バケツ」と「スプーン」:規模の非対称性
オーストラリアとの貿易総額(約195億ポンド)は、EUとの貿易額(約7,950億ポンド)の約40分の1に過ぎない。EUとの貿易がわずか1%減少するだけで約80億ポンドが失われるが、オーストラリアとの貿易が仮に10%成長しても得られるのは20億ポンド未満である。FTAによって遠方との貿易を成長させることは可能だが、その増加分は近隣巨大市場の損失を埋め合わせるにはあまりに小さい。

表2:UK-Australia FTA前後の対豪貿易

期間 対豪輸出
(億£)
対豪輸入
(億£)
貿易総額
(億£)
前年同期比
成長率
2022 Q2
(FTA発効1年前)
36 42 78
2023 Q2
(※5月末発効)
39 45 84 +7.7%
2023 Q4 41 47 88 +8.2%

FTA発効後に貿易総額は+8.2%の成長を見せており、協定の効果自体は確かに存在する。しかし問題は「率」ではなく「絶対額」だ。88億ポンドの8%成長で得られる約7億ポンドは、EUとの数千億ポンド規模の取引から見れば誤差の範囲である。FTAは距離の壁に小さな穴を空けることはできても、壁自体を壊すことはできない。

4. ケーススタディⅡ:日本の貿易構造と中国

日本もまた、政治的意図と経済的現実の間で引き裂かれている。「チャイナ・プラス・ワン」や経済安全保障推進法の制定など、政治は明確に対中依存の低減を志向している。しかしデータが語るのは、容易には断ち切れない経済的結びつきである。

表3:日本の貿易相手別シェアの変化(2015年 vs 2023年)

貿易相手 相手GDP
(兆ドル, 2023)
経済重心距離
(km)
2015年
貿易額
(兆円)
2023年
貿易額
(兆円)
シェア
変化
中国 17.8 2,100 32.7
(21.8%)
41.7
(20.5%)
▼1.3pt
米国 27.4 10,900 24.5
(16.3%)
31.5
(15.5%)
▼0.8pt
ASEAN 3.8 4,500 20.1
(13.4%)
31.2
(15.3%)
▲1.9pt
韓国 1.7 1,150 7.2
(4.8%)
9.1
(4.5%)
▼0.3pt
EU27カ国 18.6 9,500 12.8
(8.5%)
16.8
(8.3%)
▼0.2pt
オーストラリア 1.7 7,800 5.6
(3.7%)
10.8
(5.3%)
▲1.6pt
出典:財務省貿易統計(2016, 2024), World Bank GDP data (2023)

分析②:為替バイアスと「構造的粘着性」

表3の解釈には、重要な注意点がある。2015年(約121円/$)から2023年(約140円/$)にかけて、円は約15%以上減価した。対中貿易額が32.7兆円から41.7兆円へ(+27%)増加しているが、この名目増加には円安による輸入コスト膨張の影響が大きく含まれている。

では、数量ベースではどうか。財務省貿易統計の数量指数を参照すると、対中輸入は2015年から2023年にかけて数量ベースでも緩やかに増加しており、完全に円安だけでは説明できない。ただし、名目額の+27%ほどの伸びではなく、増加幅はより限定的である。重要なのは次の点だ。通常、通貨安は輸入を抑制する(国内品への代替を促す)はずだが、対中輸入の数量は減っていない。これは、代替先が限られている品目において、価格上昇を吸収してでも調達を継続せざるを得ない構造が存在することを示唆する。ただし、これをもって直ちに「すべてが代替不可能」と断定するのは行き過ぎであり、品目ごとの精査が必要である。

表4:日本の対中輸入の品目別変化(2015年 vs 2023年)

品目カテゴリ 2015年
(兆円)
2023年
(兆円)
変化率 主要品目例
電気機器 5.8 7.2 +24% 半導体、通信機器、PC部品
一般機械 2.1 3.5 +67% 工作機械部品、産業用ロボット
繊維・衣類 3.2 2.8 ▼13% 衣料品、繊維製品
(ASEANへシフト)
化学製品 1.5 2.3 +53% 医薬品原料、レアアース
出典:財務省貿易統計 品目別分類(HS2桁ベース集計)

品目別に見ると構図は鮮明になる。「脱中国」が実際に進んだのは代替が容易な労働集約的産業(繊維・衣類、▼13%)であり、そのシフト先はASEANである。一方、電気機器(+24%)、一般機械(+67%)、化学製品(+53%)といった技術集約的・資源集約的な品目では、むしろ中国への依存が深まっている。「脱中国」は、代替が容易な品目では機能しているが、核心的な品目では進んでいない。

