外為特会は財源の打ち出の小槌なのか
2026年2月8日の衆院選で自民党が316議席という戦後最多を獲得し、高市早苗首相の政策推進力は劇的に増した。選挙戦の目玉だった「食料品の消費税を2年間ゼロにする」という公約は、いよいよ実行段階に入る。だが、ここで疑問がある。年間5兆円とされる税収の穴を、いったい何で埋めるのか。
その候補として浮上しているのが、外国為替資金特別会計――通称「外為特会」の剰余金だ。片山さつき財務大臣はテレビ番組で、外為特会の剰余金を財源として「検討の俎上に載せうる」と述べた。高市首相自身も選挙応援で「外為特会の運用、いまホクホク状態」と発言している。では、この「ホクホク」は本当に減税の財源になるのだろうか。
そもそも外為特会とは何か
まず基本を押さえておきたい。外為特会は、政府が為替介入に備えて保有する外貨資産を管理するための「専用の財布」である。2025年末時点の外貨準備高は約1兆3,697億ドル。円換算すれば約200兆円規模にのぼり、年間の国家予算(一般会計約122兆円)をはるかに上回る巨大な資産プールだ。
この外貨資産の大半は米国債などの外貨建て債券で運用されている。一方、ドルを買うための円資金は、政府短期証券(いわゆる為券)を発行して市場から調達している。つまり外為特会は、円で借りてドルで運用する構造――いわば国家規模の「円キャリートレード」を行っている。
ここから毎年生まれるのが「剰余金」だ。外貨資産の受取利息(歳入)から、為券の支払利息(歳出)を差し引いた残りがそれにあたる。日米金利差が大きく円安が進むほど、この剰余金は膨らむ。
過去最大の5.4兆円――だが、すでに使い道がある
2024年度(2025年3月期)の外為特会の剰余金は5兆3,603億円。財務省が決算概要の公表を始めた2008年度以降で過去最大を記録した。内外金利差の拡大と円安が、運用収益を押し上げた結果だ。
ところが、この5.4兆円がまるごと「余っている」わけではない。そのうち3兆2,007億円は2025年度当初予算の一般会計にすでに繰り入れられ、約1兆円は防衛力強化の財源に充てられることが決まっている。さらに約1.4兆円が外国為替資金への組入れ(いわゆる「3割規定」に基づく留保分)として特会内に残された。残りの約7,878億円が当初見込みからの上振れ分で、これが「今後使途を検討する」とされた部分だ。
整理すると、こうなる。5.4兆円の剰余金のうち、約4.6兆円はすでに行き先が決まっており、「フリーハンド」で使える金額は上振れ分の約0.8兆円にすぎない。年間5兆円の減税の穴と比べると、桁が一つ足りない。
「3割規定」とは何か――そしてそれは「法律」なのか
ここで議論の焦点になるのが、いわゆる「3割規定」だ。
財務省は2010年に「剰余金の一般会計繰入ルール」を公表し、そのなかで「当分の間、毎年度の剰余金の30%以上を外国為替資金に組み入れる」という方針を示した。その理由は明快で、積み立ての累計額が「保有外貨資産の30%」という中長期的な必要水準に達していないからだ。実際、2023年度末時点の組入累計額は約28.8兆円で、保有外貨資産の約19.6%にとどまっている。目標の30%にはまだ遠い。
では、この30%ルールはガチガチの法律で固定されているのか。ここは少し複雑だ。剰余金の処理そのものは「特別会計に関する法律」第80条や第8条の枠組みのなかで行われる。だが「30%」という具体的な数字は、法律の条文に明記された閾値というより、財務省が定めた運用ルールとしての性格が強い。Reutersが"budget rules"と表現しているのも、このニュアンスだろう。
つまり、法改正なしには一切動かせないという話ではないが、予算編成や国会審議のプロセスを経ずに大臣の一声で変えられるものでもない。このあたりの「硬さ」の度合いが、まさに今後の政治的な綱引きのポイントになる。
仮に30%ルールを外したら、いくら出てくるのか
