離れていく日本──米欧との格差は「選択」の結果なのか

1990年、日本の1人あたりGDP(名目、ドル建て)は米国を上回っていた。G7の中でもトップクラス。「世界で最も豊かな国のひとつ」と呼ばれた時代である。

あれから35年。IMF World Economic Outlook(2025年10月版)の推計によれば、2025年の1人あたりGDP(名目、ドル建て)は、米国が約89,600ドル、英国が約56,660ドル。そして日本は約34,710ドルである。日本は米国の4割弱、英国の6割強という水準にまで相対的地位を下げた。

もちろん、ドル建ての名目GDPは為替レートの影響を強く受ける。近年の歴史的な円安は、日本の数字を実態以上に低く見せている面がある。では、生活実感に近い購買力平価(PPP)で補正すれば、日本の位置づけは改善するだろうか。

残念ながら、答えはNOだ。OECDの2025年報告によれば、PPPベースの労働生産性(1時間あたりGDP)で見ても、日本はOECD加盟38カ国中28位(2024年)。G7では1970年以来一貫して最下位である。米国の時間あたり生産性は約98ドル、日本は約60ドル。その差は為替を調整しても埋まらない。つまり、「円安のせい」だけでは説明がつかない構造的な問題がある。

なぜ、こうなったのか。そして、ここから巻き返すことはできるのだろうか。


「成長か、社会保障か」──実はそう単純ではない

日本の停滞を語るとき、しばしば「社会保障にカネを使いすぎたから成長できなかった」という議論が聞かれる。直感的にはわかりやすい。だが、データを見ると話はそう単純ではない。

まず規模感を確認しよう。日本の社会保障給付費はGDPの約25%を占める(国立社会保障・人口問題研究所、2021年度、ILO基準:138.7兆円、対GDP比25.20%)。これは確かに大きい。しかし、先進国では社会保障・医療関連支出が財政の中核を占めるのは一般的である。米国でも社会保障(Social Security)と公的医療(Medicare)などの義務的支出が歳出の中心であり、英国でも社会保障(年金等)と医療(NHS)が政府支出の主要項目を構成している。

OECDの国際比較(SOCX)でみれば、日本の公的社会支出(対GDP比)はフランスやイタリアより低い水準にあり、先進国の中で突出して多いわけではない。したがって、「社会保障が多い=成長しない」という等式は、そのままでは成り立たない。問うべきは社会保障の“総額”ではなく、制度設計や支出の内訳、そして社会保障以外(教育・研究開発・人的資本・規制改革等)にどれだけ資源を振り向けられてきたか、という配分の問題である。

では、何が違ったのか。

「社会保障の額」ではなく、「社会保障以外のカネをどこに振り向けたか」、そしてより重要なことに「社会保障の中身をどう配分したか」にある。


米国が「突き抜けた」理由──テックだけではない

米国は1990年代のIT革命以降、テクノロジーに大量の資本と人材を集中させた。GAFA(Google、Apple、Meta、Amazon)に代表される巨大テック企業群は、この時期に芽を出し、2000年代から2010年代にかけて爆発的に成長した。

だが、米国の強さをテクノロジーへの投資だけで説明するのは不十分だ。米国にはそれを可能にした複合的な条件がある。世界最大かつ最も流動的な資本市場、失敗を許容し再挑戦を後押しするベンチャーキャピタルの厚み、成長企業に人材が自由に移動できる労働市場の柔軟性、世界中から優秀な頭脳を吸い寄せる移民制度、そして企業統治(コーポレートガバナンス)改革による株主価値経営の浸透。これらの条件が「高リスク・高リターン」の産業構造を機能させたのであり、IT投資はその結果であると同時に原因でもある。

この複合的な強みは、生産性の数字に如実に表れている。OECDの2025年データによれば、2024年の米国の労働生産性成長率は約1.5%を記録した。対する日本はマイナス0.6%。前年から2つ順位を落として28位に沈んだ。2000年時点で日本の労働生産性は米国の約70%だったが、2010年に約65%、そして近年は60%を切るまでに低下している。差は縮まるどころか、着実に広がっている。

では、欧州はどうだろうか。米国ほどではないが、少なくとも日本よりは健全に成長してきたのか。


欧州の苦悩──ドラギ報告書

実は欧州もまた、米国との格差拡大に深刻な危機感を抱いている。2024年9月、元欧州中央銀行(ECB)総裁のマリオ・ドラギ氏が発表した欧州競争力に関する報告書は、この状況を「実存的な課題(existential challenge)」と表現した。

