英中銀オペ(SMF, DWF, ILTR, CTRF):設計思想と運用の実際
ある英国の銀行では、前日まで何事もなく資金調達が続いていたのに、翌朝になると市場が突然静まり返り、誰も貸してくれない状態に陥ったことがある。中銀支援の報道が出ると、支店には長い列ができ、ATMの前には重い空気が漂った。これは2007年のNorthern Rockの出来事であり、数字上は深刻な兆候が少なかったにもかかわらず、短期市場が止まった瞬間に一気に流動性を失った事例である。 この出来事は、銀行の流動性が保有量だけでは測れず、「市場が続くかどうか」という条件に強く依存することを示している。実際には、2020年の現金争奪戦、2022年のギルト市場の機能不全、2023年のSNSをきっかけとした預金流出など、同様の構図が繰り返されている。LCRが高くても、HQLAが豊富でも、市場ストレスや顧客行動は計算式より速く動く。 ゆえに、中央銀行がどのような枠組みで流動性を支え、危機時にどのようなファシリティを動員するのかを理解することは重要である。それぞれの制度には固有の目的や背景があり、実務では担保やアクセス条件によって使い勝手が大きく変わる。本稿では、英中銀の主要な流動性供給ファシリティ(SMF, OSF, DWF, ILTR, CTRF)について、その歴史、設計思想、実際の運用を整理する。 🔥 制度設計の歴史的背景:2007-08年金融危機の教訓 Northern Rock危機とスティグマ問題 現在のSterling Monetary Framework(SMF)は、2007-08年金融危機での痛みから生まれた制度である。2007年9月、BBCがNorthern Rockが中央銀行の緊急支援を受けたことを報道すると、150年ぶりの取り付け騒ぎが発生した。この事件により、中央銀行の流動性供給制度における「スティグマ問題」が顕在化した。 スティグマ問題とは 中央銀行の緊急貸出を利用すると、市場参加者がその銀行の財務状況が悪いと推測し、借入銀行の評判が傷つく現象である。その結果: 支援の遅れ:銀行が支援を受けるのを躊躇し、資産の投げ売りなどコストの高い代替手段を使用する 危機時の機能不全:最も必要な時に流動性供給制度が機能しない...