中国は米国債から静かに降りている

ある国が、世界最大の債券市場から少しずつ身を引いている。それも10年以上の歳月をかけて、だ。

中国の米国債保有額は、2013年のピーク時に約1兆3,167億ドルに達していた。それが2025年11月時点では約6,826億ドルにまで縮小している。米財務省のTIC(Treasury International Capital)データが示すこの数字は、およそ6,300億ドル――ピーク時からほぼ半減という、かなりの規模の変化である。

では、この巨額の資金はどこへ向かったのか。「米国債を売ったなら、代わりに欧州の国債を買っているのだろう」と考えるのは自然な発想かもしれない。だが、現実はそう単純ではないようだ。

本稿では、公開データと合理的な推論をもとに、中国の外貨準備をめぐる変化の全体像を眺めてみたい。その変化が米国、欧州、そして日本にとって何を意味し得るのかについても、考えてみたいと思う。


数字が語ること、語らないこと

まず確認しておきたいのは、「中国が米国債の保有を減らしている」という事実そのものは、かなり堅い情報だということだ。米財務省のTICデータは、主要な外国保有者の米国債残高を定期的に公表しており、中国(本土)名義の保有額が長期的な下降トレンドにあることは、複数のデータソース(Trading Economics、CEIC Dataなど)で一貫して確認できる。

ただし、注意点がある。中国はベルギーやルクセンブルクにあるEuroclearなどのカストディアン(保管機関)を経由して米国債を保有していることがあり、TIC上の「中国(Mainland)」という数字だけでは、実際の保有額を完全には捉えきれない可能性がある。Financial Timesなどはこの点を以前から指摘してきた。

とはいえ、カストディ経由分を考慮に入れたとしても、全体の方向性が「減少」であること自体を覆すほどの差にはならないだろう、というのが大方の見方である。つまり、方向性としての米国債離れは、観測上かなり確からしい。

問題は、その次だ。減った分はどこへ行ったのか。


欧州債は「受け皿」になっているのか

直感的には、ドル建て資産を減らすなら、次に大きな通貨圏であるユーロ建て資産を増やすのが合理的に見える。だが、「中国が米国債の減少分を同程度の規模でユーロ圏国債に振り替えた」と断言できるデータは、2025年末時点で見当たらない。

なぜそう言えるのか。

第一に、中国国家外貨管理局(SAFE)は、外貨準備の通貨別・資産別の詳細な内訳を公開していない。これは分析を行ううえで最も大きな制約である。

第二に、IMFのCOFER(外貨準備の通貨構成)データを見ると、世界全体でのユーロのシェアは約20〜21%前後で推移しており、中国だけが突出してユーロ建て資産を急増させているという兆候は読み取りにくい。もちろん、個別国のデータが完全に分離できるわけではないため、これだけで確定はできないが、少なくとも「大規模なシフトの痕跡」は見えにくい。

第三に、IMFのPIP(Portfolio Investment Position)やCPIS(Coordinated Portfolio Investment Survey)といった国際投資統計も、理論上は有用なはずだが、参加・開示の自主性やタイムラグの問題があり、「2025年末時点で中国の対ユーロ圏政府債が顕著に増えた」という合意された数字を取り出すことは容易ではない。

ECB(欧州中央銀行)側の統計(Securities Holdings Statistics)でも、外国投資家によるユーロ圏国債保有の全体像は把握できるが、「そのうち中国がいくら」という粒度での公開情報には限りがある。

では、もし大規模な欧州債シフトが起きていたとしたら、何らかの「痕跡」がどこかに見えるはずではないか。欧州側の統計、国際投資フロー、あるいは市場価格の動きに。だが、そうした明確なシグナルが広く認識されている状況にはない。

もちろん、「見えていないだけで実は起きている」という可能性は否定できない。だが、保守的に判断するならば、米国債の減少分が主にユーロ圏国債へ一括移転された、とは考えにくいのではないだろうか。


なぜ「ドルからユーロへ」では不十分なのか

ここで少し視点を変えて、「そもそもなぜ中国は米国債を減らしているのか」を考えてみたい。これを考えることで、欧州債が主要な受け皿になりにくい理由もおのずと見えてくる。

広く指摘されているのは、2022年のロシアに対する外貨準備凍結の影響である。ウクライナ侵攻後、G7諸国はロシアが保有するドル建て、ユーロ建て、円建てなどの外貨準備を凍結した。この前例は、中国の政策立案者に対して、あるメッセージを送ったと考えられている。