ドラギ報告書の結論は衝撃的だ。欧州が手厚い社会保障と環境規制を維持しながら成長を取り戻すには、年間約7,500〜8,000億ユーロ(GDPの約4.5〜5%)の追加投資が必要だという。英エコノミスト誌はこの規模をマーシャル・プラン(戦後の欧州復興計画、当時のGDP比1〜2%)になぞらえた。

しかし、進捗は芳しくない。2025年9月の追跡会議で、ドラギ氏自身が「報告書で指摘したすべての課題が悪化した」と悲観的な見解を示した。外部のトラッカー(EPIC: European Policy Innovation Council)によれば、383の提言のうち完全に実施されたのは43件(11.2%)にとどまるという(ただし、この数字は民間シンクタンクの評価であり、EU機関の公式集計ではない点に留意が必要である)。

欧州の問題は、市場の断片化(国ごとに異なるルールや資本市場)、エネルギー価格の高騰、そして規制の複雑さに集約される。フォン・デア・ライエン欧州委員長はIMFの分析を引用し、EU域内の障壁が「財に対する45%の関税、サービスに対する110%の関税に相当する」と述べた。域内なのに、である。

つまり、欧州は「社会の安定」を選んだ代償として、デジタル経済の競争で明確に後れを取った。だが、少なくとも「問題の所在」は特定され、処方箋も書かれている。問題は、それを実行する政治的意志があるかどうかだ。

処方箋①:単一市場を「本当に単一」にする(断片化の解消)

  • サービス市場の統合:国ごとに違う規制・許認可・資格認証・消費者ルールを縮減し、域内で“規模の経済”を作れるようにする(特にデジタル・サービス)。
  • ルールの共通化・相互承認:企業が国境を越えて展開する際の固定費(法務・許認可・報告義務)を下げる。
  • 域内障壁(関税換算)問題への対応:IMF推計で示される「財45%・サービス110%相当」といった“見えない関税”を引き下げる方向で、制度・運用を整理する。

処方箋②:資本を動かす(Capital Markets Unionの実装)

  • 資本市場同盟(CMU)の加速:スタートアップ~グロース企業が域内で資金調達しやすい環境(株式・社債・ファンド)を整える。
  • 破綻・倒産法制や税制の整合:国ごとに違うルールが投資家のリスク評価コストを押し上げているため、投資の“国境コスト”を下げる。
  • 長期資金(年金・保険)の成長投資への導線:規制・会計・監督の枠組みを、域内でのリスクマネー供給に不利にならない形へ見直す。

処方箋③:エネルギーと産業のボトルネックを外す(競争力コストの低下)

  • エネルギー市場の統合:国別に分断された電力・ガス市場や送電網制約を緩和し、域内で価格差・供給不安を縮める。
  • 許認可の迅速化:送電網・再エネ・蓄電・産業投資の“着工までの時間”を短縮(規制は維持しつつ、手続の摩擦を下げる)。
  • 戦略分野への投資集中:脱炭素・デジタル・防衛などで、民間だけでは埋まらない投資ギャップを政策的に埋める。

横串:投資資金をどう確保するか(財源設計)

  • 公的・民間の両輪:公的資金(EU/加盟国)と民間資金を組み合わせ、年7,500〜8,000億ユーロ規模の投資を回す設計を求める(共同調達・共同投資の領域も含む)。

日本の特殊性──「配分の硬直化」という病

ここで日本に目を戻そう。米国は「高リスク・高リターンのエコシステムに全力を賭けた」。欧州は「社会の安定を優先しつつ、生産性の低迷に苦しんでいる」。では日本は、この35年間、何を選んだのだろうか。

率直に言えば、日本は「成長投資と社会保障の再設計の両方が中途半端だった」という表現が最も実態に近い。

日本の社会保障給付費は約138.7兆円(2021年度、ILO基準)に達し、GDPの約25%に相当する。そしてその7割以上が「年金」と「医療」──すなわち高齢者向けの支出に集中している。公的年金支出だけでGDPの約9.3%を占め、これはOECD平均の7.7%を上回る。

一方で、将来の成長に直結する「教育」「家族・少子化対策」への公的支出は先進国の中でも際立って低い。社会保障の総額が問題なのではない。その内訳が過去の約束(年金)と現在の需要(医療・介護)に固定され、未来への投資に回らない「配分の硬直性」が問題なのだ。