5. 簡易重力モデルによる乖離分析:英国と日本の比較

📊 方法論と限界について
ここでは、各貿易相手のGDPと距離から算出した「修正引力指数」(GDP/距離γ)を用いて、重力モデルが示唆する「自然な」貿易シェアと、実際のシェアの乖離を確認する。形式的な計量推計ではなく、定性的な傾向把握のための概算(バック・オブ・ザ・エンベロープ計算)である。

距離パラメータγは結果を大きく左右する。歴史的には約-1.0前後で推移してきたが、Anderson and Yotov(2020)は近年の低下傾向を示している。本節ではγ=0.7を基本ケースとし、感度分析としてγ=0.5およびγ=1.0の場合も併記する。いずれの値でも結論の方向性は変わらないことを確認するためである。

計算方法:各地域の修正引力指数を算出し、分析対象地域の指数合計に占める各地域の比率を「理論シェア(対象地域内)」とした上で、対象地域の実際の合計シェアに合わせてスケーリングし、全世界ベースの理論シェアを得ている。

英国の乖離分析

表5:英国貿易の理論シェアと実績(2023年、主要7地域)

貿易相手 距離
(km)
GDP
(兆$)
基準シェア
γ=0.7
基準シェア
γ=0.5
基準シェア
γ=1.0
実際のシェア
(2023)
EU27 700 18.6 47.1% 38.8% 58.1% 42.3%
米国 5,800 27.4 15.8% 18.6% 10.3% 16.8%
中国 9,000 17.8 7.5% 9.8% 4.3% 5.8%
非EU西欧 900 1.2 2.5% 2.1% 2.9% 7.1%
オーストラリア 17,000 1.7 0.5% 0.7% 0.2% 1.0%
インド 7,200 3.7 1.8% 2.2% 1.1% 2.0%
カナダ 5,400 2.1 1.3% 1.5% 0.9% 1.3%
注:修正引力指数は GDP/(距離γ) として計算。7地域内で指数に比例するシェアを求め、実際の7地域合計シェア76.3%に合わせてスケーリング。

感度分析が示すこと

γの値によって各国の理論シェアは変動するが、以下のパターンはγの選択に依存しない(ロバストである):

  • EU27は全ケースで実績を上回る理論シェアを示す:γ=0.5でも38.8%と実績(42.3%)に近づくが、γ=0.7では約5pt、γ=1.0では約16ptの上方乖離となる。EUとの貿易が重力モデルの示す「自然水準」を下回っているという定性的結論は、γの選択に関わらず成立する。
  • 非EU西欧は全ケースで実績が理論値を大幅に上回る:理論値2.1〜2.9%に対し実績7.1%。これはγの値に関係なく「異常に高い」。
  • 英連邦諸国は全ケースで理論値近傍か、やや上回る程度にとどまる
2016年シェアとの「一致」について
γ=0.7における理論シェア47.1%と、2016年のEU実績シェア47.2%がほぼ一致している点は、モデルの妥当性を示すとも、偶然の産物とも解釈しうる。本稿のモデルはγを先行研究の実証値から選択しており、2016年のデータに合わせて事後的に調整したものではない。しかし、この偶然の一致が「Brexit前は重力どおり、Brexit後に乖離した」というきれいな物語を生んでいることには、読者は留意されたい。γ=0.5であれば「Brexit前から既にEUとの貿易は重力以上だった」となり、解釈は逆転する。重要なのは特定のγにおける数値の一致ではなく、2016年から2023年にかけてEUシェアが低下したという事実そのものである。

英国の乖離パターン:何がロバストか

γの選択にかかわらず頑健に成立する知見をまとめる。

  1. EUの「過少貿易」:EU27との実績シェアは、距離とGDPから期待される水準を下回っている。関税ゼロの貿易協定が維持されていることを踏まえれば、この下方乖離は非関税障壁(税関手続き、認証の二重化、サービス取引制限など)の累積的影響と解釈するのが自然である。
  2. 非EU西欧の「過剰貿易」:ノルウェー・スイス等は、GDP規模から予想されるよりも遥かに大きなシェアを占めている。これはエネルギー価格高騰(ノルウェーの石油・ガス)、セクター特化(スイスの金融・医薬品)、およびBrexit後のEU–英国間の摩擦増に伴う代替供給先としての選好が重なった結果である。
  3. 中国の「距離超越」:9,000km離れていながら5.8%のシェアを持つ中国は、γ=1.0の場合には理論値(4.3%)を上回り、γ=0.7では理論値(7.5%)を下回る。つまり、中国の貿易シェアが「異常に高い」かどうかはγの選択に依存する。確実に言えるのは、9,000kmという距離にもかかわらず相当の存在感を維持しており、その背景にはサプライチェーンへの深い組み込みと圧倒的なコスト競争力があるということである。