それは、「有事の際、西側諸国の金融システム内にある資産は、凍結のリスクがある」というメッセージだ。

ここで重要なのは、欧州もまた、米国と並んで対ロシア制裁の主要な実行主体であったという事実である。SWIFTからの排除をはじめとする金融制裁は、米欧が協調して実施した。ECBも最近、地政学的要因が外国投資家の保有行動に影響を与え得る点について分析を公表している。

もし中国の米国債削減の動機が純粋にリターンの追求であれば、利回りの高い他の先進国国債へ移るのは合理的だろう。だが、動機の核心が「凍結リスクの回避」にあるとすれば、ドルをユーロに替えるだけでは、リスクの所在が変わるだけで本質的なヘッジにはならない。そう考えるのは不自然ではない。

つまり、中国にとっての問題は「ドルか、ユーロか」ではなく、「西側の金融システム内にある資産か、それとも外にある資産か」という、より根本的な枠組みで捉えられている可能性がある。


金(ゴールド)という選択肢

では、西側の金融システムの「外」にある資産とは何か。その最も明確な候補が、金(ゴールド)である。

中国人民銀行(PBOC)が金の購入を続けていることは、比較的よく知られている。World Gold Councilのデータによれば、PBOCの公式金保有量は2025年末時点で2,306トン、外貨準備全体に占める割合は約8.5%程度とされている。2026年2月にはロイターが、PBOCが15カ月連続で金を購入したと報じた。

金の特徴は、カウンターパーティリスクがないことだ。米国債やユーロ圏国債はいずれも特定の政府が発行する「相手のある」資産であり、発行者が債務不履行を起こしたり、あるいは政治的理由で凍結されたりするリスクが理論上存在する。一方、金は「無国籍」の資産であり、そうしたリスクから構造的に自由である。

ただし、ここにも注意が必要だ。2025年のPBOCの金購入量は公式発表ベースで27トンとされている。金価格にもよるが、これをドル換算しても、米国債の長期的な減少額(累計で数千億ドル規模)を単年で丸ごと吸収するような大きさではない。

したがって、金は「米国債の代替先として最も注目される選択肢の一つ」ではあるが、「米国債から出た資金がすべて金に向かった」と言うのは過大評価だろう。より正確には、金は「複数の受け皿のうち、方向性が最も明確に見えるもの」という位置づけではないだろうか。


見えない「複数の受け皿」

ここで一つ、数字を突き合わせてみよう。

中国の外貨準備総額は、2025年12月末時点でSAFE発表によると約3兆3,579億ドルである。米国債がTIC上で約6,300億ドル減っているのに対し、外貨準備全体がそれと同じだけ縮小しているわけではない。

これは何を示唆するか。米国債から出た資金が、何らかの形で再配分されているということだ。そしてその再配分先は、欧州債だけでも、金だけでもなく、より広範な器に分散されている可能性が高い。

具体的にどのような器が考えられるか。可能性としては、ユーロ以外の通貨建て資産(英ポンド、カナダドル、豪ドルなど)、政府機関債(エージェンシー債)、海外の銀行預金、あるいは外貨準備の枠外への資金移転(国有銀行や政府系ファンドを通じた運用形態の変更)などが挙げられる。

だが、これらの内訳を外部から正確に把握することは極めて難しい。SAFEが詳細を公開しない以上、推定の域を出ない部分が多いのが実情である。

結局のところ、「米国債から出た資金はどこへ行ったのか」という問いに対する最も堅い答えは、「一つの明確な受け皿に集中しているのではなく、複数のチャネルに分散されていると見るのが合理的」というものになる。華やかな結論ではないかもしれないが、データの制約がある以上、これ以上踏み込むことには慎重であるべきだろう。


中国の目的を推測する

中国の外貨準備運用の動機を、単なる投資リターンの最大化と捉えるのは、おそらく一面的に過ぎる。観測できる行動パターンから推測される目的は、おおむね以下の三つに分解できるのではないか。

第一に、凍結・制裁リスクの最小化。これは前述の通り、ロシアの事例を受けた対応であり、カウンターパーティリスクの低い資産(典型的には金)へのシフトとして表れている。

第二に、外貨流動性の確保。貿易決済や資本フロー危機の際に即座に使えるドル資金を維持する必要性は依然として高い。米国債を完全に手放すことは、この観点から非合理的である。だからこそ、急激な売却ではなく、償還期限が来たものを再投資しない「自然減」のペースが中心になっていると推測される。

