日米戦略的投資イニシアティブ「第1号案件」が意味すること

2026年2月10日、赤沢亮正経済産業相が閣議後の会見で、日米戦略的投資イニシアティブの「第1号案件」を近く発表できる可能性に言及した。翌日から訪米し、ラトニック商務長官と組成を協議するという。候補として報じられているのは、データセンター向けガス火力発電、港湾整備、人工ダイヤモンド製造などだ。

このニュースは、一見すると日米間の投資協力がまた一歩進んだ、という穏当な話に見える。だが、その背後にある資金の流れと契約構造を丁寧にたどると、かなり複雑な風景が浮かび上がる。この枠組みは、通常の「企業の海外進出」とはまるで異なる論理で動いている。それを理解するには、2025年夏まで時計を巻き戻す必要がある。

関税と投資の取引——枠組みはどう生まれたか

2025年4月、トランプ政権が日本を含む各国に相互関税を課したことで、日米間の通商交渉は一気に緊迫した。石破政権(当時)は赤沢氏を交渉の前面に立て、同年7月22日にトランプ大統領と枠組み合意に達する。内容を端的に言えば、日本が米国に5,500億ドル(約85兆円)を投資する代わりに、日本からの輸入品に課される関税を15%に抑える、という交換だった。

ここで素朴な疑問が浮かぶ。5,500億ドルとは、一体どれほどの規模なのか。米国側の統計によれば、2024年時点で日本の対米直接投資残高は8,192億ドルと国別で1位である。つまり日本はすでに世界最大の対米投資国だ。にもかかわらず、さらに5,500億ドルの「新規資本」を積み増せとベッセント財務長官は釘を刺している。野村総合研究所の木内登英氏が指摘するように、米国が認める戦略的産業分野(半導体、医薬品、エネルギー、重要鉱物など)に限った投資残高は2024年で2,452億ドルにとどまる。この分野で5,500億ドルをトランプ政権の任期中(2029年1月まで)に達成するのは、率直に言ってかなりの難題だ。

では、この数字は単なる政治的な「見栄え」なのか。それとも、実際に金融市場を動かす実体を持つのか。答えは、2025年9月4日に署名されたMOU(了解覚書)のなかにある。

MOUが定めた「お金の流れ方」

MOUの中身を読むと、この枠組みが通常の投資促進策とはまったく異なる仕組みであることがわかる。ジェトロの報告によれば、骨格は次のようなものだ。

投資案件は、米商務長官が議長を務める「投資委員会」が推薦し、最終的に米大統領が選定する。日本側は選定通知から45営業日以上経過後に、米ドルの即時資金で拠出する。拠出先は「US Investment Accelerator」の指定口座である。各案件ごとに米側が特別目的会社(SPV)を設立し、米側がガバナンス(管理・統治)を握る。キャッシュフローの配分は、元本+みなし金利相当の回収までは日米50対50、その後は米国90%・日本10%となる。

この構造をどう評価するか。セントルイス連邦準備銀行のChienとMoriによる分析が参考になる。割引率5%のもとでの現在価値を計算すると、日本が投じる5,500億ドルに対して、日本側に帰着する現在価値は3,587億ドル(1ドルあたり65.2セント)にとどまる。一方、米国側は4,868億ドル(同88.5セント)を得る。差額にして約1,281億ドル——日本の2024年GDPの約3.2%に相当する純損失が、構造的に組み込まれているという計算だ。

これは「エクイティ投資」というより、米国側が案件を選び管理する事業に対する「準ローン提供+成功報酬10%」に近い、という見方がある。ハドソン研究所もこの点を認め、「ローンファンドないし債務拠出ビークル」と表現している。では、これは不平等条約のようなものなのか。

「不平等」という断定は早い——別の見方もある

MOU上の利益配分について、出資比率の違い(米国9割・日本1割)が利益配分に反映されているとの見方がある。つまり「日本が金を出して米国が利益の9割を取る」というのは正確ではなく、米国も投資先の土地、インフラ、規制支援、オフテイク手配など「現物出資」的な貢献をする設計だ——というのが日本政府の立場だ。