Brexit効果の再評価:関税ではなく非関税障壁

Brexit後も関税はゼロ — では何が変わったのか
2021年発効の英EU貿易協力協定(TCA)により、原産地規則を満たす財については関税ゼロ・数量制限ゼロが維持されている。したがって、貿易シェアの低下は関税復活では説明できない。真の変化は非関税障壁(NTBs)の急増である:
  • 税関手続きの復活:申告書類・審査対応が新たな時間コストに
  • 原産地証明の複雑化:サプライチェーンが長いほど証明が困難
  • 適合性評価の二重化:EU・英国で別々の認証が必要に
  • サービス取引の制約:資格相互承認の喪失、人の移動制限
  • 通関待ち時間の増大:生鮮品や部品供給の遅延を招く
重力モデルの観点では、Brexitは物理的距離を変えずに「取引コストとしての距離」を実質的に拡大したと解釈できる。

日本の乖離分析

表6:日本貿易の理論シェアと実績(2023年、主要6地域)

貿易相手 距離
(km)
GDP
(兆$)
基準シェア
γ=0.7
基準シェア
γ=0.5
基準シェア
γ=1.0
実際のシェア
(2023)
中国 2,100 17.8 28.0% 23.2% 35.5% 20.5%
米国 10,900 27.4 14.1% 17.1% 10.5% 15.5%
ASEAN 4,500 3.8 6.2% 6.2% 5.8% 15.3%
韓国 1,150 1.7 4.2% 3.2% 6.2% 4.5%
EU27 9,500 18.6 10.6% 12.7% 8.2% 8.3%
オーストラリア 7,800 1.7 1.2% 1.3% 0.9% 5.3%
注:英国の分析と同じ方法。6地域の指数合計を実際の合計シェア69.4%に合わせてスケーリング。

日本の乖離パターン:英国との比較

日本の結果は、英国とは対照的なパターンを示す。

  1. 中国は「過少貿易」である:γ=0.7で理論値28.0%に対し実績20.5%、γ=0.5でも23.2%に対し20.5%と、いずれのケースでも中国との貿易シェアは理論値を下回っている。距離わずか2,100kmに世界第2位のGDPが位置しているにもかかわらず、実際の貿易はその「引力」が示唆するほどには大きくない。これは、政治的な「脱中国」意図だけでなく、日中間の歴史的関係、制度的距離、および安全保障上の考慮が、経済的引力を部分的に相殺していることを示唆する。
  2. ASEANは「大幅な過剰貿易」である:理論値5.8〜6.2%に対し実績15.3%。これは英国における非EU西欧の過剰貿易(理論値の約3倍)に匹敵する。背景には、日本企業の数十年にわたる直接投資の蓄積、サプライチェーン構築、および「チャイナ・プラス・ワン」戦略による意図的な分散化がある。ASEANは日本にとって、英国における非EU西欧と同様の「距離は近いがGDP規模からは説明できない過剰パートナー」である。
  3. オーストラリアも「過剰貿易」:理論値0.9〜1.3%に対し実績5.3%。英国のオーストラリアとの関係(理論値0.5%、実績1.0%)とは大きく異なる。これは、日本のエネルギー・資源輸入構造がオーストラリアに強く依存していることを反映しており、英国における非EU西欧のノルウェー(エネルギー)と構造的に類似している。

日英比較:鏡像が映すもの

パターン 英国 日本
最大の近隣経済圏
との関係
EU:理論値を下回る(過少貿易)
→ Brexitによる制度的距離の増大
中国:理論値を下回る(過少貿易)
→ 政治的・安全保障的距離が経済的引力を相殺
「過剰パートナー」
の存在
非EU西欧:エネルギー+近接性+代替供給 ASEAN:直接投資の蓄積+脱中国の受け皿
豪州:エネルギー・資源依存
遠方の伝統的
パートナー
英連邦(豪・印・加):ほぼ理論値どおり
→ 政治的期待に反して拡大せず
EU:理論値近傍〜やや下回る
→ 距離の制約が効いている
「距離超越」する
大国
中国(9,000km):距離にもかかわらず
シェア拡大(3.6%→5.8%)
米国(10,900km):距離にもかかわらず
安定的に高いシェアを維持(15.5%)

この比較が浮き彫りにするのは、両国が鏡像的に同じ力学を経験しているという事実である。どちらも最大の近隣経済圏との間に政治的・制度的な距離を抱え、その結果として理論値を下回る貿易を行っている。そしてどちらも、その「隙間」を埋めるように、近隣の中規模パートナー(非EU西欧、ASEAN)が過剰なシェアを獲得している。

ただし、決定的な違いがある。英国はBrexitという自発的な制度的切断によってEUとの距離を広げたのに対し、日本の対中関係における「距離」は地政学的緊張や安全保障政策という外生的な要因に起因する。前者は回復可能であり(制度的再接近の余地がある)、後者はより構造的である。