第三に、米ドル依存度の漸進的な低減。急激な動きは自らのポートフォリオにも損失をもたらすため、時間をかけてゆっくりと進める。10年以上かけた保有額の半減というペースは、この漸進主義と整合的だ。

これら三つの目的は、互いに矛盾する面もある。凍結リスクを下げたいが、流動性は確保したい。ドルへの依存を減らしたいが、急にはできない。こうしたトレードオフの中で、中国は慎重にバランスを取りながら動いている――そう解釈するのが、観測される行動に最も整合的ではないだろうか。


人民元の国際化という遠い視野

もう一つ、中国の金購入を別の角度から見る視点がある。それは、人民元の国際化との関連だ。

自国通貨の信認を高めるためには、その価値の裏付けとなる何かが必要である。歴史的に、金はその役割を果たしてきた。中国が金保有を増やしていることの一部は、将来的に人民元建ての決済圏(たとえば資源取引における人民元使用の拡大)を広げる際に、人民元の信用力を補強する意図があるのかもしれない。

もっとも、人民元が短期間で米ドルの基軸通貨としての地位を脅かすかどうかは、まったく別の問題である。資本規制、金融市場の深度、法制度の透明性など、通貨の国際的な利用を左右する要因は多岐にわたる。人民元国際化は、あるとしても極めて長い時間軸の話だろう。

だが、長い時間軸であるからこそ、今のうちから金という「土台」を築いておくことには、一定の合理性があるとも言える。


米国にとっての意味

視点を変えて、中国の行動が米国にどのような影響を及ぼし得るかを考えてみよう。

かつて中国は、米国債の最大の外国保有者であった。最大の買い手がそうでなくなるということは、米国債の需給バランスにとって無視できない変化であることは確かだ。だが、それが直ちに米国債市場の崩壊を招くかと言えば、話はそう単純ではない。

米国債市場は世界最大の債券市場であり、その価格形成はFRBの金融政策、米国の財政状況、国内投資家(年金基金、マネー・マーケット・ファンドなど)の行動といった多くの要因によって支配されている。中国一国の動きだけで米国債の利回りが決まるわけではない。

とはいえ、マージン(限界的な需給)の変化としては、効いている可能性がある。中国が以前のように大量に米国債を買い増してくれていた時代と比べれば、需給の「余裕」は細っていると考えるのが自然だ。

特に懸念されるのは、地政学的なショックが発生した場合だ。平時にはさまざまな買い手が市場の安定を支えていても、有事に複数の主要保有者が同時に売りに回った場合、市場の吸収力が試される。中国の保有縮小は、そうした「脆弱性の増幅要因」として機能し得る。

また、中国が米国債を買わなくなった分を、誰かが代わりに吸収しなければならない。それが米国内の投資家であれば、民間の資金が国債購入に吸い上げられ、企業投資や住宅ローンに回る資金が減る「クラウディング・アウト」のリスクが指摘される。ただし、この効果の大きさについては議論があり、単純に「中国が買わないから金利が上がった」と因果関係を断定するのは慎重であるべきだ。

最近の報道では、英国がカストディ経由で中国を抜いて米国債の第2位の外国保有者になったと伝えられている。保有者構造の変化は進んでおり、「誰が米国の借金を引き受けるのか」という問いは、以前よりも切実さを増しているのかもしれない。


欧州にとっての「期待外れ」

欧州の視点からはどうか。

もし中国がドルからユーロへ大規模に資金を移動させていたならば、ユーロ圏国債の需要が増え、金利が低下し、欧州各国の財政運営にとってプラスになったかもしれない。だが、前述のように、そうした大規模シフトの痕跡は見えにくい。

理由は既に述べた。欧州も制裁体制の一翼を担う以上、中国の目から見れば、ユーロ建て資産もドル建て資産と同じカテゴリーに分類される可能性がある。「西側の金融システム外」を志向する中国にとって、ユーロはドルの代替というよりも、同じリスクの変形に過ぎないのかもしれない。

ECBが最近、地政学と外国投資家によるユーロ圏国債保有の関係について分析を公表したのは、この問題意識の表れと見ることもできる。

さらに、別の角度からの影響も指摘されている。中国が外貨準備の運用先を変更する一方で、国内の製造業への投資や補助金を強化しているとすれば、それが「過剰生産能力」を生み、安価な製品が欧州市場に流入することで、貿易摩擦が激化する可能性がある。電気自動車(EV)をめぐる欧中間の緊張は、その一つの表れかもしれない。