もちろん、日本が何もしなかったわけではない。医療費の抑制策やマクロ経済スライド(年金の伸びを抑制する仕組み)、雇用維持を通じた社会安定の確保など、「持続性のための調整」は行われてきた。だが、それは「延命」であって「再設計」ではなかった。根本的な構造──高齢者に手厚く、現役世代と将来世代に薄い──は、基本的に変わっていない。

民間セクターも同様だ。興味深いことに、日本のR&D支出はGDP比で約3.4〜3.7%と、米国(約3.5%)とほぼ同水準であり、OECD平均(2.7%)を大きく上回る。つまり、研究開発への投資額自体は少なくない。問題は、その投資が「既存産業の改善」に偏り、「新しい産業の創出」に十分回っていないこと、そして何よりもイノベーションを市場に届ける仕組み──ベンチャーキャピタル、労働移動、規制改革──が機能していないことにある。


近隣諸国との逆転──「安い日本」の現実

この停滞の帰結を最も象徴的に示しているのが、近隣諸国との逆転である。

IMF WEO(2025年10月版)の同一系列(名目、ドル建て1人あたりGDP)によれば、2025年の推計で台湾が約41,590ドル、韓国が約37,520ドル。いずれも日本の約36,390ドルを上回っている(なお、同じIMF WEOでも推計年次や更新タイミングにより若干の数値差が生じる。ここでは比較の一貫性を優先し、同一データベースの同一時点の数値を使用している)。

台湾は半導体産業(TSMC)とAI需要の爆発的成長を背景に、2025年のGDP成長率が7%を超えた。1人あたりGDPで2027年には4万ドル突破を見込むとする予測もある。韓国も半導体と自動車の輸出に牽引され、2024年に名目ベースで日本を上回り、その差を固めつつある。

かつて日本が「手本」とされた東アジアの経済圏で、日本はいまや韓国・台湾の後塵を拝している。もちろん、名目ドル建てでの逆転は円安の影響を大きく受けている。為替が逆に振れれば順位はまた変わるだろう。しかし重要なのは、PPPや労働生産性で補正しても、日本が先進国の中で低位にあるという事実が変わらないことだ。為替は一時的に上下するが、生産性の格差は構造的であり、簡単には動かない。

「安い日本」は、外国人観光客にとっては魅力だろう。だが、それは同時に、日本人の稼ぐ力が相対的に低下していることの裏返しでもある。この「安さ」を受け入れ続けるのか、それとも変えるのか。


「インフレ税」というメカニズム──高市政権下で何が起きているか

こうした状況の中で、現在の高市政権下ではどのようなことが起きているのか。

ひとつの注目すべき動きは、財政健全化目標の扱いである。ロイター通信(2025年11月)によれば、高市首相はプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標について、従来の年次目標からより柔軟な複数年の枠組みへと移行する姿勢を示した。代わりに重視されるのは「債務残高対GDP比の安定的な低下」である。

この方針転換が意味するものを、メカニズムとして整理してみよう。名目GDPがインフレによって膨らめば、分母が大きくなるため、借金の比率は相対的に下がる。つまり、結果として、増税ではなく物価上昇を通じて国民全体が薄く広く負担を負う構造が生まれる。経済学ではこれを「インフレ税」と呼ぶ。政策当局がこれを意図的に「戦略」として設計しているのか、それとも積極財政の帰結として結果的にそう機能しているのかは、慎重な見極めが必要だ。だが、メカニズムとしては確実に作動している。

OECD Employment Outlook 2025(日本カントリーノート)のデータはそれを裏付ける。2025年5月時点で日本のインフレ率は3.5%に達し、G7で英国に次いで高い。実質賃金は2021年第1四半期から2025年第1四半期にかけて累計で2%減少した。名目の賃上げ(春闘での大幅なベースアップなど)がメディアで華々しく報じられる一方で、物価上昇がそれを上回り、家計の購買力は実質的に削られている。

同時に、高市政権はAI、半導体、核融合といった成長分野への大規模投資を掲げ、「103万円の壁」の解消など現役世代への還元策も打ち出している。もしこれが「インフレによる実質的な資産再分配を通じて財政余力を確保し、その間に産業構造を転換する」という時間稼ぎであるならば、その成否は「インフレ税」のコストを上回る成長が実現できるかどうかにかかっている。