では仮に3割規定を緩和して、剰余金の全額を一般会計に繰り入れたとしよう。2024年度の実績ベースで試算すると、追加で使えるようになるのは、外国為替資金への組入分(約1.4兆円)と翌年度歳入繰入分を合わせた約2兆円程度だ。
年間5兆円の穴に対して、2兆円の上積み。これで足りるだろうか。答えは明らかに否だ。しかも、この計算は2024年度の「過去最大」という好条件を前提にしている。剰余金は内外金利差と為替レートに依存するため、環境が変われば大幅に縮小する。国会図書館の調査では、仮に日本の短期金利が0.5%上昇し米国の長期金利が0.5%低下すれば、剰余金は年間約1.2兆円減少するという試算もある。市場環境次第で「ホクホク」が吹き飛ぶリスクは常にある。
それならば、剰余金のフロー(毎年の利益)ではなく、過去に積み上げてきたストック(組入累計額約28.8兆円)を取り崩せばよいのではないか。たしかにこちらは金額的にはインパクトがある。だが、このストックはまさに将来の円高局面で外為特会が債務超過に陥らないためのバッファーだ。取り崩した翌年に急激な円高が来たらどうなるか。その問いに対する答えを用意しないまま手をつけるのは、住宅の火災保険を解約して今月の食費に回すようなものだろう。
「含み益」という蜃気楼
外為特会をめぐる議論では、もう一つ魅力的に見える数字がある。円安の進行で膨らんだ外貨資産の「含み益」だ。2021年度末時点で約30兆円とされたこの含み益は、その後の円安でさらに拡大しているとみられる。野党の一部はこれを「長年埋もれていた宝の山」と呼ぶ。
だが、この含み益を円に換えるには、ドルを売って円を買わなければならない。それは為替介入そのものだ。大規模に行えば円高を引き起こし、含み益自体が縮小する。しかも、G7の合意のもとで為替介入は「過度な変動や無秩序な動きへの対応」に限定されており、減税財源の調達を目的とした介入は国際的に許容されない。
野村総合研究所の木内登英氏が「含み益は"永遠に使えない埋蔵金"だ」と指摘するのは、この構造的な制約を端的に表現している。外貨を売らずに含み益を担保に国債を発行するという案もかつて提起されたが、含み益が為替変動で消滅すれば裏付けのない借金が残るだけだ。それは通常の赤字国債と何も変わらない。
ソブリン・ウェルス・ファンド構想の現実味
最大野党は、外貨準備と日銀のETF保有(約37兆円)を統合して政府系ファンド(SWF)を設立し、より高い運用益を目指す構想を打ち出した。野党の植田逸夫議員はReutersに対し「安定性の観点から見て、外貨準備の規模はやや過大ではないか」と述べ、米国債偏重の運用を見直す余地を示唆した。
たしかに、約200兆円の外貨資産を米国債中心で保有する現行の運用は、リターンの面では保守的にすぎるという批判は以前からある。ノルウェーやシンガポールのSWFと比較すれば、運用の多様化で得られる上積みはあるかもしれない。
だが、政府関係者の多くはこの構想に懐疑的だ。外貨準備の本来の目的は為替介入への即応力であり、そのためには流動性の高い資産――つまり換金しやすい米国短期債や預金――で保有しておく必要がある。リスク資産に振り向ければ運用益は上がるかもしれないが、いざというときに動かせなくなる。しかも、米国債の大規模な売却は日米関係にも影響を及ぼしかねない。ある政府関係者は「トランプ政権下で米国債を大量に売る議論をすること自体がリスクだ」と匿名で語っている。
5兆円の穴は、どこにも落ちていない
ここまでの議論を整理しよう。
外為特会の剰余金(フロー)から追加で引き出せる額は、3割規定を緩和しても年間1〜2兆円程度。過去の積立金(ストック)の取り崩しはバッファー毀損のリスクを伴う。含み益の実現はそもそも制度的・外交的に困難。SWF構想は実現までに時間がかかるうえ、安定財源としての信頼性に欠ける。
年間5兆円という減税コストに対して、外為特会からひねり出せる金額は、どう楽観的に見積もっても半分に満たない。高市首相は「赤字国債に頼らず、補助金と租税特別措置の見直し、税外収入で財源を確保する」と述べている。だが、税外収入の大半はすでに歳入に組み込まれており、補助金と租税特別措置を合わせて5兆円規模の削減を短期間で行うのは、政治的にも実務的にも極めてハードルが高い。