もっとも、「中国の外貨準備運用の変化」と「貿易摩擦」を直接的な因果関係で結びつけるのは、論理の飛躍が大きい。両者は中国の広範な経済戦略という大きな傘の下にあるが、それぞれ異なるメカニズムで動いている面も強い。


ドルの覇権は揺らぐのか

しばしば語られるのが、「中国の動きはドルの基軸通貨としての地位を脅かすのか」という問いである。

短期的な答えは、おそらく「否」だろう。米ドルの地位は、単に外国政府がどれだけ米国債を持っているかだけで決まるものではない。世界の貿易や金融取引におけるドルの使用割合、米国の金融市場の深度と流動性、法の支配と契約の執行可能性、そして何よりネットワーク効果(皆がドルを使うから自分もドルを使う、という自己強化のメカニズム)といった、多くの要因がドルの地位を支えている。

金保有量の観点から見ても、この構図は大きく変わらない。2025年末時点で、米国の公式金準備は約8,100トンと世界最大であるのに対し、中国は約2,300トン程度にとどまる。量的には米国が中国の3倍以上を保有している計算になる。

さらに重要なのは、現代の主要通貨はいずれも金と兌換される制度を採用しておらず、「金の裏付け」がそのまま基軸通貨の条件になるわけではないという点である。実際、ドルが基軸通貨としての地位を確立した戦後以降の期間は、1971年の金本位制崩壊後の「不換紙幣体制」の下で形成されてきたものであり、金保有量だけで通貨の地位が決まるわけではないことを歴史自体が示している。

中国が近年金保有を増やしているのは事実だが、それは人民元を金に固定する「金本位制」への回帰を意味するものではなく、むしろ制裁や資産凍結リスクに対する備えとして、特定の国に依存しない準備資産を積み増すという性格が強いと考えられる。

だが、長期的にはどうだろうか。中国が「ドルを大量に保有しなくても貿易や備蓄ができる」ことを実践し始め、そのモデルがグローバルサウス(新興国・途上国)にとって魅力的に映るようになれば、ドル依存の度合いは緩やかに低下していく可能性は否定できない。

ただし、その変化は「金の裏付け通貨がドルに取って代わる」という単純な構図ではなく、決済通貨や準備通貨がより多極化していく形で進む可能性が高い。実際の基軸通貨の条件は、金の量よりも、資本移動の自由度、国債市場の厚み、金融インフラの信頼性といった制度的要因に大きく依存している。

したがって想定されるのは、「ドルの崩壊」ではなく、「ドルの相対的な地位の漸進的な低下」という、より穏やかなシナリオである。そして、そうした変化があるとしても、今日明日の話ではない。

ただし、長期的な観点で見落とせないのは、ドルの地位を支える制度的信認そのものの問題である。基軸通貨の条件は、単に経済規模や金利水準だけでなく、法の支配、契約の尊重、同盟国との安定した関係といった制度的基盤に依存している。もし主要国の間で、米国の対外政策や国際秩序への関与姿勢に対する不確実性が高まれば、それは直ちにドル離れを引き起こすものではないにせよ、外貨準備の分散や「ドル以外の選択肢」を模索する動きを静かに後押しする可能性がある。ドルの基軸性は依然として強固だが、その土台が制度的信認である以上、政治や外交のあり方もまた、長期的には通貨の地位に影響を及ぼし得る。


日本のジレンマ――為替介入と米国債の板挟み

ここからは、この問題が日本にとって持つ意味を考えたい。これはおそらく、本稿で最も複雑で、かつ実務的に重要なテーマである。

日本の外貨準備は世界有数の規模を持ち、その主要な運用先は米国債である。円安が進行する局面で政府・日銀が為替介入(ドル売り・円買い)を行う場合、その原資として米国債を売却してドル資金を調達する必要が生じ得る。

だが、「米国債を売る」という行為が、現在の環境下でどれほどのハードルを持つかは、一考に値する。

先に述べたように、かつて最大の買い手であった中国が保有を減らし続けている中で、もう一つの巨大保有者である日本までもが大量の米国債を市場に放出したら、何が起きるか。米国債の価格下落(利回り上昇)が加速し、米国の利払い負担が増大するリスクがある。

米国がこれを歓迎するとは考えにくい。


FIMAレポという「抜け道」

ここで一つの重要な仕組みに触れておきたい。FRBが提供する「FIMA Repo Facility」である。

これは、外国の中央銀行や通貨当局が、保有する米国債をFRBに担保として差し出し、一時的にドル資金を借り入れることができる制度だ。FRBはこの制度の目的として、外国当局が米国債を市場で「売却」せずにドル流動性を確保できるようにすることを明示している。

