フルタイムは1日8時間と誰が決めたの

「1日8時間労働」は、人間の体にとって自然な正解でもなく、 誰かが科学的に決めたものでもありません。19〜20世紀の政治的・社会的な 妥協の結果として、たまたま世界の標準っぽくなった数字に過ぎず、 人類史全体で見るとごく最近生まれた例外的な働き方です。

1. 人類史スケールで見ると「8時間」はごく最近

ざっくりとしたイメージは次の通りです。

  • 狩猟採集社会: 人類学者マーシャル・サーリンズらの研究によれば、週15〜30時間(1日3〜6時間程度)の 食料採取活動とされる。ただし「労働」の定義(道具作りや移動を含むか)によって 推定値は変わり、より長時間とする近年の研究もある。
  • 農耕社会〜前近代: 中世ヨーロッパの農民を例にとれば、農繁期は日の出から日の入りまで 長時間働く日もある一方、年間150日前後の祝祭日や農閑期があり、 年間の総労働時間は季節や地域によるばらつきがかなり大きい。
  • 産業革命直後: 19世紀初頭の英国では、工場労働で週60〜70時間、1日12〜16時間労働が珍しくなく、 子供を含めて過酷な長時間労働が常態化した。
  • その後100〜150年かけて各国で労働時間規制が整備され、 現在のOECD諸国では年間労働時間が1300〜2000時間程度の水準にまで短縮されてきた (例:ドイツ約1,340時間、韓国約1,900時間)。

つまり「8時間×5日=40時間/週」という感覚そのものが、 ここ150年くらいの産業化と労働運動の産物であり、それ以前の長い人類史とは かなり違う働き方だと言えます。

2. 「8時間」という数字を言い出した人たち

19世紀初頭、英国スコットランドの実業家ロバート・オーウェンが、 1810年代に自分の工場コミュニティ(ニュー・ラナーク)で 次のスローガンを掲げたことがよく知られています。

Eight hours labour, eight hours recreation, eight hours rest (8時間働き、8時間楽しみ、8時間眠る)

当時は12〜16時間労働が普通だったため、1日を三等分することを訴えたわけですが、 これはあくまで「政治的・道徳的な提案」であり、 生理学的に8時間が最適だという科学的結論ではありませんでした。

その後、19世紀後半の国際的な労働運動がこの「8時間労働」を主要スローガンとして採用し、 世界各地で「8時間を上限にせよ」という要求が広がっていきます。

3. 英国などで法律に入り始めた経緯

最初から「全員8時間」になったわけではなく、まずは子供や女性から 労働時間の規制が始まりました。

  • 1833年工場法(Factory Act 1833): 9〜13歳の子供を1日8〜9時間、13〜18歳を12時間に制限。
  • 1844年工場法: 女性労働者を1日12時間に制限。
  • 1847年工場法(Ten Hours Act): 女性と13〜18歳の若年者を1日10時間に制限。

ただし、この段階で保護されていたのは子供や女性・若年層であり、 成年男性は依然として長時間労働が一般的でした。 つまり「8〜10時間」は一部の保護対象からじわじわと拡大していった数字であり、 いきなり普遍的な標準になったわけではありません。

4. 国際条約としての「1日8時間・週48時間」

第一次世界大戦後、労働条件の悪化が社会不安と結びついた反省から、 1919年に国際労働機関(ILO)が設立され、最初期のテーマとして労働時間が取り上げられました。

同年、ILOは第1号条約(Hours of Work Convention, No. 1)において、 工業部門の労働時間を 「1日8時間、週48時間を上限とする」 という内容を採択し、多くの国がこれを基本ラインとしていきます。

ここでも重要なのは、 8時間が「人間として正しいから」というより、 「労働運動・政党・資本家の間の政治的妥協として落ち着いた数字」 だったという点です。 対象も当初は工場などの産業部門が中心でした。

5. 企業実務として「フルタイム=8時間」が固まる過程

実務面で象徴的なのが米フォード社の動きです。 1914年にフォード社は、

  • 1日の労働時間を9時間から8時間に短縮
  • 賃金を日給5ドルに大幅引き上げ(当時としては破格)

といった改革を行い、その結果、

  • 離職率が低下し、熟練工が定着した
  • 生産性が向上した
  • 他社も追随するインセンティブが生まれた

こうした流れを通じて、 「工場労働の標準シフト=8時間」 が企業実務の中で固定化されていきました。 その後、米国では1938年に公正労働基準法(Fair Labor Standards Act)が成立し、 週40時間(5日×8時間)が法的な標準として定着します。 この「フルタイム」モデルは20世紀の工業社会の標準として、他国にも輸出されていきます。

6. なぜ「偶然的な歴史産物」と言えるのか

ここまでをまとめると、次のようになります。

  • 8時間は、まずはオーウェンのような思想家・実業家のスローガンとして登場した。
  • その後、過酷な長時間労働を抑えるための「最低限の上限」として法律に取り込まれた。
  • 第一次世界大戦後の国際的な妥協として、工業部門の標準上限として制度化された。
  • 20世紀の大企業がビジネス上の合理性から8時間シフトを採用し、フルタイムの慣行として広がった。

一方で、現代でも国や業種によって週30〜50時間とばらつきがあり、 フランスのように週35時間制を導入した国もあります。 認知科学の一部の研究では、人間の高い集中力が続く時間は4〜6時間程度とする見解もあり、 必ずしも8時間が生理学的な最適値だと証明されているわけではありません。

したがって、 「1日8時間労働」は、 人間の体にとっての普遍的な正解でも、 どこかの文化が太古から守ってきた伝統でもなく、

  • 19〜20世紀の工場制生産
  • 労働運動と社会不安
  • 資本主義の成長と妥協

といった条件の中で、たまたま「ここで手を打とう」と決まった数字に過ぎません。 人類史全体から見ればごく新しい、しかも例外的な働き方だと言えます。

7. 「普通」とは

もし8時間が自然法則でも科学的な最適値でもないのであれば、 技術の発展や働き方の多様化が進む中で、 「1日6時間」「週4日勤務」といった 選択肢もあるはずです。

もちろん、労働法制の見直しや企業文化の変革、 賃金・社会保障制度の再設計など、課題はあります。

ただ、「8時間こそ正常」という前提は歴史的に固定されたものではなく、 約150年前の折衷の結果にすぎない、という視点を持つことは重要です。

「普通の働き方」とは何でしょうか。
8時間という枠組みが、人生や社会にとって最適と言えるのでしょうか。

その答えはひとつではありません。

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