結局のところ、5兆円の穴を都合よく埋めてくれる「埋蔵金」は、どこにも落ちていない。
市場が警戒する「二重のシグナル」
この議論が市場の神経を逆なでしやすいのには理由がある。
第一に、財政規律のシグナルだ。変動収入である外為特会の剰余金を恒久的(あるいは半恒久的)な減税の財源に充てるという発想は、「好調なときの利益で穴を埋め、不調になったらどうするのか」という疑問を市場に抱かせる。2026年度の当初予算で28年ぶりのプライマリーバランス黒字を達成したばかりの日本にとって、その成果を自ら手放すような議論は、長期金利の上昇圧力を高めかねない。実際、高市首相の減税構想が報じられた1月には、10年国債利回りが一時2.38%と約27年ぶりの高水準を記録した。
第二に、為替政策のシグナルだ。外為特会はそもそも為替介入のための器であり、その剰余金や積立金を減税に流用するという議論は、「政治が介入余力を先食いしている」という印象を与える。片山財務大臣が「為替介入に関わる話であり、国益の観点からすべてを開示するのは望ましくない」とコメントを避けたのは、まさにこの点を意識してのことだろう。
「2年限定」は本当に2年で終わるのか
もう一つ、見落とされがちだが重要な論点がある。食料品の消費税ゼロは「2年間の時限措置」とされているが、2年後に税率を8%に戻すことは政治的に可能だろうか。
自民党内のベテラン議員は「いったん下げれば2年で区切れなくなる」と懸念を口にしている。仮に2028年の参院選で野党が「消費税率を元に戻すな」と主張すれば、自民党は選挙で不利になる。結果として時限措置が恒久化し、毎年5兆円の穴が開き続ける。野村総研の木内氏が指摘するように、2年間のGDP押し上げ効果が+0.22%程度にとどまる一方で、社会保障の基礎的財源を毀損し続けるリスクは無視できない。
食料品の物価高が家計を圧迫しているのは事実だ。2021年を100とした食料品の消費者物価指数は2025年末に128.8まで上昇した。約3割の値上がりだ。この負担感に政治が応えようとすること自体は理解できる。だが、「財源なき減税」が円安と金利上昇を招けば、輸入物価がさらに上がり、家計負担はかえって増す。火元を消さずに延焼部分だけ修理しても、被害は広がるばかりだ。
問われているのは「どこから取るか」ではなく「何を選ぶか」
外為特会の議論は、一見すると技術的な予算配分の話に見える。だが、その本質は「国として何を優先するか」という選択の問題だ。
為替介入のバッファーを削って目先の減税に回すのか。28年ぶりのプライマリーバランス黒字を手放してでも家計支援を優先するのか。変動する運用益に依存した財源設計で国際市場の信認を維持できるのか。
外為特会の剰余金は、たしかに「ある」。だが、それは為替変動や金利環境という外部条件に依存した、本質的に不安定な収入源だ。5.4兆円という過去最大の剰余金は、円安と日米金利差という追い風が重なった結果であり、この風がいつまで吹くかは誰にもわからない。
高市政権が圧勝の勢いで突き進むのか、それとも国民会議での議論を経て現実的な着地点を探るのか。選挙で問われたのは消費税の税率だったかもしれないが、これから問われるのは、もっと地味で、もっと重要な問い――「この国の財政をどう設計するか」だ。その答えは、外為特会のどこにも埋まっていない。
※本稿のデータは、財務省「特別会計ガイドブック(各論)」(令和6年度版)、財務省「令和5年度決算(外国為替資金特別会計)」、Bloomberg・Reuters・日経・時事通信の報道(2025年7月〜2026年2月)、国立国会図書館調査及び立法考査局「外国為替資金特別会計の基本的な仕組みと構造的な課題」、野村総合研究所 木内登英氏コラム(2026年1〜2月)、第一生命経済研究所 熊野英生氏レポートに基づく。
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