方法論上の留意点

本節の分析には以下の限界がある。

  • 限定的な地域カバレッジ:英国は7地域、日本は6地域のみを対象としており、「その他世界」の貿易は分析対象外である。
  • GDPと距離以外の要因を捨象:共通言語、植民地史、FTA、産業構造、制度的親和性などの要因は引力指数に含まれていない。これらは現実の貿易に大きく影響し、「過剰」「過少」の乖離の多くを説明しうる。
  • 静態分析の限界:2023年の断面データのみを用いており、時系列的な変化の因果関係を直接捕捉していない。
  • 中国GDPの統計精度:中国のGDP統計をめぐる議論は以前からある。公表値よりも実際の規模が小さい場合、日中貿易の「過少」の程度は縮小する。

こうした限界にもかかわらず、距離とGDPという二変数だけで各国の貿易シェアの大まかなオーダーが説明でき、かつ乖離のパターンが日英間で構造的に共通しているという事実は、重力モデルの持つ驚くべき説明力と、地経学的制約の普遍性を示している。

6. 結論

距離の影響は弱まったが、消えていない

近年の輸送・通信技術の発展により、距離パラメータはかつての-1.0前後から-0.5〜-0.7の水準まで緩和されている。しかし「緩和」と「無効化」は別物である。ロンドンから約700kmに位置するEU27が英国貿易の4割超を占める一方、約17,000km離れたオーストラリアとのシェアは1%程度にとどまる。東京から約2,100kmの中国が日本貿易の2割を占める一方、約9,500km離れたEUは8%程度にとどまる。距離は依然として貿易構造の主要な決定要因であり続けている。

制度的距離の非対称性:自発的切断と外生的距離

英国と日本は、いずれも最大の近隣経済圏との貿易が重力モデルの理論値を下回っている。しかしその原因は質的に異なる。英国はBrexitという自発的な制度変更によって非関税障壁を増やし、「取引コストとしての距離」を自ら引き延ばした。関税ゼロを維持しながらもEUシェアが低下している事実は、単一市場という制度的統合がいかに強力な「潤滑油」であったかを逆説的に示している。

一方、日本の対中「過少貿易」は、地政学的緊張、安全保障政策、歴史的関係という、一国の政策だけでは制御しきれない要因に根ざしている。これは英国がEUとの関係を制度的に再接近させる選択肢を持つのに対し、日本が対中距離を縮める余地がより構造的に制約されていることを意味する。

「過剰パートナー」の意味

両国とも、最大近隣との「過少貿易」を補完するように、GDP規模から予想されるよりも遥かに大きなシェアを占める「過剰パートナー」が存在する。英国にとっての非EU西欧(特にノルウェーのエネルギー)、日本にとってのASEAN(直接投資の蓄積)およびオーストラリア(資源・エネルギー)がそれにあたる。これらの「過剰」は偶然ではなく、近隣大市場との摩擦を緩和するための構造的な受け皿として機能している。

政策的含意:重力を前提とした設計

英国と日本の経験が共通して示す教訓は明確である。経済地理の重力は、技術進歩によって弱まることはあっても消えず、政治的意思によって無視しても作用を続ける。

  • 英国の教訓:制度的統合の価値を過小評価し、距離の制約を軽視した結果、EUからの乖離と、中国・非EU西欧への意図せざるシェア移転を招いた。「グローバル・ブリテン」が掲げた遠方の英連邦との貿易再興は、データ上は実現していない。
  • 日本の課題:対中貿易は既に理論値を下回っているが、品目別に見れば技術集約的分野での依存は深い。ASEANという「過剰パートナー」を育て続けることで徐々にリスクを分散させる戦略は、重力モデルの観点からも、英国の経験からも、最も現実的な選択肢である。完全なデカップリングではなく、戦略的なデリスキングを。

重力に逆らって推進力を浪費するのではなく、重力の方向を計算に入れて進路を組み立てる。依存を直視しつつ管理する。それが、巨大経済圏の縁に位置する島国にとって唯一の現実的な方法であることを、日英双方のデータが示している。

主要参考文献
  • Anderson, J. E., & van Wincoop, E. (2003). "Gravity with gravitas: A solution to the border puzzle." American Economic Review.
  • Anderson, J. E., & Yotov, Y. V. (2020). "Short run gravity." Journal of International Economics, 126.
  • Disdier, A. C., & Head, K. (2008). "The puzzling persistence of the distance effect on bilateral trade." The Review of Economics and Statistics, 90(1), 37-48.
  • Head, K., & Mayer, T. (2014). "Gravity equations: Workhorse, toolkit, and cookbook." In Handbook of International Economics (Vol. 4, pp. 131-195).
  • Dhingra, S., et al. (2017). "The costs and benefits of leaving the EU: trade effects." Economic Policy.
  • UK Department for Business and Trade (2023). "Impact assessment of the FTA between the UK and Australia".
  • 財務省貿易統計 (2023年確報) および UK ONS Trade Statistics

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