赤沢経産相自身も「ラトニック長官の言葉を借りれば"ゲームチェンジャー"だ」と述べ、この枠組みが従来の二国間交渉の型にはまらない新しい試みであることを強調している。ベッセント財務長官が「日本の投資イニシアティブは米EU、米韓合意の雛形になった」と語った点も、日本側が先行者利益を得ている根拠として引用される。

ただし、ここで重要なのは、MOU自体が「法的拘束力を持たない」と明記していることだ。米国が連邦用地や水、電力、規制迅速化を「提供する意図がある」と書かれているが、「提供する義務がある」とは書かれていない。ピーターソン国際経済研究所(PIIE)が2026年1月末に発表した分析でも、トランプ政権が各国から引き出した投資コミットメントの総額は5兆ドルを超えるが、その実現可能性には大きな不確実性が残ると指摘されている。

つまり、現時点でこの枠組みを「日本にとって損だ」とも「得だ」とも断定するのは難しい。すべては個別案件のセクター、オフテイク条件、保証構造にかかっている。だからこそ「第1号案件」が何になるかが、極めて重要なシグナルになる。

第1号案件の候補——どう見るか

報道されている候補は3つだ。データセンター向けガス火力発電、港湾整備、そして高圧高温法による人工ダイヤモンド製造。2025年10月のトランプ大統領訪日時に公表された共同ファクトシートでは、エネルギー分野でウェスティングハウス(最大1,000億ドル)、GEベルノバ日立(同1,000億ドル)、ソフトバンクグループ(同250億ドル)、重要鉱物分野ではエレメントシックス(5億ドル)などが関心を示す企業として名前を連ねていた。

融資審査の観点から見ると、これらの案件はリスク特性がかなり異なる。

データセンター向け電源は、長期の売電契約(PPA)がビッグテック企業との間で結ばれれば、完工後のキャッシュフローの予見性は比較的高い。米国のAI需要の拡大は構造的なものであり、電力消費の伸びは堅調だ。ただしガス火力はESG(環境・社会・ガバナンス)の観点から座礁資産化リスクがつきまとう。政権交代後にエネルギー政策が変わる可能性も、10年超のプロジェクトファイナンスでは織り込むべき変数だ。

港湾は、コンセッション契約や長期利用契約が堅固であれば、インフラ資産として安定した収益が見込める。一方で、港湾は「重要インフラ」に分類されるため、安全保障上の規制介入リスクも高まる。

人工ダイヤモンドは、産業用途(半導体の放熱材、量子コンピューティングの基板など)での需要拡大が見込まれるものの、市場規模は他の候補に比べて小さく、価格形成の不確実性が高い。プロジェクトファイナンスとしての組成難度は相対的に上がるだろう。

JBICの7.1兆円——公的金融のてこ

この枠組みで要になるのが、国際協力銀行(JBIC)と日本貿易保険(NEXI)だ。MOUにも協議委員会の参加者として両機関が明記されている。

2025年12月、JBICは2026年度の財政投融資計画に向けて7兆1,964億円の追加要求を行った。内訳は、対米投資事業者への低利融資に3.6兆円、政府保証に3.5兆円、財務基盤強化の出資に637億円だ。追加後の要求総額は8.5兆円、対米投資関連の事業規模は14.3兆円と想定されている。資金の半分は外国為替資金特別会計(外為特会)からの借り入れ、残りを財政投融資でまかなう計画だ。

JBICの融資は原則として民間金融機関との協調融資で行われる。つまり、JBICが「呼び水」として案件に入ることで、メガバンクや地方銀行がシンジケートローンに参加しやすくなる構造だ。NEXIの保険が付けば、民間銀行にとっての信用リスクはさらに軽減される。

銀行にとっての魅力は何か。MOUはみなし金利を「6ヶ月SOFRターム+スプレッド」と定め、そのスプレッド上限を「過去6ヶ月のJBIC・NEXI保証付き商業銀行10年超融資の平均スプレッド以下」としている。これは、案件のリスク格付けが「公的信用補完付き長期与信」に準ずることを意味している。BIS規制上もリスクウェイトが下がり、資本効率が改善する。国内で貸出先が頭打ちの銀行にとっては、手数料(アレンジメント、コミットメント、エージェント)やヘッジ提供(金利スワップ、為替、コモディティ)で収益を積める案件になりうる。