つまり、これは米国債の「売り圧力」を発生させずに介入資金を用意する手段である。米国の立場からすれば、同盟国がどうしても為替介入をしたいのであれば、この仕組みを使ってほしいということになる。

日本の外為特会(外国為替資金特別会計)は主に米国債で運用され、国内では円建ての短期証券(政府短期証券など)で資金調達する構造を持つ。この構造の中で、FIMAレポを活用してドル資金を確保するのか、それとも米国債を実際に市場で売却するのかは、技術的な問題であると同時に、政治的な含意を持つ問題でもある。


「売るな、借りろ」という圧力

公式には語られないが、米国が日本に対して、米国債の大量売却を避けるよう求める動機は明確に存在する。

現在の米国は、財政赤字の拡大とインフレ対策の狭間で、国債の安定消化に腐心している。そのような状況下で、同盟国が「市場で米国債をまとまって売る形の介入」を行うことは、米国財務省にとって歓迎しがたい事態だろう。

では、米国はすべての介入を拒否するのか。おそらく、そこまで硬直的ではない。小規模で、市場に大きな波を立てない範囲であれば、黙認の余地はあるかもしれない。また、売却する国債が短期債(T-Bills)であれば、長期金利への影響は限定的であるため、許容されやすいとも考えられる。

一方、市場の指標となる10年物などの長期債を大量に売却することは、別次元の話になる。これは米国の金融環境全体に影響を及ぼしかねず、事実上の「レッドライン」に近い可能性がある。

「同盟国だから」という政治的配慮以上に、米国債市場のマイクロ構造(市場の流動性や価格形成メカニズム)という技術的な観点から見ても、大規模売却の影響は無視できない。米国の本音は、「介入するなら、売却ではなくFIMAレポを使ってほしい」という方向にあるのではないだろうか。


介入の「パラドックス」

ここに、日本にとって厄介なパラドックスが存在する。

為替介入の目的は円安を止めることである。だが、介入のために米国債を売却すると、米国の金利上昇を招く可能性がある。米国の金利が上がれば、日米金利差はさらに拡大する。金利差の拡大は、円安圧力を強める。つまり、円安を止めるための行動が、かえって円安を加速させる――という矛盾だ。

もちろん、FIMAレポを使えばこの矛盾は緩和される(市場で売らないので、金利上昇圧力が生じにくい)。だが、FIMAレポにも限度や条件があり、大規模な介入を長期間にわたって支えられるかどうかは、別の問題である。

日本は、「米国債を売らずに円安を止める」という、非常に狭い選択肢の中で政策を遂行しなければならない状況にあると言えるかもしれない。2022年や2024年の介入局面と比べても、そのハードルは高くなっているように見える。


中国は日本を「封じ込めて」いるのか

ここまで読むと、一つの疑問が浮かぶかもしれない。中国が先に米国債を減らしたことで、日本の行動の自由度が制約されているとすれば、それは中国の「意図的な戦略」なのか、それとも「意図せざる結果」なのか。

正直に言えば、これを外部から確定することは難しい。

中国が「日本の為替介入を封じるため」に米国債を減らしている、という明確な証拠は見当たらない。中国の行動を説明するには、先に述べた凍結リスクの回避、ドル依存の低減、人民元国際化の支援といった、もっと直接的な動機で十分だ。

だが、「意図していなくても、結果として日本の政策自由度を狭めている」という構造的効果は、否定しにくい。

これを比喩で表現するならば、こういうことになるかもしれない。米国債市場というプールの中で、中国が先に水を抜いてしまった。プールの水位が下がった状態で、日本が追加で水を抜こうとすると、少量であっても水位の変化が目立ちやすくなる。中国はプールの水位を下げるために行動したのであって、日本を困らせるためではないかもしれない。だが、結果として日本は動きにくくなっている。

さらに言えば、中国と日本では、米国債を売る際の「政治的コスト」が非対称である。中国は米国との政治的関係がすでに緊張している中で、米国の顔色を伺う必要性が相対的に低い(あるいは、すでにその代償を支払っている)。一方、日本は安全保障を含む日米同盟に深く依存しており、米国が嫌がる行動を取ることの政治的コストは高い。