米国も過去に低金利とインフレを通じた実質的な債務圧縮を経験している。だが米国には基軸通貨ドルと人口増加という「バッファ」があった。日本にはそのどちらもない。人口は減少の一途であり、円は基軸通貨ではない。同じメカニズムが同じ結果をもたらす保証はないのではないだろうか。


構造改革は可能か──伸び代はあるが、障壁も深い

悲観的な話ばかりを並べてきた。だが、日本には「伸び代」がないわけではない。

日本のホワイトカラーの生産性は、米国や北欧と比べて大幅に低いとされる。逆に言えば、デジタルツールの導入、非効率な商慣習(紙、ハンコ、過剰な会議文化)の見直しだけでも、相当の改善効果が見込める。

そして、労働者の「質」は依然として世界トップクラスだ。OECDの国際成人力調査(PIAAC)によれば、日本の55〜65歳の識字能力スコアはOECD平均を9%上回り、25〜44歳の現役世代にいたっては11%上回っている。R&D支出もGDP比で世界有数の水準にある。「人材」と「研究基盤」は揃っている。問題は、それを成長に変換する「仕組み」の側にある。

では、なぜ仕組みの改革が進まないのか。

最大の障壁は、有権者構成の高齢化──いわゆる「シルバー民主主義」──だろう。成長のための改革には「痛み」が伴う。年金の支給水準見直し、生産性の低い企業の市場退出促進、労働移動の流動化。経済学の教科書的には「正しい処方箋」だが、選挙では票にならない。現状維持を求める政治的圧力が、構造改革の最大のブレーキになっている。

しかし、皮肉なことに、人手不足という「物理的限界」が、自発的には起きなかった変化を強制し始めている。「安く人を雇って回す」というモデルが物理的に不可能になりつつあり、企業は「自動化に投資するか、廃業するか」の二択を迫られている。東証のPBR1倍割れ是正要請も、「現金を溜め込むだけ」の経営からの脱却を企業に促している。

強制的な代謝が起きるとき、生き残る企業の生産性は上がる。問題は、その過程で生じる痛み──一時的な失業増や地方経済への打撃──を社会が受け入れられるかどうかだ。


「追いつく」のではなく、「別の道」を探れるか

ここまで見てきたように、米国の1人あたりGDPに日本が「追いつく」ことは、現実的にはきわめて困難だろう。基軸通貨、人口動態、テクノロジー産業の蓄積、資本市場の厚み──いずれの条件も異なりすぎる。

だが、「追いつけない」ことは「衰退が不可避」であることを意味しない。

北欧諸国を見てほしい。スウェーデンやデンマークは人口1,000万人前後の小国だが、1人あたりGDPは高く、社会保障も充実している。その秘訣は「人口が少なくても、1人あたりが高い付加価値を生み出す」構造にある。高い教育水準、柔軟な労働市場、デジタル化の徹底、そして「変化を恐れない」社会の文化。

「米国のGDPに追いつく」ことを目指す必要はない。


分岐点に立つ日本

1990年、日本は世界で最も豊かな国のひとつだった。2025年、日本は韓国と台湾に1人あたりGDPで抜かれ、G7の中で最も生産性の低い国であり続けている。

この35年間で日本が歩んだ道は、米国型の攻めでも、欧州型の社会安定優先でもなかった。成長投資と社会保障の再設計がともに中途半端なまま、「みんなで少しずつ貧しくなりながら現状を維持する」──名前のない第三の道だった。

現政権下で進む積極財政と成長投資への傾斜は、この第三の道からの脱却を図る試みかもしれない。だが、基軸通貨も人口増加も持たない日本で、インフレを通じた実質的な負担移転が機能し続ける保証はない。


※本稿のデータは、主にIMF World Economic Outlook(2025年10月版)、OECD Compendium of Productivity Indicators 2025、OECD Employment Outlook 2025(Japan country note)、日本生産性本部「労働生産性の国際比較 2024」、国立社会保障・人口問題研究所「社会保障費用統計」に基づいています。ドル建て名目GDPは為替レートの変動に大きく左右されるため、本稿では可能な限りPPPベースの生産性データを併記しています。IMF WEOの推計値は版(April/October)や更新時期により変動するため、比較には同一系列・同一時点のデータを使用しています。ドラギ報告書の実施状況に関する数値は、民間シンクタンク(EPIC)の評価であり、EU機関の公式集計ではありません。

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