「安全」の中身を分解する

では、「政府のお墨付きがあるから安全」という見方はどこまで正確なのか。ここは慎重に見る必要がある。

まず、日米両政府のG2G(政府間)案件であることは、CFIUS(対米外国投資委員会)による事後的な差し止めリスクを実質的に排除する。日本製鉄のUSスチール買収がCFIUSで政治問題化した記憶は新しいが、大統領自身が承認した案件に同じリスクは想定しにくい。これは確かに大きなプラスだ。

しかし、「政治の後ろ盾=法的な信用補完」ではない。MOU自体に法的拘束力がないことは繰り返し確認しておく必要がある。銀行が実際にクレジット(信用リスク)を閉じるのは、あくまでNEXIの保険証書、JBICの協調融資契約、担保・口座支配・財務制限条項(コベナンツ)、ステップイン権、そしてオフテイク契約(PPAなど)——これらのセキュリティパッケージによってだ。

加えて、「第1号案件は日米同盟の象徴だから、失敗させるわけにはいかない」という「暗黙の政府保証」論がある。確かに、両政府が政治的コストを払ってまで第1号案件をデフォルトさせるとは考えにくい。だが、金融の世界では「暗黙の保証」に依拠した融資判断ほど危ういものはない。リーマン・ショック前の金融機関が「too big to fail」を前提に行動した結果を思い起こせば、この点は自明だろう。

見えてきたリスクの輪郭

銀行の審査部が気にするポイントをもう少し具体的に挙げてみよう。

第一に、米側がガバナンスを100%握るSPV構造において、債権者保護条項がどこまで確保されるか。日本側は資金を出すがSPVの運営権は持たない。この非対称性は、ドキュメンテーション(契約書の条項設計)で補わなければならない。

第二に、米ドル建て長期資産のファンディング問題がある。日本の銀行はドルの調達コスト(クロスカレンシー・ベーシス・スワップ)が常に変動するリスクを抱えている。NSFR(安定調達比率)やLCR(流動性カバレッジ比率)などのバーゼル規制も考慮すれば、長期ドル資産を積み増すことは単純に「おいしい話」とは言い切れない。

第三に、MOUにスプレッド上限が定められていることで、市場環境が悪化してもリプライシング(金利の改定)ができない可能性がある。RAROC(リスク調整後資本収益率)で見て本当に採算が合うのか、資本・流動性コスト込みで精査する必要がある。

「第1号」のあとに何が来るか

PIIEの分析が示すように、トランプ政権が各国から引き出した投資コミットメントは、日本だけでなくサウジアラビア(約1兆ドル)、EU、韓国、台湾、スイスにまで広がり、総額5兆ドルを超えている。日本はその先駆けだった。

この流れのなかで、第1号案件は単なる一つのプロジェクトにとどまらない。それは、今後の投資選定プロセス全体のテンプレートになる。どのセクターが選ばれ、どのような条件で組成され、誰がリスクを取り、誰がリターンを得るのか——その前例がここで作られる。

赤沢経産相が会見で語った言葉は、一つの現実認識として正直なものだったように思える。「同盟国に対しても米国ファーストで、様々な提案をしてくるのが常だ。接点を持つたびに国益をかけた厳しいやりとりを毎回行っており、何事も一筋縄ではいかない」。

この枠組みが日本にとって「損」になるか「得」になるかは、抽象的な損益計算だけでは決まらない。個々の案件でどれだけ堅固なオフテイク契約を確保できるか、SPVのガバナンスにどこまで日本側の発言権を埋め込めるか、そして関税据え置きという「見返り」がトランプ政権の任期を超えてどこまで持続するか——すべてはこれからの交渉と実行の精度にかかっている。

5,500億ドルという数字の大きさに目を奪われがちだが、本当に注目すべきはその内側の構造だ。第1号案件の条件がどのような形で発表されるか。細部にこそ、この国家間ディールの本質が宿っている。

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