この非対称性が意味するのは、中国が「先に動く自由」を享受し、日本が「後から動くコスト」を負う、という構図である。これを「意図的な封じ込め」と呼ぶかどうかは、立場や解釈によって異なるだろう。だが、「先行者利益(First Mover Advantage)」がここにも働いていることは、冷静に認識しておくべきではないか。


高市政権と外貨準備の行方

2026年2月に入り、日本の外貨準備(約1.4兆ドル規模)をめぐる議論が再び活発化している。ロイターは、高市政権下で外貨準備の活用(あるいはそのあり方の見直し)が議論されていると報じた。

外貨準備をどのように運用し、必要に応じてどのように活用するかは、日本の経済政策にとって重要なテーマである。だが、その議論は必然的に、「米国債をどうするか」という問題と表裏一体になる。巨額の米国債を保有する日本が、その運用を変更しようとすれば、米国との関係に波紋が生じ得ることは、これまでの分析から明らかだろう。

一方、Business Insiderは2026年2月に、中国当局が国内銀行に対して米国債保有の抑制を促したと報じている。中国側のトレンドが続いていることを示唆する報道であり、日本が置かれた環境がさらに複雑化している可能性がある。


三者の構図を俯瞰する

ここまでの議論を整理すると、米国、中国、日本の三者が、それぞれ異なる立場と制約の中で動いている構図が見えてくる。

中国は、自国の資産保全と安全保障上の理由から、米国債の保有を着実に減らしている。その動きは10年以上の長期トレンドであり、方向性は明確だ。急激な売却を避け、自然減を中心とした慎重なペースを保っているが、意思としての「米国債離れ」は揺るがない。

米国は、最大の買い手を失いつつある中で、国債の安定消化という課題に直面している。同盟国に対しては、少なくとも大規模な市場売却は避けてほしいという意向を持っていると推測される。FIMAレポのような仕組みを整備していることは、この意向の制度的な表れとも言えるだろう。

日本は、円安対策の必要性と、米国債の保有維持という二つの要請の間で板挟みになっている。介入の原資として米国債を売りたくても、それが米国の金利を上げ、かえって円安を悪化させるリスクがある。さらに、同盟国としての政治的配慮という制約も加わる。

こうした三者の力学は、固定的なものではなく、為替レート、金利水準、地政学的環境の変化に応じて常に動いている。2026年の環境が2022年や2024年と異なるように、この先もまた変化していくだろう。


「西側の国債」からの距離

最後に、もう少し広い視点で考えてみたい。

中国の行動の本質は、「米国債から欧州債へ」というような、一つの国債から別の国債への単純な乗り換えではないように見える。むしろ、「西側諸国の政府債務全体(Fiat Currency Debt)への依存度を下げ、実物資産や他の形態の資産へシフトする」という、より構造的な変化として理解する方が、観測されるデータとの整合性が高い。

金の購入はその最も分かりやすい表れだが、それだけではない。戦略的な資源備蓄(石油、銅、穀物などのコモディティ)への関心が高まっているという分析もある。これらはいずれも「特定の国の信用に依存しない」資産であり、凍結リスクから自由である。

この動きを「脱ドル」と呼ぶのはやや狭い。より正確には、「脱・西側金融システム依存」、あるいは「カウンターパーティリスクの根本的な低減」と表現すべきかもしれない。

こうした変化が、今後の国際金融秩序にどのような影響を与えるのか。それは現時点では予測の域を出ない。だが、世界第2位の経済大国が、既存の金融秩序の枠組みから少しずつ距離を取り始めていることの意味は、軽視すべきではないだろう。


問いを開いたまま

本稿では、多くの問いを投げかけてきた。その多くに対して、確定的な答えを出すことは意図的に避けた。それは、この問題の性質上、入手可能なデータに限界があり、また、事態が進行中であるためだ。

だが、いくつかのことは、ある程度の自信を持って言えるのではないだろうか。

中国が米国債の保有を長期的に減らしていること。その資金が単純に欧州債へ移動しているわけではないこと。金や実物資産への志向が見られること。日本の為替介入のハードルが構造的に高くなっていること。そして、これらの変化が互いに関連し合い、国際金融の地図を少しずつ書き換えつつあること。

これらの動きが、10年後、20年後に振り返ったとき、どのような意味を持つのか。


(注:本稿は2026年2月9日時点で入手可能な公開データに基づいている。米財務省TICデータ、SAFE発表、World Gold Council統計、IMF COFER、ECB関連分析などを参照した。個別のデータの解釈には幅があり、本稿の分析は一つの見方であることをお断りしておく。)

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